四十三庵

蔀の雑記帳

三島由紀夫の文章技法

一体金閣を焼くために童貞を捨てようとしているのか、童貞を失うために金閣を焼こうとしているのかわからなくなった。
(「金閣寺」第九章)

三島由紀夫は、知っての通り、極右思想家に分類していいような、右寄りの思想の持ち主だが、
これは1970年代の日本で、切腹して死ぬという時代錯誤な死に方で強く印象づけられている。
実際彼自身がいくつかの文章の中で、自分は右か左かで言えば右だと認めている。
(世の中全体が左に寄っていると、中道でも右になる、とも書いているが)
しかし、彼の文章というのは、保守性とは程遠い。
もっと端的に僕の印象を表明すると、三島由紀夫の文章は日本語ではない。
昭和の文豪で言えば、川端康成谷崎潤一郎などの文章が、日本語の王道であろう。
彼は右翼思想家であり、愛国家で、「日本人」であることを強く意識していたにも関わらず、
彼の文章は日本語の典型からかけ離れているのだ。


だからと言って、彼の文章が悪文だとは言えない。
むしろ僕は三島由紀夫が今現在までに日本で誕生した中で最も優れた小説家であると思っている。
彼の文章は美しい。
僕は彼の天皇崇拝などの思想を自らも保持しようとは思わない。
(いくらかの共感は持つが)
思想が極端に振れるのは戒めるべきである、と思っているからだ。
そして、彼の小説は、素晴らしい。
今の所僕が読んだ中では、最も面白い小説であった。


小説としての面白さは卓越している。
文章は美文であるが、修飾過多の、ちょっと異常な文である。
僕は彼の小説を読むたび、ギリシャ・ローマなどの大理石で敷き詰められた西洋建築を想起する。
多分彼の文章を読んで、日本の伝統を感じる者はさほどいないだろう。


ロマン主義の影響
なぜ極右思想と裏腹に、彼の文章は日本の伝統から離れているのか。
その根本的な原因は、彼の若年時代にある。
彼が影響を受けたのは、西欧のロマン主義であった。
彼が魅せられたのは、西欧の詩・散文であった。
「花ざかりの森」にはかなりその耽美主義と早熟の文才の萌芽が見られる。

この丈たかい鉄門のまえに立つとき、そのなかに営まれている生活を想像することに、
だれしもはげしい反撥をかんじずにはいまい。
唐草紋様の鉄門はきっちりくぎられた前庭と鬼瓦のような玄関だけをのぞかせていた。

その時、紫の幔幕のようにうつくしい秋空いっぱいに、わたしはわたしの家のおおどかな紋章をちらと見たのである。


ちょっとこの小説はすさまじい。
十六歳が書いた小説とは思えない世界観で、物語性をほとんど持っていない。
多分抜粋した部分が、小説中でどういう場面で使われてるのか、
全く想像できないと思うが、想像するだけむだである。そういう小説なのだから。


○東大法学部へ
結局彼は文学部に入らず、法学部に入ることになった。
そして大蔵省に入ることになる。
この法学の勉強が、彼の文章を一変させたようで、
後年の彼の文章と、先の「花ざかりの森」を比べれば、一目瞭然である。
耽美主義に陥って、美しいことは美しいけれど、読んでいてとらえ所がなかった彼の文章は、
法学仕込みの厳格な論理性を獲得することで、大理石のような美しさを放つようになった。


○文体改造
また、「金閣寺」執筆前に、三島は森鴎外の文体を参考にして、自ら文体改造を行う。
ボディビルディングも始め、肉体改造にも取り組み、
若年期の色白で痩せぎすの文学青年のイメージを一変させ、
後年の坊主頭で筋肉むきむきの文学者らしからぬ容貌となる。


○古典と辞書
彼の文章に関する発言には、重要なもので二つある。

  • 「美しい日本語を書きたければ古典を読め」
  • 「辞書は引くものではなく、読むものだ」

お前の文章のどこが古典を参考にしてるんだと言いたくなるが、
本人は日本の古典文学から影響を受けていたつもりらしい。
そして辞書に関する発言は重要である。
これは、辞書を読み込んで、語彙を身につけることで、高度な文学小説が書ける、
うろ覚えの言葉があるから辞書で引いていてはダメだ、という意味だが、
普通なら単なる衒学的な発言とみなしてもいいような言葉だ。
しかし彼の小説を読む限り、僕は本当に辞書を読み込んでいたような気がしてならない。
彼の異常な語彙力を考えると、辞書を読み込んでいたと考えてもおかしくはない。


