四十三庵

蔀の雑記帳

芥川賞6「糞尿譚」火野葦平

○あらすじ 彦太郎は、とりたてて取り柄のない男で、唯一の特技が、 「じゅげむじゅげむごこうのすりきれず……」の、「長久名の長助」の名前を、 一字一句間違えずに言えることだ。 そんな彼が、汲み取りの商売をはじめるが、予想が外れて、なかなか採算がとれない。 金を借りるため、土地の有力者にかけあうことになった。 ○感想 面白かった。 すごい終わり方。 火野葦平っていうと、戦争作家のイメージだけど、こういうのも書いてるんだね。 戦前のビジネス小説。 ○職について 思想的に潔癖な人々が、「職に貴賎はない」なんていうけれど、 実際じゃあお前明日から「汲み取り業な」って言われれば、 「なんで私がそんなこと!」と言い出すに決まってる。 汲み取り業は今はもうないだろうけど、卑職というのは、 表立っては言われないかもしれないが、現代でも存在する。 介護の仕事だって、 「お年寄りのお世話をする素ん晴らしい仕事です!」 なんて建前で言ったって、実際百人いたら九十九人は卑職だと思ってる。 「それじゃあどうして年寄りどもの子供は、その素ん晴らしい仕事をしないんですか。自分の親なのに」 「それは彼らにも、上京したとか、共働きだとか、子育てだとか、さまざまな事情があって……」 「じゃあ介護士も、他で働いたり、子育てしたりした方がいいんじゃないんですか?」 「そんなことはありません!介護は立派な仕事です!」 (うるせー馬鹿!てめえらみたいな役立たずのクズども、ジジババのクソの処理がお似合いだ!) という訳。 ○「本音と建前」が議論を成り立たなくする 僕は、「本音と建前」というのが大嫌いで、 建前ばっか言う連中は白眼視してるし、 もっとひどい奴になると、建前がホントに自分の思想になっていて、 僕なんかはそういう奴を見ると、暗澹とした気持ちになる。 「介護士に失礼だ!」と言われても、そういうあなただって、 本音では介護士より自分の仕事の方が上だと思ってるくせに。 介護という仕事は、クソだ。 しかし僕は、介護士が自分より下だとは思わない。 それが本音。 現実にせよ、ネット上にせよ、何かを議論する時に、 どこまでが本音で、どこまでが建前なのかによって、往々にして議論が破綻する。 「介護士は卑職か」というテーマがあったとしたら、 ある程度公的な場であれば、まずほとんどの人間が、「卑職だ!」とは主張しない。 それが建前というものだ。 実際、本音の部分では、多くの人間が卑職だと思っている事実は、公的な場では真逆になる。 もちろん建前を使って、程々に韜晦するのは、社会適応の術として当然なんだけど、 それが議論の場になると、議論を根本から無意味なものにしてしまう。