四十三庵

蔀の雑記帳

試験の高得点は内容理解の必要条件でしかない

僕は高校受験、大学受験と二度とも第一志望に落ちたことが原因で、という訳でもないけども、
試験制度というのに強い関心を持っている。
試験制度について、普段考えていることを書く。


○大学の成績評価は試験一発でよい
出席をとると必ず不正が発生する。
高校みたいに出席簿で一人一人確認すればいいんだけど、それもね。
また、出席率=内容理解ではない。
就活で欠席したり、やむを得ぬ事情での欠席もありうる。
そしてそのことを悪用して、自分の欠席を正当化する連中もいる。
よって大学では、試験一発の評価が最も公平公正となる。


○もし教師と学生の距離が近いなら
しかしこの試験一発が最も公平公正である、というのは条件があって、
学生の数が多かったり、指導する期間が短かったりで、学生の顔・事情が把握できない場合に限る。
もしこれが、小中学校、高校のように、指導がかなり固定化されるのであれば、話は変わってくる。
教育的視点で考えれば、統計的には当然出席率が高い方が理解率も高いことが言えるので、
学生を出来るだけ出席させた方が良い(もちろん授業内容がクソでないのは当然の話)。
そこで、出席+テストが最もよい評価システムとなる。


○テストの効用
よく受験批判派は、
「テストはいかに教科書の内容を記憶しているかを試すだけの、単なる暗記人間を育てるだけの最悪の茶番だ!!!」
といった風なことを言ってテストを批判するが、これは間違い。
なぜかというと、人間は内容の理解なしに自分の脳に記憶することは出来ないからだ。
(稀に理解しないでも記憶できる才能を持った人間もいないことはないが、ごく少数である)
そういった丸暗記方式の勉強をしている人間は、学力が伸びない。
そういう人間は、勉強=丸暗記だと思っているから、「東大生は記憶力がいいだけ」という酷い誤解をしていたりする。
僕は、大学受験の勉強の中で、高校の指導内容をより深く理解できるようになった。
というか高二まで全然理解していなかったということだが。
だから、テストを設けることで、ある程度理解を深めることは出来る。
テストなしで、授業だけで何かを得ることができるというのは、


・実践的なもの
 語学、株式投資など
・教養的なもの
 たとえば哲学だとか、神学だとかいった内容が、テストに馴染むだろうか。
・学生のレベル・学習意欲が高い場合
 ある程度学生のレベルが高ければ、テストをしないでもいい。
 たとえば帰国子女のクラスで、英語のテストをする意義はあまりないだろう。
 授業は何か洋書でも読んだり、映画でも見たり、洋楽きいたりしながら、更に英語力を高めるように設計すればよろし。
 学習意欲が高ければ、むしろテストのための勉強時間はムダな時間でしかない。


といった特定の内容状況に限られる。


○テストの限界
教育システムとして、テストはそれなりの効用を持っている。
しかし評価システムとしてはどうだろうか?
つまり高校入試、大学入試などで、テストが用いられるが、これは評価システムとして妥当だろうか?


評価システムとしてのテストは、おのずから限界を持っている。
それは、
試験の高得点は内容理解の必要条件でしかない
ということだ。
「内容を理解している」→「試験で高得点をとる」
ということは一般的に成り立つ。
理解しているが試験は解けないという場合は、
・自分では理解しているつもりだったが、客観的には不十分だった。
・テスト内容が不適切である。
の二つしかない。
完璧に内容を理解していれば、適切な試験内容である限り、点数はとれる。
問題は、
「試験で高得点をとる」→「内容を理解している」
が成り立たないことだ。
もちろんテストで高得点をとれば、ある程度内容は理解しているだろう。
しかし一般的に成り立つであろうか。日本の学校制度の中で考えてみると、一般的には成り立たないことがわかる。


現行の日本の制度だと、私立では小学校/中学校入試というのが存在するが、それは少数なので、考えない。
高校受験、大学受験を考える。
高校受験を経て、高校に入学したとする。
A高校、B高校という二つの高校があって、偏差値はA>Bである。
基本的にA校を落ちた奴がB校に行く、という風な関係になっている。


・A高校の一学年の学力分布
50・・・55●●●60●●●・65・・70(偏差値)
(・は割合が少ない、●は割合が多いことを示す)


・B高校の一学年の学力分布
30・・・40●●●50●●●・・60・65


A高校は、平均が偏差値60台、B高校は平均が50台と、割と大きく差がある。
A高校の方が全体として偏差値が高いことは明らかだけれど、しかしよく見て欲しい。
B高校には(少ないけれど)60〜65台の学力を持った人間がいて、
彼らがもしA高校に行けば、A高校の半数以上を占める偏差値60未満の層よりも上ということになる。
B高校の秀才層である彼らは、高校受験においては、A層の平均以下の層に負けた訳だが、
実際に持っている知能は、Aの平均以下の層よりも高いということになる。
(「A高の生徒は、地頭がいいから、普段は勉強しなくても、受験になると一気に学力を伸ばすよ」なんていうことは考えないが、
現実的には平均以下の層の半分くらいは受験期/浪人期に偏差値を急上昇させるが、半分くらいはさほど上がらない)
これはテストによる選別が完璧ではないことによる。
選別が完璧であれば、B高の上位層と、A高の下位層は、逆転している筈だ。


ただしだから受験がダメなのだ、という安易な結論には行かないで欲しい。
もしこれが面接やら内申点やらで決まっていたら、この逆転現象は更に拡大している筈だ。
入試選別というシステムがある程度機能しているから、逆転現象がこれだけ小さく抑えられていると考えるべきだ。


今の日本がこの逆転現象をどう処理しているか、というと、
大学受験によって、再び選別が行われることで、この不自然な状況が是正される。
大学入試で一旦学歴がリセットされて、大学で再び学歴が再生産される。
A高校の下位層はC大学、中位層はB大学、上位層はA大学へ。
B高校の上位層はA大学またはB大学へ。中位層・下位層はC大学へ。
という感じで、高校受験の際の選別失敗が、大学受験で多少是正される。
しかしちょっと考えればわかるが、これもまた完璧ではない。
新たな逆転現象が生まれることになる。


以上の僕の考えが、現実的でないと考える人々がいるなら、卑近な例で申し訳ないが、一つの例をあげよう。
僕の大学には、次の三つの高校から一浪して入って来た生徒がいる。
開成高校[普通]77(ただし中学入試で入った)
浦和高校[普通]73
川越高校[普通]71
ちなみに僕の高校の偏差値は今調べたら65。
あながち非現実的、低学歴の理想論的な考えだとは言えないでしょ。
もちろん上の三人は少数派でしかない。
だってテストの選別は、「ある程度」機能しているから、開成高校は毎年100人以上東大に行く。


○ではどういう選別システムが最もよいのか?
基本的に入試というシステムが、現行、最良の選別システムであることは間違いない。
問題は上記の不完全さを、どのようにして補うかを考えていかなければならない。
入試と「その欠点を補完する何か」が必要なのだが、どうもいいものが思いつかない。
まあそんなもんがあれば、とっくに導入してるんだろうけども、何かないかなーと思う。