四十三庵

蔀の雑記帳

教育の力

0.
一応教職課程なんざとっているのだけれども、最近は色々疑問に思うことが多くなってきた。
「教育の力」というものを懐疑的な立場とはいえ、多少なりとも信じていたから、
教師になったろうと思ってたんだけど、最近はそれすら疑わしくなってきた。


1.
というのは、教育制度によって、
「親は貧乏て無学だけれども、本人はぎらぎら野心に燃えるガキが、
いけすかないボンボンどもを駆逐していくことが出来る」という風な、
素晴らしい世代間格差の打破の手助けができるんじゃねいかと思ってた訳なんだけど、
現実的にはこれがほとんど生じないんだな。うん。
人生の50%以上がどういう親から産まれたかで規定されてしまう現実があって、
その残酷な現実を、教育が変えるかといえば、変えない。
理想は理想でしかなくって、全然変えない。
むしろ教育(特に大学)が、そのいけすかない世代間格差の再生産を手助けしてるのが現実なんだね。


こういう話だと思ってくれればいい。
我々は車でレースをしている。
将来的に高い車に乗って、一流サーキットで走るレーサーと、
ゴミ収集車に乗って街のゴミ処理をする底辺ドライバーになるかが分かれる。
子供の頃から自動車学校に通って、ひたすら自動車の運転技術を磨く。
もちろん所得制限なんかはなく、誰でも自動車小学校、中学校には入れる。
理論上は貧乏人の子供でも、一流サーキットを走るレーサーになれるし、
事実一部のレーサーにはそういうのがいて、大人気スターになっている。
で、よく考えたら貧乏人の親は自家用車を持っていなくて、子供は学校でしか車に乗れないし、
何より運転技術が低くて、「車の運転なんて人間の価値とは関係ない」なんて言ってる奴だ。
一方レーサーの息子は、練習したければ自家用車に乗れるし、
何よりスランプに陥った時は高い技術を持った親からアドバイスをもらえる。
「制度的平等」がむしろ前提の不平等を覆い隠して、
底辺層は「努力が足りない。○○を見ろ」の名のもとに抹殺される。
現代人は封建制時代の身分制度と、現代の国民平等を比較して、
「現代の方が道義的に素晴らしい」という手前味噌な創作作品を山ほど残している訳だけれど、
実際は人間が社会を形成する限り、絶対に身分制度というものは何らかの形で発生して、
現代は教育制度によってその不平等がより合理的に処理されていて、そして正当化されているだけなのではないかな。


2.
もう一つ別の観点からも疑問がある。
社会全体が経済発展によって所々歪んでるんだな。
つまり学校でこつこつ真面目に努力して勉強してきた奴よりも、
ジャニーズに入ってケツの穴をジャニーさんに捧げた、学校もろくに行かないでテレビ出てるイケメン君が
サラリーマンの生涯年収分くらい稼いだり、親が政治家で強いコネを持ってるボンクラが一流企業入ったり、
(企業の目的が利潤動機である以上当然ではあるけど)
日夜遊び歩いてる低脳女が玉の輿おさまったり、
そういうろくでもない連中の方が社会で成功することが多いんだな。
「正直者が馬鹿を見る」とはよくいったものだと感心するけど、そういうことだ。
今の僕の気持ちだと、真面目だけど要領が悪くて多分MARCHくらいにしか入れない女子高生を指導したとしたら、
「勉強なんかしないで、JJとかananとか読んで、遊び回って男つくりまくるんだ」
というアドバイスをした方が、よほど「いい人生」を歩めるのではないかと思ってしまう。


つまりだね、そういう風な社会の歪みが、もろに教育現場に押し寄せてる。
大学で真面目に勉強している人間がほとんど文系にはいないのは頷けるだろう。
中学高校あたりまでは制度で押し込めていたけれど、大学あたりになるとその矛盾が一気に表面化する。
「努力と結果」のバランスが釣り合ってなくて、ほとんどの大卒が高卒並の脳味噌で卒業していく。
それは社会で評価されるものが、「頭のよさ」そのものじゃなくて、
「頭のよさを証明するだけの学歴」であるから。
それは詐欺じゃないかと僕なんかは思ってしまうんだけど、
世の中金蓄えた年寄りをだまして金を吐き出させる詐欺は非難されても、
大卒というラベルの貼られた高卒並の脳味噌という詐欺は横行していて問題ないらしい。
理系・医学部だとまだ多少状況が違うのかもしれないけど、
多分程度問題で、似たようなことは確実に起こっている。
社会が歪んでいる中で、教育にできることなんかあるかね?


高校の頃挨拶を励行されてたんだけど、実際社会で挨拶を交わしている人間はほとんどいない。
知り合いとあったらするくらいなもんで、近所の人とすら挨拶するかしないか怪しい。
そういう世の中で行われなくなったことを、無理やり真っ白な子供達に強権的に教え込むのが
正しい教育の姿なのかと突き詰めていくと、教育は何も出来なくなる。


3.
結局真の教育というのは、自分に対してだけ成り立つものなのかなと思うようになってきた。
もちろん教育に社会的意義は間違いなくあると思うんだけど、
それはかなり矛盾を孕んでいて、教育の持つ力は限定的なんじゃないかというのが最近の思い。