四十三庵

蔀の雑記帳

城山三郎「男子の本懐」

つい二、三年前に、最愛の妻に先立たれ、痴呆の症状著しいまま亡くなった城山三郎
彼は一橋大学東京商科大学時代だっけ?)を卒業して、経済小説のパイオニア的存在な訳だけれども、
城山三郎の文章はいかにも経済学部出身らしい文をしている。
どの学部進むかだとか、何を専攻するかだとかで、大分文章の癖というのは変わる。
もちろん本人の生まれ持ったものを根こそぎ毀損するほどの影響力があるとも思われないから、
そこは化学反応的な部分があるのだろうけれども。
三島由紀夫は法学部に行ったが故にあの文体になったのだと僕は思っている。
そんなに異論はないと思うけれど、三島由紀夫が文学部に普通に通ってたら、
もっと耽美的で理解しがたい文章になっていただろう。
(疑う者は「花ざかりの森」を読むこと)


経済学部に入るとこういう文章になるという一つの典型が城山三郎だと思う。
僕の文章も多分段々これに近づいてるんだと思われるけど、
とにかく簡潔で、まあそっけない文章だ。
文章技工は一切なく、淡々と書いて、淡々と話が進んでいく。 

 内閣が倒れた。
 かねて経済運営の手づまり、汚職の続発、重要法案の流産などでゆさぶられてはいたが、内閣総辞職の直接の原因となったのは、一軍人の謀略であった。
 当時、満州一円を支配していた張作霖が、しだいに日本側に背を向けはじめたのに対し、豪を煮やした関東軍の一大佐が、ひそかに工兵隊を指揮し、北京から戻る張の専用列車を爆破して、張作霖を抹殺した。

この抜粋だけ見るとあまり小説全体の淡々とした感じは伝わらないかもしれない。
一章くらい読むとすぐわかるんだけど、さすがにそこまでカタカタタイプしたくはない。


昭和のこの時期、特に金解禁なんていうイマイチ扱いづらいものを扱った小説は少ないから、
かなり貴重なんだろうけども、城山三郎は意図的にそういう地味な題材で、ニッチな需要を狙ったのだろう。
かなり取材をきちっとしているみたいで、それはもう愚直なぐらいしているようだ。
ただまあちゃんと調べてないものを、文章力と想像力で押しこんでしまうのも、
小説家の一つの実力のバロメーターであるような気もする。
ちゃんと取材してる方が、誠実ではあるかもしれないけれど、
その分想像力の入り込む余地がなくなって、かえって無味乾燥な小説になってしまうむきがあるのは残念である。


文章とかそのへんに関してはそんなもんでいいだろう。
浜口雄幸井上準之助のコンビを描いている小説なんだけれども、
「静の浜口、動の井上」ということで、かなり対照的に描かれている。
幕末や戦国時代以外にも、こんなに面白い日本人がいたのだぞ、ということを書いている。
浜口にせよ井上にせよ、なかなかアクの強い人間である。
二人とも信条とか、美学とか、哲学とかを持っていて、豊富なエピソードはいちいち面白い。


僕が読んでいて思ったのは、正しい人間が正しい行いをするって訳じゃないということだね。
田舎から刻苦勉励して東大入って、最終的に総理と大蔵大臣になる訳だけれども、
最後の最後で間違った政策(金解禁・緊縮財政)に邁進してしまう。
もちろん小説の描写だと二人の行動は8割方肯定的に書かれているけど、
僕はむしろそういう皮肉な読み方しかできなかったね。