四十三庵

蔀の雑記帳

現代日本の根本的な問題について

話は日本だけに限らず、先進国ならどこでもそうなのかもわからないけれど、とりあえず日本に限定する。


○導入
現代の日本では、やれデフレが収まらないとか、やれ政治が混迷しているだとか、
少子高齢化がどうのこうのと、色々言われている。
その文脈の中でよく挙げられるのが、
「日本人の当事者意識の欠如」
である。
何かを批判する際に、物事を前進させる方向に論を組み立て、行動するのではなく、
自分は何もせんくせにごちゃごちゃ批判ばかりする。
2chしかり、マスコミしかり。
批判するなら、まずお前がやれよ、ということらしい。
酷い論者になると、この当事者意識の欠如は、日本人の民族性に根付いている、
素晴らしき欧米様を見習いたまえという、いつもの結論になる。


○しかし
「当事者意識の欠如」に関しては、確かにそのような実情が日本に存在するのは事実だ。
しかし僕は、これはもっと全然別の問題なのではないかと思っている。
(別に「当事者意識の欠如」が好きな人はそれでもいいんだろうけど)


○消費者になる日本人
僕は、日本人全体が消費者になっているのではないかと考えている。
戦後六十年、日本は飛躍的な経済発展を成し遂げた訳だけれども、
その中で国民は子供の頃から、消費社会の中で生活していった。
たとえば食い物、家、自転車、文房具、とにかく日常で使うものの中で、
一体どれだけのものを我々が生産しているだろうか。
自転車がパンクしても、大半の日本人は修理することすら出来ない。
大半の日本人が仕事で生み出すのは金だけだ。
第三次産業に従事していれば、「サービス」という形なきものを売ることになる。


別にこの生活様式そのものを否定したいのではない。
経済発展を成し遂げれば、自然と農工業から人々は遠ざかってゆく。
しかし精神面で、完全に消費者になってしまった国民が、
或いはそういう国民で構成される国家に、何か潜在的な可能性が存在するだろうかと考えると、僕はそう思わない。


○音楽において
音楽チャートを見ていても、生産的な音楽が存在しないのに驚かされる。
ブサイク48人集めてごり押ししたクソアイドルが握手券つけて売り出したクソ曲だとか、
嵐のクソ曲が年間売り上げ10位以内を席巻している。
彼らの曲と言うのは、既存のJ−POPの積み上げた要素を「消費」していく曲だ。


○結論
僕は、現代日本の根本的な問題は、国民が全て消費者になってしまい、生産者がいなくなったことだと思っている。