四十三庵

蔀の雑記帳

京大カンニング事件から見えた「本当の」問題

ついに犯人は捕まった様子。
大方の予想に反して、カンニングは一人で実行したらしい。


この事件はどうしてこんなに話題になっているのだろうか。
もちろん京都大学yahoo!知恵袋なんか使ってカンニングしたというアホな手口が衝撃的だったというのはある。
しかしそれよりもっと重要な問題が、この事件には潜んでいる。
恐らく皆薄々感づいているのだろうけども、


本当は試験制度って意味ないんじゃないの?


という問題だ。


●大学から見たテスト
入試の問題なんていうのは、落とすために作られている。
「試験の高得点は内容理解の必要条件でしかない」
という記事を書いたが、大学入試問題なんていうのは内容理解を測る尺度としても微妙である。
それでも制度として成り立っているのは、目的が選別だからである。
ちゃんと頭がいい奴はあのクソ問題でも、色々対策を練って、なんだかんだで通っていくのだ。
しかしこれは大学側の理屈である。
「大学のため」には入試制度が最良であることは明らかだ。
(ちなみに僕は推薦入試、AO入試は全部廃止すべきだと思ってる)


●受験生から見たテスト
しかし「受験生のため」にはどうだろうか。
大学入ってから習う勉強に、高校の教科の基礎知識がないと、かなり苦戦することになる。
そういう意味では、過度に難しい入試制度が、
高校生の学習インセンティブになって、必死こいて勉強するんで、試験制度には受験生にもメリットがある。
僕もまあ大学受験の時に人生ではじめて勉強したくらいなんで、このメリットを享受している。


●一定の意義
「お勉強→記憶」という誤解は根深い。
人間意味がわかってないことを記憶できるようになっていないので、
大量に記憶するためには意味を考えなければいけない。
教育心理学でいう、短期記憶から長期記憶への昇華だ。
ごくごく稀に意味もわかってないのに大量に記憶できる奴もいないでもないけど、
そういう奴はお世辞にも頭がいいとは思えない。
そういう人種の大半は、生得的に物事の意味への感受性が高くて、
教科書に載ってる内容の意味がほとんど一読で理解できるんじゃないかと思う。
だから実際は、
「お勉強→意味の理解→記憶」
というプロセスが勉強になる。
最終的に記憶力の勝負になるのは否めないだろう。


●本質的意義
ところがだ。
今の世の中で記憶力で知能を測ること程アホくさいことがあるだろうか。
こうしてブログに今カタカタ打ち込んでるけれど、
時間さえあればこのブログに高校の教科書の内容くらいだったら全部打ちこめる。
それにプラスして、受験で出るような応用的な内容も網羅しておけば、大学受験の問題は9割方解ける。
ゆとり教育」路線が進んで、入試問題も少しずつ変わった。
「知識は基礎的なものを使うだけで、考えさせる問題」が増えたのだ。
それでも「知識は基礎的なものだけ」で受験生の一割くらいが解けるような良問というのは、理想でしかない。


大学以降の研究作業となると、試験制度の無意味さはますます際立ってくる。
大学には持ち込みの試験も多いが、そもそも試験制度自体不要と思っている教授も多い。
研究という作業は、参考書・論文・PC・他人の知恵など利用可能なあらゆる手段を使って進めてゆくのであって、
そこで直面する困難さは、テストで感じる困難さとは全く異質なもので、むしろ正反対と言っていいかもしれない。
テストの困難さは、究極的な話、作問者にきけば解決する。
研究の困難は、答えのないことにアプローチしていく所にある。
(研究者でもない一介の学部生の僕がなぜこんな知った風なこと書いてるのかという疑問はさておき)
茂木健一郎が今回の件でブチ切れてたのは、この辺の価値観から出る怒りなのだろう。
つまりテストには本質的な意義がない。


●今後テストを運営する際の制度上の問題
無論「教科内容の基礎力育成」というメリットを重視して、
「テストに意味がないなんて私は思わない」という人もいるだろう。
しかしそう思わない人種は、確実に今後増えて来る。
茂木健一郎なんかはまだ多少異端という感じがするけれど、
torrentで落とした音楽をきいて、マジコンで入手したゲームを不正改造でゆうゆうとクリアして楽しんでいるガキどもなんかは、
むしろ共感するんじゃないだろうか。
倫理的・感情的な是非はともかくとして、そう感じる人間がいた場合。


今回のカンニング事件の手口は、ニュースで推測された手段とは裏腹に、割と単純で、
「試験官何してたんだよ」
という感じのものだった。
犯人は一人で、しかも使ったのは携帯電話で、yahoo知恵袋なんていう有名サイト。
何考えてたのかはわからないが、多分捕まってもいいと思ってたのだろうか。


しかしもしカンニングする人間がカンニングに全力をつくしたなら、
果たして日給8000円くらいで雇われてる学生バイト(結構割のいいバイトなんやで)と、
いやいややってる教授に、そのカンニングを見抜くことは可能だろうか。
たとえば眼鏡に小型カメラをつける。
それで外部の協力者に試験問題を転送する。
カンニング犯は髪を伸ばして、両耳が隠れるくらいまで伸ばす。
耳に小型のイヤホンをはめて、協力者からの解答を待つ。
協力者はyahoo知恵袋なんか使わずに、PC教科書参考書を全て駆使して、答案を作成する。
従って協力者はそれなりに頭がよくないといけない。
少なくとも教科書参考書を用いれば正答が作成できる程の。
しかも試験の時間制限と答案作成の時間を考えると、複数いなければいけない。
条件は厳しいが、けして不可能ではない。


テクノロジーの進歩の中で、
もはや試験制度などというのは終わコンなのだ。


●だからといって
そんなことを大学がわかってないとは思わない。
大学も「入試制度ってホントクソだよな」と思ってるはずだ。
それでも試験制度が続いているのは、それ以上の代替物がないからに過ぎない。

「実際のところ、入試制度は最悪の制度と言うことが出来る。
これまでに試みられてきた、他のあらゆる制度を除けば、だが」
ウィンストン・チャーチル