四十三庵

蔀の雑記帳

どうして日本の知的エリートは大したことないのか?

僕も最近知ったんだけども、日本の知的エリートは大したことない。
もちろん東大受かるような人々は大したもんだと思うんだけども、世界的に見ると大して評価されないらしい。
東大ブランドは世界には通用しない。灘高トップはエール大学を選んだ

「東大に居ては、世界で戦える人材になれない」とエール大学に乗り込んできた。結論から言えば、1億2000万人の中から秀才が集う学校と、65億人の中の英才が集まる環境では、その舞台が与えてくれる可能性は比べ物にならない。

この話をきいたからといって、
「明日から東大生馬鹿にしまくろう!」
と思った読者諸子は、自分がそいつらより頭悪い現実を忘れてはいけません。
東大生を馬鹿にしまくれば、東大すら入れなかった読者諸子はもっと馬鹿ですから、
ますます自分の地位を低めることになります。


○東大ってどうよ?
「世界大学ランキング」で、東大は大体15位〜30位くらいに入る。
(各調査団体によって、評価基準が異なるんで、ある程度はバラける)
こちらのサイトから拾ってきた2010年のランキングでは世界で24位。
(これを高いと思うか低いと思うかはあなた次第)
さて、ランキング上位30位に関してなんだけど、

1位 イギリス・ケンブリッジ大学
2位 アメリカ・ハーバード大学
3位 アメリカ・エール大学
4位 イギリス・ロンドン大学
5位 アメリカ・マサチューセッツ工科大学
6位 イギリス・オックスフォード大学
7位 イギリス・インペリアルカレッジ・ロンドン
8位 アメリカ・シカゴ大学
9位 アメリカ・カリフォルニア工科大学
10位 アメリカ・プリンストン大学

11位 アメリカ・コロンビア大学
12位 アメリカ・ペンシルベニア大学
13位 アメリカ・スタンフォード大学
14位 アメリカ・デューク大学
15位 アメリカ・ミシガン大学
16位 アメリカ・コーネル大学
17位 アメリカ・ジョンズ・ホプキンス大学
18位 スイス・チューリッヒ工科大学
19位 カナダ・マギル大学
20位 オーストラリア・オーストラリア国際大学

21位 イギリス・ユニヴァーシティカレッジ・ロンドン
22位 イギリス・エジンバラ大学
23位 香港・香港大学
24位 日本・東京大学
25位 日本・京都大学
26位 アメリカ・ノースウェスタン大学
27位 イギリス・ブリストル大学
28位 カリフォルニア大学バークレー
29位 カナダ・トロント大学
30位 イギリス・マンチェスター大学

アメリカを赤、イギリスを黄色(見づらくてごめんね)で色分けしてみた。
するといかにランキング上位を米英が独占しているかが歴然となる。
そう考えると、アジア圏で上位30位内に食い込んだ香港大、東大、京大はなかなかがんばっているようにも思える。
しかしやはり世界的に見ると、大したことないのだろうか。


考えてみると、日本の知的エリートは大したことないのではないか?
アメリカには、「25歳で物理とビジネスと英文学のPh.D持ってて、
しかも多趣味で、ロックが好きでCDも出してて、最近はスキューバダイビングにはまってます^^」
みたいな、並はずれた知的エリートが存在する。
中国や韓国の留学生なんかのエネルギーもすごいですね。
僕の大学レベルですごい奴らが結構いるから、もっと上のトコはもっとすごいんだろう。
生まれながらの天才って感じではないけど、その分努力がすごい。


それと比較すると、東大生なんてしょぼい。
日本の知的エリートはしょぼい。しょぼすぎる!
急にそんな気分になってきましたね。
(今後日本の知的エリートがしょぼいっていう前提で話を進めていくけど、
「知的エリートの人達は素晴らしいんだ!」と思う人は読んでも怒らないように)


○どうして日本の知的エリートは大したことないのか?
日本人の知的エリートがしょぼい原因。
それは日本の学歴社会が甘いから。
だから、中国韓国イギリスアメリカの輩出する知的エリートとの競争に勝てないのだ。
たとえば中国では、北京大学を卒業して肉屋になったことが社会問題になった。
この辺りはお国柄の違いで、中国は
「高学歴=高地位・高所得」
を国民全体がむしろ理想的な状態として考えている。
賢い優秀な人材に、重要なポストをあてがうのは当然だと考えているのだ。


韓国の受験戦争の苛烈さは有名である。
受験の敗者はそのまま人生の負け組になるので、受験となると家族総出のビックイベントとなる。
(どうでもいいけど、韓国ドラマはすぐ主人公留学するよね。
日本のドラマもあれくらいポカンポカン留学させたらもうちょっと留学熱が上がるんでないだろうか)


知のディズニーランド、ハーバード大学
こちらの記事には、ハーバード大学の学習環境の良さが賞賛されている。

これらの講演会やセミナーはすべて無料で、大学に関係ない人も参加できる。しかも昼どきのセミナーなどは、ハンバーガーなど簡単な食事と飲み物が無償で用意されている。
(中略)
 ハーバード大学には、いくつかの美術館や博物館があるので、芸術や文学、歴史、科学、医療などの分野の学術イベントも膨大にある。多すぎて、それらの情報までチェックしている余裕がないのが私の現状だ。
(中略)
 このように、無数の授業や講演会、音楽や美術などのイベントなどの中から、面白そうなものを見つけて参加するという日々は、まさに「知のディズニーランド」にいるかのようだ。たくさんのアトラクションの中から好きなものを選んで一日をすごすという、ディズニーランドの遊び方に似ているからである。