○「金閣寺」に見る三島の文章技法
以上が、三島由紀夫の文章の裏側にある諸々の要因である。
ここから、彼の文章技法がどのようなものか、分析していく。

  1. 文章構成の異常性
  2. 哲学的・逆説的表現
  3. 漢語・仏教用語の使用


1、文章構成の異常性
通常、何か文章を書こうとしたら、
「僕は今日犬の散歩をした」
という文があれば、次に続くのは、何があったか、の説明が来る。
「犬は途中で別の犬とすれ違い、はげしくほえた」
まあこんな文が来るだろう、と予想する。それが普通の文章構成というもので、
この調子で文章を書いていくと、非常に平坦な、「意味」だけを伝える文になる。
ビジネスだとか、ニュースだとかならば、このような平易な文でいい。
最近の文壇の流行は、英語の影響などもあり、easy to understandな文章が喜ばれる。
村上春樹のぺらぺらな文が賞賛されたりする。
三島由紀夫の文章は、この対極にあって、次に来る文章が何か想像することは出来ない。

目がさめたとき、皆の置き忘れた私のまわりは、
小鳥の囀りにみたされ、朝陽がまともに紅葉の下枝深く射し込んでいた。
白骨の建築は、床下から日をうけて、よみがえったように見えた。
静かに、誇らしげに、紅葉の谷間(たにあい)へ、その空御堂をせり出していた。
(「金閣寺」)


もちろん、風景描写によって、登場人物の心情を表現するのは、小説技法の初歩の初歩である。
しかし三島由紀夫のこの文章は、典型的な小説技法を使っているとは思えない程の、文章構成上の異常性を秘めている。
頭が魯鈍な人間がこの文章を読めば、自分が何の話を読んでいるのか忘れてしまうだろう。
文章が破綻すれすれになりながらも、辛うじて一つの小説としての体裁を保っているのは、三島由紀夫の緻密な構成力にある。
彼の小説は、大抵時間軸は過去から未来へ流れていき、回想シーンなどはあまり入らない。
書き始める前に、かなり詳細な部分まで設定をつめてから、書いているのだろう。
そのため小説の構成としては、非常にシンプルになっている。
その構成力によって、一文一文のつながりから見れば異常で、破綻しかけている文章が、
一段落一章のまとまりとして見るとむしろ他の小説よりもまとまっているようにすら見える。
大理石の美しさは、この辺りから来ているのだろう。


2,哲学的・逆説的表現
さらに彼の文章を難解に見せている要素が、この哲学的・逆説的表現である。
特に人間心理の描写に関する彼の表現のすさまじさは、ちょっと類を見ない。
よく「小説の登場人物に共感できました!!!」なんていう意見を抜かす奴がいるが、
まず「金閣寺」なんか読んだら発狂するだろう。

『裏切ることによって、とうとう彼女は、俺をも受け容れたんだ。彼女は今こそ俺のものなんだ』
(「金閣寺」第一章)

……私はようやく手を女の裾のほうへすべ(原文は珍しい漢字)らせた。

 そのとき金閣が現れたのである。
 威厳にみちた、憂鬱な繊細な建築。(後略)
(「金閣寺」第五章)

ほとんど呪詛に近い調子で、私は金閣にむかって、生まれてはじめて次のように荒々しく呼びかけた。
「いつかきっとお前を支配してやるぞ。二度と私の邪魔をしに来ないように、いつかは必ずお前をわがものにしてやるぞ」
 声はうつろに深夜の鏡湖池にこだま(原文漢字)した。
(第六章)


僕自身の好みを言えば、はっきり言ってこういう人を煙に巻く表現は好きではないし、
結局の所この手の表現に、本質的な意味などはなくて、単に。
しかしこの表現が、三島文学が「難解」と評される原因であろう。


3、漢語・仏教用語の使用
しかも「金閣寺」「豊饒の海」では、一般人はまず馴染みのない仏教用語を多用したり、
1000頁くらいの辞書だと載ってないような難解な漢語が出てきたりする。

その晩の薬石は粉食であった。真黒な、目方の重いパンに、野菜の煮附だけである。
幸いに土曜であったので、午後から除策になり、出かけるべき人はもう出かけていた。
今夜は内開枕で、早く寝てもよし、十一時まで外出していてもよし、
あまつさえ、明朝は「寝忘れ」と謂って朝寝ができた。
(第六章)

まあわからなくても、何とか読みすすめられるようにはなっているけれど、結構きつい。


○まとめ
三島由紀夫の文章の難解さ、あるいは非日本語的な印象をつくりあげているのは、

  1. 文章構成の異常性
  2. 哲学的・逆説的表現
  3. 漢語・仏教用語の使用

にある。