四十三庵

蔀の雑記帳

公文式の効用

○僕と公文式 確か幼稚園年長から、公文の国語と算数をはじめて、 小学校の途中から、英語をはじめたのかな。僕の場合。 国語だけはぐんぐんと進んで、 算数と英語はある程度まで進んだらストップした。 中学になると面倒なのでほとんど宿題をやらないようになって、 高校受験になって、ようやくやめた。 で、高校に入って、数学と英語が芳しくなかった。 部活もあって、塾に通うのは嫌だったので、数学と英語をとった。 真面目に宿題もやっていた。 で、高三の夏休み前にやめた。 正直、あんま受験対策にはならなかった。 何もしないよりはマシ、という程度。 僕が国語で特に困らなかったのは、公文のおかげだろう。 数学と英語も、もっと中学時代にしっかりとりくめば、また違ったんだろうなあ。 ○公文式批判 「小学校低学年の勉強法」より 公文式については、批判的な人が多いのも事実です。主な内容としては、 ・公文式は子供を電卓のようにする ・公文式で勉強した子は、読解力、応用力に欠ける ・公文式に通うと感情がなくなる などです。合っている部分もあると思いますが、公文式公文式に通う子供に対するやっかみもあると思います。(以下略) 感情がなくなる、て。 そんなこたあないだろうと思うんですが。 応用力に欠ける、とはよくきく話。 実際、公文の算数は計算力は非常に伸びるけれど、 文章題や図形問題は一切ないので、僕も学校で苦しんだ。 「公文への愚問?やめてよかった?公文式」より 長男も頑張っていたが、2年で同じところで引っかかるようになって、前に全然進まない時期があった。プラトー(高原 plateau)というが学習には伸びないも「高原状態」(うちの子は低原だったのかもしれないが)もあるのだ。半年ほどそういう状態が続いた。  理論では分かっているのだが、いざ、進まないとなると子も親もイライラする。毎回同じプリントを出され、下手をすれば、どっと元に戻るのだ。宿題の解答もチェックして、今日は前に進むだろうと思っていてもなぜか下がってくることがあった。何が悪いのか、親にはよく分からない。  「満点を取る喜び」と公文はいうが、「一つでも間違うと落とされる」という恐怖が子どもと親に走る。 とまあ、こんな論点もある。 批判点をまとめると、 1、応用力がつかない(公文は機械作業だから) 2、満点をとるまでやるのは間違っている(子供の人間性を歪める、とも) 3、本当の理解を伴わない、上辺だけの学習 4、宿題が多く、子供が苦しむ という四点につきるでしょうか。 ○公文式が対象にしている子供とは そもそも公文式の成り立ちは、公文公(とおる)という、変な名前の高校の数学教師が、 落ちこぼれどものために、 「いきなり難しい理論には入れないから、とりあえず計算能力を伸ばそう」 という考えで、使っていた学習法が元になっている。 wikipediaによると、 「日本公文教育研究会」より 歴史的経緯 公文式の算数・数学が計算に傾斜しているのは一定の理由がある。 そもそも創始者公文公が高校数学教員を長らく勤め高校数学を苦手とする生徒への対策を考えていたこと、その結果として将来高校数学や大学受験の際に数学で困らないためには計算力の充実がまず何よりも重要であると確信するに至ったことを指摘できる。(以下略) (改行は僕が勝手にいれた) という風に。 つまり、公文式は、元々、落ちこぼれのための学習法で、 そんな高尚なものではないんですよ。 まぁ公文自身が、天才教育とか幼児教育とか、 そんな感じで売り出している面もあるので、見落とされがちだけれども。 「学校で落ちこぼれないための公文式」と考えると、 上の1?4の批判が的外れであることがよくわかるでしょ。 1、応用力がつかない(公文は機械作業だから) 公文式の位置づけは、応用にいくための、基礎づくり。 もともと公文式は応用力をつけることなんて、目標にしていない。 2、満点をとるまでやるのは間違っている(子供の人間性を歪める、とも) 「できないこと」をしっかり潰していくのが、公文式の基本。勉強の基本でもあるかも。 確かに子供、特に勉強のできない子供には苦痛だろうけど、 でも一番効率的な勉強法なので、こればっかりは苦しんでもらうしかない。 3、本当の理解を伴わない、上辺だけの学習 そうそう簡単に、本当の理解とやらができるのか、という問題。 小学生や中学生相手に、 古文にあらわれる繊細微妙な表現の味だとか、 数学の堅牢な論理性だとか、ネイティブ並の英語だとか、 そんな理解、どうやってさせるのか。ていうかできるのか。 4、宿題が多く、子供が苦しむ 勉強ができない生徒には深刻でしょう。 小学校の学習内容の時、五枚のプリントに、 いつも三十分以上かかるような生徒とか。 しかし、勉強ができない生徒にこそ、反復練習は重要じゃないか。 