四十三庵

蔀の雑記帳

議論が平行線をたどる4パターン

  • 議論

「意見の違う人とでもお互い納得がいくまで議論して、認め合えばそれでいいよ」
なんて言われると大体反論できないけれど、現実、議論して何かいいことがあったことはない。
僕もそうだし、大抵の日本人はそうだと思う。
「北欧の高校生は議論のルールがわかってる!」
なんって言っても、多分海外でもそんなに議論でいい結論が出ることもないはず。

議論が平行線をたどるには、いくつかのパターンがあって、パターンごとに理由は決まっている。

  • ポディショントークになる

議論がポディショントークになったら、お互い満足の行く結論は絶対に出ない。
自民党民主党の政策は何でもかんでも否定するけど、それはポディショントークだから。
民主党も野党時代は自民党の政策を大体批判してた。
選挙のことを考えたら、よほど必然性の高い政策じゃない限り、批判する。
(流石に震災関連の法案は空気読んだね)

日本だけでなく、アメリカでも共和党が下手すると国債デフォルトしかねない状況でも、
強行に民主党に政治的譲歩を求めて、結果として期限ぎりぎりに法案可決となった。
(参考)
多分これでデットシーリング解決

  • 感情のぶつかり合いになる

男女平等とか、フェミニズムとか、その手の議論は不毛になると相場が決まっている。
基本的には、男と女のポディショントークになる。
しかしそれ以上に、議論が感情的になる。
男は学生時代女にモテなかったトラウマを爆発させながら、
女は学生時代男に馬鹿にされたトラウマをメラメラ燃やしながら、
「議論」という体裁で、実態はただの罵り合いになる場合が多い。

  • 揺るがない信条に触れてしまう

たとえば宗教であるとか、その人の心のなかで揺るがないようなことに関する内容に議論が及ぶと、
これもまた議論が無意味になる。
エホバの証人という聖書の内容を絶対的教義とする宗教が、輸血を禁止しているのは有名な話だ。
聖書の中に「血は清いもの」という文言があるから、輸血はダメ、という論理らしい。
当たり前だが、カトリックプロテスタントも聖書を聖典としているけれど、輸血は禁止していない。
大体清い血を守るために、神から与えられた尊い生命を失ってしまうんなら本末転倒じゃないか、
という話なんだけど、エホバの証人の信者とこのことをいくら議論してもムダである。
信者にとって、もはやこれは、正しい、正しくないという問題ではなくて、
「輸血をしないことが正しい」と思考停止して信じることこそ、彼らにとって重要なのだから。
宗教というのは考えても答えが出ないような死や生だとか、諸々の問題に対して、思考停止させてくれる所に価値がある。
当然イスラム教の信者に他の宗教の信者や無宗教の人間が議論しかけてもムダ。

上で共和党のキチガイ政治活動をポディショントークの例として出したけれど、
あれは「揺るがない信条に触れた」問題でもある。
共和党は「減税・規制緩和・自由至上主義=合衆国憲法に定められたアメリカがアメリカ足る由縁」と思っている。
だからこそ彼らの反対運動は理性を欠いた、宗教的なくらいに見える。

  • 議論をしている人間に問題に関する知識がない

「床屋政談」なんて言葉があるけれど、床屋での政治の議論なんていうのも、大抵不毛である。
なぜかと言ったら、議論をしている両者に、大した政治の知識がないからだ。
一見鋭い意見を言っているように見えても、実は新聞の受け売りだったりする。

2chの議論が不毛になるのも、
「ポディショントークで」
「感情的で」
「揺るがない信条に触れていて」
という三つ全ての当てはまる場合が多いからでもあるけれど、一番の原因はこの知識不足であろうと思う。

  • まとめ

不毛な議論になる代表的なパターン4つは、

1.ポディショントークになる
2.感情のぶつかり合いになる
3.揺るがない信条に触れてしまう
4.議論をしている人間に問題に関する知識がない

1〜4の全て(3はたまに外れるかもしれないけど)にあてはまっていることが、
2chでの議論がいかに不毛なものになるかを示している。

逆に実のある議論がしたかったら、
「ノーポディションで」
「感情を抑えて」
「揺るがない信条に触れない分野で」
「お互い十分勉強して」
議論をするということになる。
僕の大学でもそうらしいけど、専門分野の研究をしている人が、
コーヒーでも飲みながら、グダグダどうでもいい感じで雑談してたのが、
いつの間にか議論に発展して、それが結果的にはすごく有意義な議論になったりする。
(IT系でもそういう話はよくきく。
シリコンバレーではコーヒータイムからイノベーションが産まれるそうですよ)
それは偶然ではなくて、雑談で利害が絡まないから当然ポディショントークにはならないし、
どうでもいいと思ってるから互いに感情的になることはないし、
雑談なんで揺るがない信条にはそうそう触れないし、普段からよく勉強している分野だし。
むしろ議論を有意義にしたかったら、そういう形をとるしかないのではないか。

基本的に僕は議論しないことにしてる。
議論から得られるものなんてそうそうないと思うよ。
それなら最初から相手の言うことをきいて、疑問点を尋ねて、
自分の心の中で「ここは正しい」「ここは間違ってる」という審判を下すのがもっとも有意義なのでは。