ハーバードの学生はよく勉強している。図書館も深夜12−1時ごろまで開いている。宿題をこなさないと卒業できないという現実もあるが、勉強する楽しさを感じている人も多いはずだ。授業のシステムは、聴衆を引き付ける技術を持った教授の講義を聞き、指定された大量の本を読み、学生どうしで討論する会合に出るという「聞く・読む・話す」の3つの要素を組み合わせたもので、系統的に理解が進むようになっている。

もっともこの好待遇は馬鹿高い学費が一部支えている訳ではあるんだけど、
基本的には政府からの研究費だとかを元に設立された莫大な金額のファンドが存在し、資金運営をしている。
(どこぞの国の大学のクソ資産運営と違い、きちんと利益を出す所がさすが)


さて。。。
日本における「学歴」の価値は、確かにそれなりにあるでしょう。
東大入れば大体の企業に就職できるし、とにかく価値があることは間違いない。
だが上の中韓米英のような「超学歴社会」の国々での、「学歴」の絶対的価値と比較すると、
日本の「学歴」の価値は大したことないし、日本の「学歴社会」はまだまだ甘い。
低学歴にも逆転の余地があるし、高学歴の待遇・社会的地位も比較的低い。


このことが日本の大学の「ぬるま湯」的環境をうみだす。
上の、灘からエール大学に進んだ学生の記事から、アメリカの知的エリートどもの
「競争的な空気」(competitive atmosphere)を感じる部分を抜粋する。

ただ、世界の名門大学は厳しい舞台だ。誰でも安易に挑戦できるわけではない。ここを生き抜くためには3つの力が必要だ。まず英語。少しでもハンディキャップがあれば、授業やパーティーで誰も相手にしてくれない。


 次に、芸がないとつらい。世界の名門校に集う学生は、多彩な才能を持つものが多い。その理由は、古賀氏も指摘しているように、受験制度が記憶力偏重ではないからだ。高校時代、受験勉強で明け暮れる学生はいない。スポーツや芸術などで自分を磨いた者が受験でも大いに評価される。


 プロ級のマジシャンでもある古賀氏はその芸で、大学の中で存在感を発揮している。しかし、そんな彼から見ても凄腕に事欠かない。「同じ1年生でも、社交ダンスの欧州チャンピオンから高級ブランドの現役モデルまでゴロゴロいる」(古賀氏)。


 最後に積極性。日本人と比較したら自己主張の塊のような連中だらけのキャンパス。アメリカの大学生の社交場であるパーティーでは、積極的に自らを売り込まないと友達ができない。英語、芸、積極性。これらが世界スケールで通用するものでなければ、「孤独感から自殺してしまうかもしれない」と、ある日本人留学生は語る。

こういう人間が、外資系企業に進むので、外資系企業も競争的な空気でみちみちている。
まあまともな感覚を持った人間なら、ギスギスしてると感じるだろうが、
自らをエリートともって任じる彼らなら、むしろ無能な人間どもがにやにやたらたら生産活動に従事している環境の方が、
よほどいらだつのであろう。


○「ぬるま湯」はそんなに悪いことか?
以上で大体、僕の考えた「日本のエリートがしょぼい理由」の説明は終わる。
以前の僕ならここまでで終わりなんだけども、最近少し思想が柔らかくなってきたので、
最後に「ぬるま湯はそんなに悪いことか?」という問題提起をして、その回答を丸投げして終わる。


競争はもちろん効率的な資源配分には欠かせないものである。
有能な人間を選別して、一ヶ所に集めて競争させ、「超エリート」を生産していくアメリカの大学は、
今後も世界中から留学生を集め続けるだろう。
対して、日本のろくに英語も話せない東大は、あくまで「日本人中心」のものであり続けるだろう。


しかし学問というのは、そんなに尻に火をつけられて、
「隣の奴を蹴落とせ、一番になれ」の精神で学ぶようなものなのだろうか。
そして人より恵まれた頭脳をもった連中が、なぜ一般人よりも苦しい環境に置かれなければいけないのか。
日本の「東大生」は、海外の大学生ほど競争していないかわりに、海外ほどの地位は与えられていない。
進振りで日本の大学生の中では、競争してるけれども)
彼らは日本の中で一種の特権階級である。
知的エリートとしての称号は十分持っている。
後は自分の好きなように、勉強するもよし、適当に学業をやりすごして就職するもよし。
(京大生はもっと顕著である)


「ぬるま湯」なら「ぬるま湯」で、別に問題はないのである。
日本人のまったり勉強したい連中は東大京大に行き、「真のエリート」になりたい連中はアメリカの一流大学で、
競争しまくる、という風にすみわけすればいいのだから。
一番よくないのは、中途半端に競争的な雰囲気を持ち込もうとして、
元々の日本の教育機関のよさまでぶちこわしてしまうことだ。
今、日本で行われている教育改革はまさにそんな感じだ。
「競争的な雰囲気」の欠点だけ導入して、「ぬるま湯」のメリットを消す結果になったら笑うに笑えない。