四十三庵

蔀の雑記帳

村松剛「醒めた炎」

木戸孝允が主人公の小説というのは意外と少ない。
この小説(と言っていいのかどうか。後述)は、昔日経で連載していた新聞小説をまとめたもので、
上巻・下巻それぞれ800頁程、あわせて1600頁くらいの長さなので、非常に大変だった。
一度根性据えて読み始めると、意外とすらすら読み進めることができる。
特に序盤の欧米における日本の黄金郷伝説だとか、キリスト教にまつわることを戦国時代から遡って、
詳細に分析している部分は、司馬遼太郎の楽しい幕末モノに慣れた読者は発狂疑いなし。
事実僕も中学だか高校だかの、歴史小説に凝ってた時期にこの本に手を出して、
あまりに面白くなかったので、読まずに図書館へ返してしまった。
(僕が中高の頃に挫折した本はそう多くない。
当時はわからないなりに、なんとか一読してしまう場合が多くて、
読まないで返却するというのはよほどちんぷんかんぷんだった時だけだった。
ちなみに「共産主義批判の常識」も確か中学の時に借りて、挫折している)


今になって読んでみると、わりかし理解できた。
なぜ若かりし日の僕が挫折したかというと、僕の低脳もさることながら、
作者が小説家じゃなくて、大学教授で、文章もほとんど小説というよりは、研究書に近い。
「誰々の日記帳によれば、〜である。
しかしこれは誰々の何々によれば、〜であり、誰々がこの状況で嘘をつくとは考えにくいから、
おそらくは〜が正しいのであろう」
という風に展開が進んでいく。


じゃあだからと言って退屈かというと、そうでもない。
とにかく作者がよく調べて書いていて、木戸孝允のことだけではなく、
その周辺人物で、よくある幕末モノでは確実にスポットがあたらない人物までかなり詳しく出てくる。
(ただしそのせいで、マイナー藩の超無名な人物がぱっと出てきて、
そしてもう二度と登場しないということがザラにある)
物語性はほとんど捨て去られていると言っていいけれど、
幕末の事実を淡々と拾いあげて描写するだけでも、かなりドラマティックである。
創作性の排除に関しては、「あとがき」で、

幸いに中江雪江の『昨夢紀事』以下の記録や(中略)には、
当時の人々の会話が、しばしばそのまま引用されています。
それらを極力、活用するようにつとめました。

筆者が勝手につくった会話はひとつもありません。

と高らかに宣言しているくらいである。


木戸孝允っていうと坂本龍馬新選組あたりと比べると、
どうしても暗くて地味な人物を想像しがちで、ある程度それは事実なのだけれども、
長州藩というキチガイみたいな過激派の巣窟で、ワリを食ってる部分があって、
実際はイケメンで、剣の腕も立って、早くから洋学に興味を持っていて、
性格的にも人望があった人だった。
僕が好きなのは、蛤御門の変の後、兵庫(但馬出石)の田舎町に潜伏している時期の描写。
ただ事実を淡々と追いかけているだけなんだけれど、
それだけで十分小説として読めちゃうのがこの部分。
尊皇攘夷どころか長州藩が滅亡するかもしれない絶望的な状況で、
しかも自分は京都にいることもできず、長州藩にも帰れず、
潜伏しながら商人を装って生活するなかで、下女に手を出して、妊娠させるんだけど、流産した場面は、
本当に読みながら桂の鬱屈とした感じが伝わってくるよう。


まあその、非常に読みづらいせいなのかどうなのか、絶版になっちゃってて、
amazonの中古を探しても割と高くつくんだけど、図書館とかには結構あると思うんで、
是非読んでみると、感動すると思います。