四十三庵

蔀の雑記帳

アフリカ

○「人生甘くないよ」 (第1回)ゾマホンについて (第2回)ベナン共和国とは・・・アフリカの歴史とは・・ (第3回)日本のマスコミについて思う (第4回)日本とアフリカの関係について (第5回)日本の若者たちへ (最終回)日本とアフリカの未来 ○アフリカは危険地帯か? 確かにアフリカ=危険地帯という認識が、僕にもあったなあ。 ソマリアあたりは論外だが、よう考えたら、安全な国もあるのは当然だ。 以下の文章ではアフリカをいっしょくたにして書いているが、ご容赦願いたい。 ○ボランティア撲滅運動推進者蔀様的貧富縮小方策 ・先進国がアフリカを貧しくしているのか? 左系の連中はよく、 「世界中の富が先進国が独占している」とか 「先進国が貧困国から搾取している」とかぬかすけれど、 実際は先進国は先進国なりに経済発展につとめて、 発展途上国は戦争や内紛ばっかり愚にもつかないことばかりしているから、 貧富の格差が広がったという、極めて単純な現象であって、独占だの搾取だの、的外れも甚だしい。 この手の、「言葉遊び」的な批判は、左翼系の論者の常套手段である。 もし興味があれば、朝日新聞の「天声人語」を読むもよい。 野党時代の民主党社民党も得意技だった。 大体の物事は、二面性をもっていて、どんなによく見えるものでも、悪い部分だけを強調すると、悪く見える。 視点や価値観をいじれば、万物に対して、批判することが可能である。 たとえば、イチローのことを、 「パワー不足でホームランを打たないバッターで、小手先の技でごまかしているだけの選手」 と表現すれば、この文章だけでは、クソ選手のように感じる。 実際は高打率、好守備、好走塁の、ホームランは打たないが、活躍している選手なのだが、 ここではわざと価値観をいじくって、 「野手にとっては、ホームランを打つことが一番重要である」 ↓ 「ホームランを打てない選手はクソである」 と言う流れで書いているため、イチローを批判できた訳。 これをごく個人的に、「価値観のすりかえ」と呼んでいる。 「2ちゃんねる」では本当に多い。しょっちゅう見る。 自分が感情的に気に入らないものを、「価値観のすりかえ」によってけなす訳だ。 「2ちゃんねる」に限らず、テレビ新聞、学者一般人、 様々な場所で、様々な人物によって、「価値観のすりかえ」は行われている。 前述の、先進国は発展途上国を搾取だの、富を独占だの言う批判は、 「言葉遊び」と「価値観のすりかえ」を併用したものだ。 世の中で、正論のように、堂々と主張されているのは、 そのすりかえた価値観が、人道主義に基づいた、非常に倫理的に思われるものだから、非難しづらいのだ。 無論、アフリカの貧困の原因には、ヨーロッパのクソ白人どもの植民地政策がある。 そういう意味では、アフリカの貧困は先進国が招いていると言えなくもないが、 しかしよくよく考えてもらいたいが、もしアフリカが優秀な帝国を築いて、 侵略してくる白人どもを駆逐できたなら、植民地になんかならなかったのである。 つまり、アフリカは元々貧しかったものを、白人どもが植民地として支配し、搾取してきたせいで、 その貧困を克服する契機を奪われた、のである。 重要な点は、白人どもの搾取のせいで、アフリカが貧しくなったのではない、ということだ。 ここの事実認識を誤ると、何でもかんでも白人のせい、という誤った結論に至る。 この誤解は、結構多い。 もちろんアフリカの貧困問題で、一番悪いのは白人である。 しかし次に悪いのは、他ならぬアフリカに住む黒人どもである。 アフリカの黒人は、白人に国土を侵略されてる時に、 民族がどうとか、宗教がどうとか、部族がどうとか、くだらねえことでうだうだ紛争を繰り返す馬鹿どもだ。 ・ODA(政府開発援助)は有効か? 発展途上国の経済成長促進のために、日本は国債膨らましてまで、 予算から発展途上国(アフリカの比重は少ないらしいけど)に対するODAを捻出してきた。 まあしかし、ODAはムダである。 第一に、発展途上国自身がムダにするというのがある。 つまり向こうの政府が、有効に使えないということ。 大体、地球規模で見た高学歴の集う、先進国の政府でさえ、税金をムダに使いまくっているのに、 発展途上国の政府に、上手い税金の投入ができるのかは、甚だ疑問だ。 