四十三庵

蔀の雑記帳

わかりやすい文章について〜「私」と「あなた」の壁〜

日頃書く文章はともかくとして、とりあえずブログでさらす文章は誰が読んでもわかりやすいように心がけているつもりだった。
なんだかんだで大学一年の時から二年間くらいシコシコ誰が見る訳でもない、
大してアクセス数もないブログを書き続けて、まあ何とか50000のページビューを得たのは望外の喜びであります。
(検索で来て直帰してる人がほとんどだけど)



ブログの文章で僕が心がけていたのが、
「長文を書かない」
ということだった。
要点・核心だけを書く。


理由は、
・電子媒体は長文読むの疲れる
・僕自身の更新の負担が軽減される
・くどくど書くのは好みではない
の三つである。
読者の利益、僕の利益・好みに合うんだから、当然短い文の方がいい。



最近になって、「自分の文を客観的に読む」という訓練をしている。
趣味で小説書いたりしてるんですが、自分ではどんなもん書いても楽しいのだけど、
人が読んでも楽しいかというと首をひねらざるをえない。
どんなブサイクな赤ん坊でも、母親は「うちの子はなんてかわいいのだろう」と思うのと一緒で、
自分の書いた小説というのは、当然自分の好みに100%合致するように書かれてるし、
全部自分の書いた文だから文との呼吸も合うので、普通に自分で読むと過大評価しがちになる。
客観的になるというのは、普通考えられている以上に難しい。


他人が読んで、良いと思う文章を書くには、やはり伝える意図、伝えようとする意図が大切なのだと思う。
多少文が難解であったり、文法上混乱していたりしても、
その伝える意図を書いた人がしっかり持っていれば、割と読めるものらしい。


伝える意図を持ち始めると、文章は必然的に多少長くなると思う。
読者の思考レベルだとか、文章の呼吸だとかが、自分と違う以上、
「自分では」蛇足だと思われるような一文を、どうしても挟まざるをえなくなる。
このブログもクソの役にも立たない書評をいっぱい書いてるけど、
あれは完全に
「自分が後で内容忘れた時に思い出す手がかりとして、何かしら書いとけばいいや〜」
と思って書いてるだけなので、ホントに他人が読んだら無益この上ない書評だと我ながら恐ろしくなる。
amazonレビューに投稿するやつはもう少し人の便宜にかなうように書いてるけど、そんなに変わらないだろう。



今学期の目標は、もう少し他人が読んで評価されるような文を書こうということ。
今まではそういう優等生的な態度は避けたいと思っていたので、
「俺がこれで必要十分だと思ったら、これでいいんだ! わからない奴は皆バカ!><」
くらいな気持ちで書いてたんだけど、最近になって、
知能や読解力の問題というよりは、
「他人が自分の書いた文章を読む」
という際に生じる情報の問題から、自分が理想としてたような内容が凝縮された短文というのは、
ものの役に立たないのではないかと気づいた。



この自分の発見を、早速「あなた」に伝えるための具体例として、
テキトーに誰かのamazonレビューを引用してみよう。

23 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0 初めて聴いた後に叩き割ったCD, 2009/2/25
By Nero - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 黒夢 SELF COVER ALBUM「MEDLEY」(DVD付) (CD)
まずこれだけは断言できます。
純粋な黒夢ファンは絶対に買わないほうがいいです。

ボーカルとして劣化して点をあげると
・高音が出なくなった
・ビブラートが出来なくなった(多少はありますが素人レベルです)
・短いシャウトが出来なくなった
大きく目立つ点はこの三つです。

これだけでも、今の清春黒夢を歌えないのはわかってもらえると思います。


それだけではなく、アレンジが酷い
例えばMARIAはスカ調のギターなのに間奏にアルペジオとも言い難い変な単音弾きが入ってます。曲として終わってます。



今の清春が好きな清春信者には何も言いません。
大人びた〜、深みが〜と適当に言って”混ざってしまった”清春に貢げばいいと思います。


黒夢ファンの皆さん、試しに聴いてみるのはいいですがCDを叩き割って手を怪我しないように気をつけてください。

僕が仮にこの文を書いた張本人だとしよう。
僕は、
・昔の黒夢ファン
・昔の清春の歌い方を知っている
・原曲を知っている
・このセルフカバーアルバムはクソだと思っている
という前提があって、このレビューを書いてる。
しかしこのレビューを読んだ「あなた」はどうだろうか。
まずセルフカバーアルバムをきいて、それなりに気に入っていたら、
この酷評レビューを呼んで、「クソなのはお前の耳だろうがこのクソが」と思うはずである。
さらに「黒夢っておいしいの?」というレベルの読者になると、
「こいつはなんでこんなに怒ってんの? 嫌なら買うなよ。試聴した段階でやめればよかったじゃん」
と冷静に思うかもしれない。
いずれにせよ、僕の怒りは「あなた」に届かないことになる。
これはなぜか、というと、ひとえに「情報」の問題だ。
情報の非対称性なんていうと経済学部っぽいけど、別にそんな言葉を持ち出すまでもない。
「あなた」に、黒夢清春の「情報」がないから、僕の素晴らしい酷評レビューが理解できないのである。


もちろんこの引用文はamazonの商品レビューなので、
多分この商品にある程度興味と知識を持った人間しか読まないので、
別に原曲を知ってる前提で書いても、別にいいんだけど、
問題はこのスタイルで、ブログだとかその他の文章を書いてしまうことだ。


「お前が俺の文章読んで理解できるくらいの知識持てよ!」
と思考停止するのは簡単だ。
しかしじゃあもし立場が逆になったとしたら、「自分」は「あなた」の文をどう思うだろうか。
恐らく読むことすらしないのではないだろうか。
「こいつよくわかんねえな」
で他のレビューに飛ぶだけだろう。
結局「私」と「あなた」の違いが、その文章に対する根本的な読みづらさになっている。
「わかりやすく書く」と言っても、この壁を超えることはできない。
他人の書いた文を「あれこれ自分が書いたのか?」と思うこともなくはないけれど、
読者全員にそういう感想を抱かせる文章はありえない。



書き手としてできる努力は、
・平易な語彙を使う
・論理展開をわかりやすくする
・主語と述語を明確にする
くらいなものだ。
しかしこれをがんばったからといって、十分ではない。
何事にも匙加減というものがある。
こういう努力をしている作家として、村上春樹が一番に浮かぶ。
僕は彼の文章は嫌いだ。
平易にすりゃあいいというものでもない。
村上春樹の文章は読んでいて、平易すぎて引っかからないから、
さらさら読めるかわりに、面白みが全くない。
この辺りの匙加減は非常に難しい。
難しいけれど、この匙加減が上手い人間こそ、文章の上手い人間と言えるのではないでしょうか。