四十三庵

蔀の雑記帳

社会階層再生産論

明治維新以来、日本では名目上法の下の平等が確立されているけれども、
(華族、皇族の問題は数が少ないのでここでは考えない)
今の日本人を見て、「皆平等だ」と抜かすアンポンタンはおるまい。
社会階層というのは厳然として存在する。


ここでは単純に、社会階層を「年収」という尺度で規定しようと思う。
もちろんこれには問題が多々あるけれど、一つの尺度としてはそれなりの妥当性を持っている。

こちらの図は、縦軸に年齢、横軸に年収をとっている。
低所得、中所得、高所得の三つに区分する。

すると生まれた時点で、低所得の家庭に産まれた者が高所得者になろうとするのは、
不可能ではないが、産まれた時点が最初から高所得だった者と比べると明らかに大変である。
もちろん貧しい家庭から這い上がっていく戦後よく見られたタイプの階層移転も、往々にして見られるし、
金持ちの息子・娘がろくでもなくて親の所得の10文の1すら稼げないという場合も多い。
けれども、そういったケースはあくまで例外的な事例であって、主流は「カエルの子はカエル」である。


だから社会全体としては、

このような形の分布が世代を通じて再生産されていく。
分布の形状は少しずつ変わっていって、今後の日本はもっと平均値が下にさがっていくと思われる。


なぜこのような再生産が起こるかというと、年収そのものというよりは、教育・文化・習俗の問題が大きい。
湯水のように教育費を注げば子供が伸びるかというとそうでもないのは、
中高一貫に通った良家の子女がよく示していると思う。
(公立中学出身の僕から見てもアホばっかだ)


低所得の家庭というのは、昔と違って、
母は内職で夜なべして、父は工場で働いて、懸命に息子の学費を……なんていうイメージではなく、
十代で同級生妊娠させて高校ドロップアウトして職を転々としてるとか、
大学なんとなく中退してなんとなくフリーターやってなんとなく結婚とか、かなり同情の余地は薄い。
そういう親の価値観は子供にもいろんな場面で伝わって、
結局子供もろくでもない一生を送るか、稀に「親父みたいにはなりたくない」と思って這い上がるかのどっちか。


そのように時代を通じて、少しずつ社会階層の中身は変化していって、
それによって全体もいつの間にか大きく変わっていたり、あんまり変わらなかったり。
常によくなっていく訳ではないが、常に悪くなる訳でもない。