四十三庵

蔀の雑記帳

これからの資本主義が抱える問題

問題は種々あるにせよ、我々は豊かになった。
10年前と比べて豊かか、と言われるとちょっと疑問だけど、
少なくとも長期の話では、我々は豊かになった。
江戸時代の日本人と、現代の日本人の、どちらが豊かかと問われれば、間違いなく我々だ。
何が違うのだろう。
根本的な要因は、たった二つ。

  • 資本蓄積
  • 技術水準

この二つの向上だ。
この二つのものの向上が、我々の生産性を向上させた。
江戸時代もかなり農業だの商業だのの進歩は著しかったが、それでも現代と比べれば、弓矢と鉄砲くらいの差がある。
日本人一人一人の知能・能力を考えた時、そんなに進歩しているとは思えない。
むしろ退化しているのかもしれない。
ただ、蓄積された資本(たとえば生産性の高い工場や信頼の置ける企業、トラクター、農薬など)を使い、
高い技術水準(機械の使用、電力、コンピューター)を学ぶことで、
昔に比べて金を稼いだり、物を作ったりすることはひどく容易になった。


マルサスの「人口論」によれば、人類は定常的に飢餓・貧困に見舞われる筈であった。
生産が拡大して、人口が増えると、
生産が算術級数的(1、2、3、4……)に増えていくのに、
人口は幾何級数的(1、2、4、8……)に増えていくので、
人口増加が生産上昇を常に上回る。
結局これは飢餓や貧困、疫病によって人口が減少することで調整される。
そして人口が調整されると、また生産が上昇して、人口が増え、
増えすぎた人口がまた飢餓や貧困で……ということを繰り返す筈であった。
少なくともマルサスの生きていた時代くらいまでは、この陰鬱なプロセスは続いていた。
このプロセスをたちきったのは、技術革新であった。
農薬の進歩、品種改良、農学の進歩、トラクターの導入などなどにより、
農業生産の飛躍的な向上が、人口の増加を上回ったのだ。


現代、作ろうと思えば我々はもっと多くの農作物を生産することが出来る。
しかしその必要はあまりないので、作らない。
作りすぎても値崩れが起こり、よくないのだ。
そう考えると、現代の先進国は夢のような世界だ。
もはや我々は明日の食糧の心配をしていない。
もっと高度なことを考えられる。(考えてないけど)
もっと高度な経済活動に従事できる。
普通、経済発展は第一次産業(農業)→第二次産業(工業)→第三次産業(商業)の順で行われ、
日本含め、先進国はこの順番で進歩してきた。


日本のような先進国では農業・工業に携わるものは少なくなってきた。
別にそういう仕事を選んでもいいが、大抵はあまり儲からない。
高所得なのは、大抵商業、サービス業だ。
もっと具体的に言えば、金融、商社、マスコミ、コンサルなどだ。
これらは余人よりも知的に優位に立っている人間が求められているために、高給であるとされる。
「能力」あるいは「実績」に対して支払われている高給だ。


所得格差を正当化する論理に、
「高所得者は正当な努力をして、競争に勝ち抜いた結果、高所得を手に入れた。
競争は社会全体の富を増加させる。
低所得者は、高所得者の所得を奪うのではなく、彼らなりに努力して、自分たちの地位を向上させるべきだ」
というものがある。
しかしこの理論は多くの問題がある。
その一つが、「生産」を産み出さない第三次産業に人が集中してしまえば、
結局の所経済はダメになってしまうということだ。
第三次産業が高所得、第一次・第二次産業が低所得だとすれば、当然誰もが第三次産業へ従事しようとする。
今、日本で起こっていることがそれだ。
大学進学率50%という異常な数字の示すものは、どいつもこいつもサービス業に従事しようとしているということだ。
日本国内では、農業・工業が急速に廃れている。
最近一部のマスコミで
「就職難なら人不足の農業に活路を見出せ」
という論調があるけど、そういう問題ではない。
所得格差正当化の理論は、もうちょっと過激なもので、
「有能な人間が高所得を得て、無能な人間が低所得に甘んじるのは当然だ」
という応能原則のような理屈もある。
マスコミは、
「お前らのようなクズどもは、田舎で土いじってんのがお似合いだ」
ということを柔らかい形で伝えようとしているのだろう。


仮に日本で農業・工業が全く消滅してしまった場合を考えても、別に問題はない。
海外から輸入すればいい。
だから日本国内で第三次産業化に偏っても、問題はさほどない。
ただこれからの世界経済を考えた時、発展途上国がいよいよ先進国と同水準まで豊かになる。
となると、やはり彼らの国々でも第三次産業へのシフトが起こる。
すると生産量はどうなるのだろうか。
いつか足らなくなる時が来るだろう。
経済学を半端に勉強した人間は、
「そうなれば農作物・工業品の需要が高まるから、
利潤動機で企業が農業・工業に参入して、再び生産量が上がるから心配ないよ」
と考えるだろう。
だが果たして、第三次産業の高い利益率を捨てて、わざわざ第一次産業第二次産業に参入するだろうか。
はなはだ疑問だ。
そうなれば古代の奴隷労働さながら、一部の人間を従事させるしかなくなる。
しかし民主主義国家ではそんなことはできない。
ここで資本主義は行き詰る。