読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

四十三庵

蔀の雑記帳

読書感想文の書き方

  • 読書感想文

小学校の読書感想文は教育上、たいへん有害である。
僕は読書感想文とかテキトーに書いて、テキトーに出してたので、
そもそも強い記憶があまりないのだけれど、世の中には子供の頃読書感想文が嫌いで仕方がなかった人が大勢いるようだ。

辛うじて高校の時に書いた読書感想文はおぼろげに記憶がある。
高1の時はカフカの「変身」について書いた。
高2が芥川龍之介の「偸盗」だったかな。
どちらも原稿用紙2〜3枚。
「変身」は小説の最後に載ってた解説読んで、「当時の労働者の環境を暗示してた」と書いていたのを、
そのまま自分の意見のように書いて、そしたら2〜3枚になった。
「この小説は、当時の労働者が、怪我や病気で一度体を壊して、
労働力として使い物にならなくなった時に、陥る状態のことを、毒虫として比喩的に表現したのである」
みたいなことを書いた(もうちょっと稚拙な文章だったろうけど)。
「偸盗」は、いがみ合っていた兄弟が、最後仲直りして、
弟が死にそうになってる兄を助ける(兄と弟が逆かも)というストーリーに、
「おいおい芥川さん、『鋼の錬金術師』じゃあるまいし、何そんな薄っぺらい勧善懲悪書いてるんすか」
ということを書いた。

別に読書感想文をすらすら書ける能力が、何かの役に立つとは到底思えないけれど、
「書けない」というのは問題である。
「書こうと思えば書ける」という状態がベストなのだが、「書けない」状態の子供というのは、
根本的に本が読めないとか、表現力がゼロとか、日常語以外の語彙がほとんどないとか、そういう問題を抱えている場合がある。
ただ中には、国語力にさほど問題がないけれど、作文で苦労している人もまま見られる。
そういう層は、大人になってから、そこそこいい大学とか行って、自分が読書感想文かけなかったことについて、
「読書感想文は無意味だ!」
と主張するか、
「書き方を教わってないのに、とりあえず書け、という指導方針が間違っていた」
と主張するかのどちらか、あるいは両方主張するか、になる。

「無意味だ!」と主張する人々は、初等教育の難しさを全然理解していない。
小学生のガキどもの国語教育で、どうやって長い文章を書かせるかを考えてみて欲しい。
子供にも色々いるから、早熟な子は結構書かせれば書けると思う(僕も割とそうだった)。
けれど大半の子は、なかなか「きょうはゆうだいくんとあそびました。たのしかったです」式の、客観性ゼロの短文から脱却できない。
読書感想文がベストだと主張する気はさらさらないし、教育上の有効性があるとも思わないし、
「読書感想文のせいで読書嫌いになった」という方もいるのなら一部には有害なのかもしれない。
(いや、「読書感想文なければ読書嫌いにはならなかったろうけど、
それは一生読書しないから好きにも嫌いにもならないだけじゃないのか?」という風には思いますが。ひどい責任転嫁だ)

けど「読書感想文」のような、完璧でなくてもいいから、何らかの形で、
抽象的・客観的な文章を書かせる訓練は、小学生のガキどもにもやらせないといけない。
それを「どうせムダだから」と放棄してしまうと、後の教育に影響が出てくる。
最終的にはムダになるとわかっていても、子供たちの脳の成長に、恐らくは寄与している。
20階建の建物を上にのぼっていくとして、高校卒業時が15階くらいにいるとしたら、
小学校の頃必死こいて5階くらいの階段をのぼってた記憶っていうのは忘れ去られてる。
だから5階の階段が要らなかったのかというと、それは明らかに違う。
低い階段を取り去ってしまえば、もっと高い階段はいけなくなる。
ただ高い階段に行ってしまえば、低い階段は不要なように見える、というだけのこと。
そのあたりは初等教育の辛い所だね。
小学校教師にはいい思い出がないけれど、大人になってみると、彼らの立場には同情する。

さて、読書感想文の意義がない訳でもない(すごい意義がある訳でもない)と主張した所で、
いよいよ作文関係で苦労したことがほとんど一度もないわたくし蔀様が、読書感想文の「正しい書き方」について書いていこうと思う。