子供が苦しむっつったって、そこで苦しませなかったら、 中学、高校で苦しむことになって、引いては就職にまで響くことになって、 人生全体で苦しむことになるかもしれないのに。 「車輪の下」のハンス・ギーベンラート君は、 子供のうちから、楽しい魚釣りも禁止し、睡眠時間まで削って、 ギリシャ語やラテン語の訳分からん活用に格闘しながら、難関の学校に合格する。 そこで、はじめて自分の勉強ばかりの人生に、悩む訳だ。 そのぐらい骨身を削って勉強するのなら、同情の余地もあるが、 たかだか公文のプリントをやらせるぐらいで、 子供の人間らしい成長を損ねるなどと、馬鹿馬鹿しい話だ。 ○初等教育公文式の有用性 僕は塾講師なんぞやっていて、この夏休みは、 小学生が問題を解くのを、丸付けをしたり、間違えたところを教えたりする機会を得た。 また、中学二年生の女の子を個別指導したこともあった。 まぁそんなに進学実績のあがっていない、レベルの高くない塾で、 学校で成績不振にあえぐ子供を、不安に思う親が入れる所だと思ってもらっていい。 そこで感じたのは、根本的な計算力不足だった。 3  5 - * -  25 36 という問題がある。これを小学生諸氏は、ご丁寧に、 3  5 15  3  1 - * - = - = - = - 25 36 900 180 60 と、やってくれるのだ。 いやいやいや、と。 3  5 - * -  25 36 3と36を相殺して(こんな言い方は数学的にはないだろうが)、1と12にして、 5と25を相殺して、1と5にする。 1  1  1 - * - = - 5 12  60 とすれば、大した困難もなく、できる計算だ。 それを小学生たちは、筆算を使ってまで、上のご丁寧な方法でやるので、 勉強が不得意な者は、途中で計算ミスを犯す。 得意な者は、何だかんだで計算は正確にできるので、答えは合っている。 また、中学生だが、分数の処理ができない子だった。 a  3 - = - 2  4 という計算で、aの値が欲しいのだけど、 「あれ、上を掛けるのかな、下を掛けるのかな」 と迷うらしかった。 「まぁとりあえずやってごらん」と黙って見ていると、 「上を掛けるんだな」 と言って、両辺にaを掛けだしたので、弱った。 恐らくは、 2  3 - = - a  4 と混同しているのだと思われた。 公文の弊害は確かにあるかもしれないが、確実に日本の初等教育は失敗している。 「個人のやる気に任せる」といったって、 分数計算ができない連中が、高度な数学に興味をもてるだろうか。 頭おかしいんじゃないか。 僕は、初等教育に、公文式をとりいれるべきだと思う。 まぁ公文式である必要はないけれど、 それこそ、「子供を電卓にする」ようなことをする必要がある。 僕がこの生徒に対して言ったのは、分母にある数字を消したかったら、 両辺にその数を掛けるんだよ、ということだった。 わかったような、わからなかったような顔をしていた。 彼女の場合、とりあえず説明すれば、その問題は解けた。 しかしちょっとでも形式が変わると解けなくなった。 僕が見た限り、その中二の生徒も、けして理屈がわからない訳ではないようだった。 比例・反比例、一次関数をやったのだが、 グラフは書けたし、y=axの関係も、それなりには理解していた。 ところが、反比例になると、分数が出てきて、とにかく答えが合わなくなる。 これでは、応用力もクソもないではないか。 僕は、こういう生徒は、とにかくたくさんの分数の計算をとき、 正しい計算ができるようになる。 そこではじめて、どうしてaを出すためには、両辺に分母をかけるのだろう、ということを理解すればよいと思うのだが。 ○「ゆとり教育」推進者に思うこと ゆとり教育を推進した代表的人物が、寺脇研だ。 著作も読もうとは思ったのだが、なにぶん手が伸びず、読んでいない。 wikipediaより、彼の経歴。 「寺脇研」より 1952年7月13日、当時九州大学医学部講師で後に鹿児島大学医学部小児科教室教授となる医師の父[2]の長男として福岡県福岡市で生まれる[3]。 外祖父も医師で九州大学総長を務めた[2]。 10歳まで福岡で過ごした後、鹿児島県に転居[4]。 ラ・サール中学校首席合格[2]。 中学二年生の時、成績が急降下したことで医者である父は激怒し、寺脇の好きな書籍や将棋盤をすべて海に廃棄し、「お前は医者になるのだ」と勉強部屋に彼を軟禁。 世の中を悲観した寺脇はこのときガス自殺を試みている。 ラ・サール高校を卒業後[5]、卒業時の成績は250人中230番台であったが、現役で東京大学法学部に進学した。 (改行は僕が勝手にいれた) 東大卒業後、官僚となって、教育に携わるようになる訳だが、 こんな現代のハンス・ギーベンラートみたいな奴が、 教育にくちばしを挟むから、世の中おかしくなるんじゃないか。 ○個人的「公文の弊害」考察 amazonレビュー「公文式“プリント狂”時代の終わり」より 公文式で失うもの, 2005/2/6 By カスタマー 私は小さな町で私塾を開いている者です。 去年初めて、公文式出身のお子さんを数人担当しました。 そうしたらどうも全員様子がおかしく、何と言ったらいいのか人間ぽさが少ないのです。 その公文出身者が皆同じように感情が出ず、会話がうまく出来ず、笑いを共有できず、感情が交わらないのです。 どう指導したらいいのか全くわからなくなってしまいました。 まずは子供たちがこうなった原因や理由を知り対策を考えようと思いこの本を読んでみました。 いろいろと参考になる部分があったので読んでよかったと思います。 特に公文の教室を運営している女性指導者の方の手記はとても興味深かったです。 ★が一つ少ないのは、著者自身の教育法や塾のやりかたの説明が多かった点が理由です。 私と同じような疑問や悩み(つまり公文出身者の精神的なリハビリはどうすればいいのか)をお持ちの方には姉妹書の『危ない公文式早期教育』(保坂展人著)の方が参考になるかと思います。 数学的才能を殺す公文式 , 2008/6/17 By 星明塾のひと (大阪府) - レビューをすべて見る 先のレビュアー様と同じく私塾を経営しています。 公文から移ってきた生徒には 1.計算は得意。早くてそこそこ正確。 2.とにかく慌てて問題を解くため、文章題をじっくり考えられない。 3.また、分からないところを教えても十分に咀嚼せず、すぐに次の問題に取り掛かろうとする。とにかく、早くやろうとする。 上記のような共通点があることに気付きました。 この本を読んで、公文式学習システムに原因があることがよく分かりました。 公文式の指導者達も実は弊害があることを分かっていて葛藤している方がいらっしゃることもわかりました。 それなりの効果があるからこそ、大きくなった公文式です。そこは認めないわけにはいきません。 しかし、弊害も知っておかなければならないでしょう。 事実、痛い目を見ている子どもが多いですから。 (改行は僕が勝手にいれた) こういうのを読んでると、僕に友達ができないのは、 公文式で人間性を破壊されたからなのか!とはっとする。 小島よしおがあんな風になったのも、公文式で人間性を破壊されたせいかも。 彼も消えそうで消えないですね。粘り強い。 上のレビューは、僕の人間性が破壊されてしまったせいか、なんか笑える。 そんな、公文式を習っていたくらいで、自閉症みたいな印象をもたれても。 下のレビューの方は、なかなか的を射ているかもしれない。 ・とにかく早くやろうとする癖がつく(考えない癖がつく) まぁセンター試験の、時間的余裕のなさなんかを考えれば、 必ずしも悪いことではないけど、深く考える力も大切。 なんでもかんでも早くやればいい、と癖がつくのは、確かに公文の弊害。 個人的には、この弊害は、中学生くらいで困る気がする。 中学生の問題って、適当に数字あてはめれば、機械的に答えが出る問題と、 すこしひねってある問題と、半分半分くらいになってくるからかな。 中学くらいになって、いかにして公文式の機械的学習から、 きちんとした考える学習に転換していくか、というのは大切。 amazonレビュー「危ない公文式早期教育」 すべての謎が解けた気分!, 2005/3/9 By カスタマー 大変読みがいのある本でした。 ★は5つ以上です。 私は個人塾をやっていて、かねてから「公文式」出身のお子さんに違和感を感じていました。 「受身」で「指示待ち」で「意思疎通が一方通行」で「自由が苦手」で「応用が苦手」「選良意識や優越意識で自分を保つので精一杯」というような(公文に通った期間の長さなどで個人差はありますが)おおむねそんな共通点がありました。 チックなどの症状についても本書に記述があり、ほぼ毎ページ「なるほど」「確かに」「そう!そう!」と納得できました。 自分の中でぼんやり感じていたことをこうもはっきりと文章で示されると怖いくらいです。 やや古い本ですが、内容は今も十分通用すると思います。 (改行は僕が勝手にいれた) 選良意識や優越意識で自分を保つので精一杯て。 公文を習っていたくらいで、そんなもん抱かねーよ、と思うけど。 なんかこのレビューした人は、公文コンプレックスでもあるのか。 後、個人的に考えるのは、 ・字が汚くなる ことでしょうか。 自分でもぱっと見、判読できない場合が多いので、 数学なんか特に、計算ミスが増える。 僕の場合、大学の受験勉強の時に、こりゃいかんと思って、直して、 今では上手いとは言われないけれど、人が読める程度の字は書ける。 僕がはっきりといえる弊害は、 ・とにかく早くやろうとする癖がつく(考えない癖がつく) ・字が汚くなる の二点です。