独裁国家にODAなんかやれば、まず軍事費に投入されるのは必定だ。 まともな国家なら、多少なりとも役に立つかもしれないが。 第二に、先進国は発展途上国に、ODA以上の損害を経済構造上与えているということ。 たとえばTOYOTAがアフリカ車に負けることは想像できない。 これは、様々な分野においてもそうで、 競争力のある先進国の企業は、アフリカの企業を簡単に淘汰できる。 その結果与えている損害というのは、ODAの金額を凌駕するはずだ。 まあこれは、あくまで僕の予測だが。 企業がしこたま搾り取って、政府が雀の涙ほどのODAを出す。 まさに焼け石に水という構図。 焼いているのも、水をやるのも先進国で、アフリカが石である。 第三に、ODAによる金の流れは、経済上、不自然かつ不合理であること。 単純に考えよう。ODAとアフリカの貧困の関係が、 ODAがない場合アフリカは貧困状態 ODAがある場合アフリカは貧困状態でない だとする。 一応、まずはこの関係が成り立たない場合を考える。 この関係が成り立たない場合は二通りあって、 1、ODAがある場合もアフリカは貧困状態 2、ODAがない場合もアフリカは貧困状態ではない (無論、ODAがあったら貧困で、なかったら貧困でないということはありえない) 1の時、問題は、ODAがあっても変わらないのか、少しはマシになったがまだ貧困状態なのか、である。 変わらないなら、当然ODAは打ち切るべきだ。 少しはマシという程度なら、ODAは有効ではあるが、極めて非効率的な金ということになる。 (この、「少しはマシ」という場合をパターン1とする) 2はあまり現実的ではない。 さて、 ODAがない場合アフリカは貧困状態 ODAがある場合アフリカは貧困状態でない という関係が成り立つ場合を考えよう。これはODAが極めて有効に働いていると考える場合である。 この場合、重要なのは、アフリカの健全な経済状況が成立するために、ODAが必要不可欠になることである。 そうなると、アフリカ人にとって、自国の経済成長によって貧困を克服するより、 先進国にODAを出させる方が効率的であることになる。 つまりアフリカは、国の経済状況をよく保つためには、貧困国でありつづけなければならない、という ジレンマ(板ばさみ状態)に陥ることになる。 前述の通り、経済的には、先進国企業との競争には勝てない場合がほとんど。 そんな困難な状況下で、ODAによって貧困が解消されるなら、 アフリカ人がODA頼みになってしまうのも仕方ない。 労働意欲は減少し、皮肉なことに、経済成長は更に遅れるだろう。 第四に、ODAは先進国側の財政問題で、中断したり停止したりする。 発展途上国側の都合にあわせて払われる訳ではない。 ODAの有効性があやしいのは以上の通り。 そうなってくると、日本のODA額が世界一だったのも、あまり自慢できた話ではない。 公共事業と同じ、ムダなことに湯水の如く金を注ぎ込む政策の一環でしかないのかもしれない。 まあ日本政府にしてみれば、別にODAでアフリカがどうなろうと、しったこっちゃないんだろう。 「ちゃんと発展途上国のことも考えている先進国ですよ^^」 「戦争をきちんと反省した、人道主義を基調としたすばらしい平和国家ですよ」 という面ができればいいんだろうから。 まさに「ボランティア精神」の塊! ・ではアフリカのために、どうすべきか? 答えは、「何もしないこと」だ。 もっとあたたかい言い方をすれば、 「アフリカ人自身の成長を見守る」 ことである。 アフリカ人自身による経済成長でなければ、何の意味もないのだ。 ODAでいくら貧困をごまかしても、張子の虎で、打ち切られた瞬間に、元の貧困国に逆戻り。 アフリカの企業が、先進国の企業に勝たなければいけない。 そうなれば、ムダな軍事費に予算を費やす余裕はない。 昔からこのように考えていた。 ゾマホンの「人生甘くないよ」を読んで、この考えが正しかったのだという確信を得た。 大体、貧困ボランティアの連中は、アフリカの黒人どもを、過小評価している。 「(アフリカ人は絶対に自力で裕福になることはできないから)助けてあげましょう^^」 という訳。 由来、貧困系ボランティアワーカー程、熱烈な差別主義者はいない。 アフリカ人が貧困から抜け出すためには、アフリカ人が頭使うしかねーじゃねーか。