四十三庵

蔀の雑記帳

経済学について

経済学とは何の学問なのか。
もちろん経済に関する学問であろう。
しかし経済学が経済の何たるかを明らかにしているかというと、大いに疑問である。
経済と経済学の間には乖離がある。
(この乖離が、僕の経済学部に入ろうというモチベーションになったし、
今現在も、周りがちゃらちゃら遊びまくってる中で、
クソの役にも立たない経済理論を何が楽しいのか学び続けているモチベーションになっている)


僕は、経済学とは「価値」(value)の学問なのではないか、と思っている。
もちろん金や資産などの、経済的価値もそうだけども、それ以上に人間にとって大切なものとは何か、
社会にとって大切なものは何かまで、本来経済学は内包して、その上で理論を構築すべきだと思う。
無論、大半の経済学学習者は、「いやそれは違う」と思うだろう。
「経済学は価値判断をする学問ではない」というのが、大半の経済学者の意見だろう。
現代の経済学では、価値判断は「哲学とかそういう領域でやるべきもの」であり、
経済学はあくまで「Aという価値観に従うなら、aが適切な選択で、Bという価値観ならb」という風な結論を出す学問という風に、
いわば自己抑制してしまっている。
「思考ツールとしての経済学」という姿勢は、必ずしも否定すべきものではないだろう。


愛だの正義だのという概念は、経済学的発想となじまない、という考えが、現在では一般的だ。
そういった概念は、哲学的なものだ、と思うだろう。
ただ、本来の経済学は、十分哲学的であった。
A・スミスは元々経済学者などではなく、哲学者であった。
ケインズ、ヒックスの著書にも思想性があふれている。
マルクスは言うまでもない。
元来経済学と哲学は切っても切れない関係にあった。


経済学を学問として進化させるためには、やはり「価値」というものを根底にすえないとダメだと思う。
何も愛や正義が一番重要だから云々などという、いかにも優等生的なお題目を導入しろというのではない。
何が社会のために重要なのか。
所得分配はどうあるべきなのか。
政府はどこまで介入すべきなのか。
そういった問題をクリアするのに、哲学者の考えを援用しても、適切な答えが出るとは思えない。
経済学者が、自分で哲学者になるしかないのだ。


経済学は数学を導入して、自然科学にすりよりすぎたせいで、
異様に人文科学的方法を軽蔑・排除するようになってしまった。
これは半ばマルクス経済学のせいで、しょうがないっちゃしょうがない。
しかしソ連崩壊以降マルクス経済学はほとんど力を喪失している。
自然科学的アプローチに、人文科学的アプローチも内包した、最強の社会科学を経済学は目指すべきだ。
そんな幼稚なことを考えています。