  • ☓「思ったことを書く」 ○「書くべきことを書く」

「せんせー、書くことがなにもないです!」
「思ったことを書けばいいのよ」
「なるほど」と思って、夏目漱石の「坊ちゃん」の感想文で
「つまんなかったです。なんでこんなのが名作と言われているのかよくわかりませんでした」
というのを提出すると、
「もうちょっと真面目に書けやこのクソガキがあ」
と叱れて、「何を言ってるんだこいつは」と小学校の国語教師に戸惑った経験がある人も少なくないだろう。
多分全国の小学校のほとんどの教室で見られる光景だと思う。

「思ったことを素直に書けばいい」というのは一種の建前でしかない。
もし生徒に十分な国語力があるのであれば、素直に思ったことを書いても、それなりのクオリティの文章が出来上がる。
国語教師のこの「ありがたいお言葉」は、生徒が十分な国語力がある前提で発せられている。
実際は小学生くらいであれば、思ったことを書け、なんて言われても、
「おもしろかった」
「つまんなかった」
くらいしか感想がない。
高校生くらいになっても、そこから少し毛の生えた程度の文章しか書けない生徒もいるだろう。
或いは大人になっても。。。

あ、このブログでもそういえば書評はこのレベルで書いてある。
たとえば、

真山仁「ハゲタカ2」
経済小説にしては馬鹿売れした「ハゲタカ」の続編。
アラン君が冒頭でいきなりぶち殺されたのには笑った。
面白かったけど、話がどんどんご都合主義的になっていくのはご愛嬌。

これを読書感想文で提出したら割と残念な生徒だと思われることうけあいだけれど、
それは「思ったこと」をそのまま書いただけだからだ。
だから作文に苦しむ人たちは、
「思ったことを書く」
という意識ではなく、
「書くべきことを書く」
という意識を持った方がいい。

「書くべきこと」とは何か。
単なる「感想」ではなくて、そこから発展した「思考」を文章にする。
無論小説を読んだときに、すぐに原稿用紙数枚分の思考に自然と発展する文学的な人間はそうそういないから、
文章を書きながら考える。
時には自分が全然考えもしなかったことが、文章を書いていたら浮かんできたりするので、それも上手いこと入れ込む。
そんな風にあれもこれも書いていけば、なんとか原稿用紙3枚くらいはあっという間に書ける。

といってもピンと来ないだろうから、「坊っちゃん」を例にして、具体的に説明しよう。

まず読んで、
「つまらなかった」
という感想を抱いた。
これを素直に書くと、「思ったことを書く」作文になるけれど、
「じゃあどうしてつまらなかったのかな」
と考えみよう。
1.主人公に共感できなかった
2.時代が古すぎてよくわからなかった
3.文章が小難しすぎて読んでて疲れた
こんな原因が思い浮かんだ。
そしたら、それを書きながら膨らませてゆく。

 坊っちゃんを読んで  しとみ

 夏目漱石の「坊っちゃん」を読みました。この小説は名作と呼ばれているそうですが、ぼくは全然おもしろいと思いませんでした。むしろつまらなくて、途中で何度も読むのをやめようと思ってしまいました。主人公の行動は、よくないことばかりだったと思います。すぐに喧嘩をして、人とあらそいますが、これはよくないことです。お兄さんとも喧嘩するし、教頭先生とも喧嘩をしています。どうしてこんなに喧嘩ばかりするのでしょうか。ぼくは弟とよく喧嘩したけれど、すぐに仲直りしたし、最近は優しくしています。喧嘩はケガをするし、弟も泣いてしまうし、お母さんから怒られるし、よくないことだと思うからです。主人公は大人なのに、喧嘩ばかりしていて、ダメな人だと思いました。
(※理由1について、ひたすら思いつくことを書く。内容がちょっと幼稚だけれど、小学生で国語が苦手な生徒でもこのぐらいは書けるだろう。しかしそろそろ主人公叩きも限界に達するので、別の叩くネタに移る)
この小説は昔の小説で、よくわからないものがいっぱい出てきました。下女の清という人が出てきますが、下女というのが何なのか、調べてもよくわかりませんでした。辞典を開いてみても載っていませんでした。お母さんにきくと「お手伝いさんのことだよ」と教えてくれました。「ぞなもし」といっぱい言ってるけれど、これもよくわかりませんでした。そういう口癖の人なのでしょうか? 赤シャツとか山嵐とかもよくわからないあだ名でした。
(※ここまで書いて、小学生が「坊っちゃん」を読むのは早すぎたということに気づいた。でもまあここまで書いてしまったので、この設定で押し通す)
夏目漱石の文章は難しくて、正直いってよくわかりませんでした。最初に「親譲りの無鉄砲」という言葉が出てきますが、無鉄砲の意味がよくわからなくて、お母さんにきくと、「後先考えず無茶をする人だよ」と教えてくれました。ぼくは12歳ですが、こんな難しい言葉を使っている人を今まで見たことがありません。お母さんにきくと、「今、無鉄砲なんて使ってる人はいないよ」と笑っていました。

