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四十三庵

蔀の雑記帳

学習過程のブラックボックス

論考 資格・勉強

学習過程にはブラックボックスが存在する。

学習→理解


この単調な流れが、「勉強」と言われる作業だ。


・学習
たとえば塾・学校の授業を受けたり、教科書・参考書を読んだり、ネットで調べたり。
もっと学問的になると、論文読んだり、研究会に出たり。
基本的には、知らなかった情報に対して接近することだ。


・理解
で、その「知らなかった情報」を自分の中に既知のものとして蓄えることが、理解だ。
最近「教育心理学」なんかの講義で仄聞した用語を使うと、
長期記憶として自分の中に定着させるのが「理解」だ。


言うは易し、行なうは難しで、この学習過程は説明すれば簡単だが、
「じゃあ実際どうやって○○を勉強すればいいの?」
という話になると難しい。
特に自分自身のことを考える。
昔は僕も数学・英語の偏差値が50前後だったもんを、大学受験のために60超えるくらいまで伸ばした訳。
一応それなりに成功した学習だと自分では思っている。
「理解」した今の時点から、自分の過去の学習過程を考えると、
「これはやらなくてもよかったな」というものがたくさんある。
今だからわかるのだけれど、「学習」時点ではそこが見抜けなかった。


これは何故か。
学習過程に存在するブラックボックスのためである。

僕の考えを図示してみた。
上記の学習から理解の間には、上手く言葉にできない、というよりも一般化できない「何か」が存在する。
これを僕がブラックボックスと考えているものである。
学習過程はこのブラックボックスを通して行われる。
理解する前からは、このブラックボックスの中身は見えない。
ここが重要である。
しかし、理解の後は、このブラックボックスの中身がある程度わかる。
(ある程度である)


教育の一番の難題は、このブラックボックスをどうやって通過させるか、である。
また、自分の勉強に関しても、一番難しいのはここだ。
二十一世紀にもなって、未だに「教師」なんて職業が存在するのは、
このブラックボックスが厄介であるからだろう。