四十三庵

蔀の雑記帳

ボランティアと大麻の驚くべき酷似

○ボランティアは悪魔 ボランティアをやっている女と付き合いがあったのだけれど、 つくづくボランティアというのは人間をだめにするものだと痛感した。 ボランティアと言っても、やることは色々あるけれど、要するに組織的な無償奉仕である。 よくある「ボランティアやります!」と言って寄付金集めて、実は自分たちの生活費を賄うとか、 都会の一等地にでかい本部ビル建てちゃうとかいう連中は論外である。 ここでは一応、真面目に、ボランティアをしている連中のことを指してボランティアとする。 ・ボランティアの害 1)人の気持ちがわからなくなる 2)人より上に立った気になる 3)自己の人間性の問題が解決されたような気になる 4)無償奉仕の裏で費用を払っている誰かの存在を無視する 1)について。 ボランティアは無償で、善意を相手に与える訳だけれど、 無償であるがゆえに、大抵、相手の気持ちを忖度しない場合が多い。 「こんなことされたら嬉しいでしょ?嬉しいに決まってるよね」という前提で行動する。 もし相手が喜んでいなくても、「別にあなたから金もらってる訳じゃないし」と正当化できる。 そういうことを繰り返していると、次第に人の気持ちなんて考えなくなる。 これは危険な習慣である。 2)について。 アグネス・チャンの児童ポルノ禁止運動が、異様に高圧的であることが、いみじくも象徴するように、 ボランティアをやっている人間は、やっていない人間よりも自分は高尚である、と信仰している。 ボランティア中毒者がよく言う台詞に、 「ボランティアは人間を成長させてくれます☆」というのがある。 しかし現実的、客観的に考えれば、ボランティア中毒者は何も成長していない。 何か特別な技術を得た訳でもなく、知恵を得た訳でもなく、 肉体を鍛えた訳でもない。何も得ていない。 もちろん本人は、精神面で「何か大切なもの」を得た、と錯覚するのだろう。 ボランティアをやることで、多少人間性がましになるのは認める。 その変化によって、「ボランティアをやらない人間はクズ」と思うようになるなら話にならない。 特に日本社会では、ボランティアの習慣が薄いので、 ボランティアをやってると変人扱いされる風潮がある。 そういう風潮に抗すために、日本のボランティア中毒者(長いので入力が面倒なので、以下ボラ中)「ボランティアをやらない人間はクズ」という価値観に侵されやすい。 これもまた危険。 3)について。 ボラ中というのは、大抵性格がどこか世間とずれている。 偏見では、声が甲高くて、理想論ばかり言っているような気がする。 これは別に、ボランティアが人間性を歪めてしまった、ということではあるまい。 むしろ、日頃から他人と上手く交流できない種類の人間が、ボラ中化することが多いのだと思う。 学校で上手く友達がつくれなかったような種類の人間で、 善良志向や名誉欲が強い者は、ボランティアのてっとりばやさに惹かれるのだろう。 僕も学校で上手く友達がつくない人間だが、幸いボンランティアに手を染めることはなかった。 人間性の問題を抱えたまま、ボランティアで 「自分は何か大切なものを得た」と思い、2)で縷々述べたような優越感を抱くので、 人間性の問題は矯正されないまま、温存される。 危険である。 4)について。 ボランティアの担い手は、 ・定年後の老人 ・暇をもてあました主婦 ・暇をもてあました学生 が多いときく。 こいつらが無償奉仕なんてことをできるのは、 老人なら年金、主婦なら旦那の稼ぎ、学生なら親の稼ぎ によって、自分の生活が支えられているからである。 人の金で生活している分際で、「自分はボランティアに勤しむすばらしい人間だ」と思う訳だ。 これは倫理的にどうなのか。 石原慎太郎が税金で家族旅行に行った、という話があったけれど、 あれで石原都知事が、「自分は家族サービスをきちんとするすばらしい父親だ」と思うようなことが、 ボラ中の間では、当然のように行われている。 ○ボランティア撲滅 そもそも僕はボランティアをさせる人間が大嫌いだ。 「本来金を払ってやらせるべき仕事を、人の善意にかこつけて、 合法的にただ働きさせること」がボランティアの本質だと思っている。 これを、冒頭に言った女に言ったら、 「私は好きでやってるの」と言った。 それが一番厄介だな、と思った。 僕の目には、彼女が薬物中毒者に似て見えた。 そこで僕は、豁然と、ボランティアと大麻の、実に驚くべき類似に気づいた。 両者の酷似は、多岐に渡る。 ボランティアは、 ・中毒症状がある。 (一例) ・家族、友人、恋人を犠牲にする。 (主婦がボランティアにはまって家事を省みないのはよくある話で、 冒頭の女は、ボランティアに没頭するあまり、僕とほとんど会わなくなったので、 彼女はボランティアのために彼氏を失ってしまった) ・全能感を与える。 (「あぁボランティアをする私はすばらしい人間なんだなあ!」つまりボランティアの害2)のこと) ・人の気持ちがわからなくなる。 (ボランティアの害1)のこと) ・自己の人間性の問題が解決されたような気になる。 (ボランティアの害3)のこと) ・理由のない幸福感に包まれる。 ・俗世間のことがどうでもよくなる。 大麻は、 ・中毒症状がある。 ・家族、友人、恋人を犠牲にする。 ・全能感を与える。 ・人の気持ちがわからなくなる。 ・自己の人間性の問題が解決されたような気になる。 ・理由のない幸福感に包まれる。 ・俗世間のことがどうでもよくなる。 これだけ読むと、どっちがボランティアでどっちが大麻なのかわかりない。 しかし考え方によっては、大麻よりボランティアの方が、悪いかもしれない。 薬物中毒者は、薬物を使うことに、少なからず罪悪感を抱く。 ところが、ボラ中は、ボランティアに手を染めることに、誇りを抱く。優越感を抱く。 社会的にも、薬物は非難の対象だが、ボランティアは賞賛の対象である。 したがって、薬中は、社会が全力でやめさせようとするが、 ボラ中は、むしろ社会が、ボラ中になるよう、薦められることさえある。 もちろん大麻よりはましな部分もいくらかあるが、人格に与える害悪は、似たようなものだ。 まぁ別に、ボランティアを生きがいにしてもらっても、 僕がこれだけ書いても、ボンランティアがすばらしいものとしか思えない人は、それでもいい。 僕も、災害ボランティアだけは、ボランティアの中でもいい行為だと思う。 ○結論 僕は問いたい。 あなたは、それでもボランティアをやりますか?