以上で676文字。
上にも書いたが、これ書いてる途中で小学生が「坊っちゃん」で読書感想文書くことはないな、と気づいた。
せいぜい中学生ぐらいか。
中学生〜高校生ならばもうちょっとまともな文が書けるか。

 坊っちゃんを読んで 蔀

 夏目漱石の『坊っちゃん』を読んだ。この小説は名作扱いされているけれど、正直言って全然面白くなかった。なぜこんなにつまらないものが名作扱いされているのか不思議だ。これならずっとワンピースやNARUTOの方が面白い。面白くないものを無理して読んで、「ああこれは名作だな」と言わなければいけないような感じが、夏目漱石にはある。「名作だ」と言わないと、まるで自分の頭が悪いような感じになる。しかし僕は敢えて、『坊っちゃん』はつまらなかった、と言いたい。(中学生らしい反骨精神が微笑ましい。まず読書感想文コンクールで賞はとれないけれど、きっとこういう文を書く人間の方がよほど健全だろう)
 なぜつまらないのか、その第一の原因は主人公に魅力が全然ない。いきなり二階から飛び降りたり、兄に怪我させたり、人に迷惑ばかりかけているくせに、やたらと偉そうな態度をとっていて、腹が立った。教師になってからも、赤シャツに夜道で襲いかかったり、非常識な行動が多すぎる。こんな人間が実際にいたら、絶対に友達になりたくない。自分勝手で、すぐに喧嘩をする。どうしてこんな人間が主人公の小説が名作と呼ばれているのか、やはりわからない。誰もが名作、名作と言っているから、自分も名作と言っているだけではないだろうか。(「権威主義」という便利な言葉を知らないから使わないけど、言わんとしていることはなかなか核心を突いている)
(以下略)

  • まとめ

「思ったこと」をスタートにして、そこから、「どうしてそう思ったのか?」を書く。
それが小中学生くらいの読書感想文の正しい書き方。
素直な気持ちを書くのではなく、本と関連する何らかの文章を書く。
本音ではそんなこと思ってなくても、オーケー。
高校生以上だったら、もう少し頑張って、
「作者の真意は?」
「時代背景との関係は?」
辺りまで踏み込めると、素晴らしい。
文章を長くするために、
夏目漱石は難しい言葉を使うなあ」
→具体的には?
→「無鉄砲」という言葉がわからない
→お母さんにきいてみた
→○○と言った
その膨らませ方が大事。
ぶっちゃけマジでお母さんに尋ねる必要はない。
連想ゲームのように、「こう書いたら、次はこういう話が続けられるな」という発想で、どんどん膨らませてゆく。
それが「書くべきことを書く」ということ。
読書感想文に限らず、作文全般のコツだと思うね。
(ただもっと高度な文章を書く段階になると、「ただ長く書く」だけではダメということになる。
読書感想文なんかはただ長く書けばいいだけなんだから、楽っちゃ楽)

この記事の最後に「読書感想文は一行読めば書ける!」というページのリンクがあるので、それも参考に。

(参考)

  • 一行読めば書ける

読書感想文は1行読めば書ける!
要はある程度の長さを持った「文章」を書く訓練なんだから、
別に本のメインテーマについてあれこれ書かなくても、細部にこだわって、
後は文章力でごまかす、という書き方こそ読書感想文の正当な書き方。
(ただしコンクールでは賞がとれない)

  • 課題図書のつまらなさがヤバい

課題図書

○中学生の部
「聖夜」佐藤多佳子
「スピリットベアにふれた島」ベン・マイケルセン 作 原田勝 訳
「夢をつなぐ: 山崎直子の四〇八八日」山崎直子 著
○高校生の部
「野川」長野まゆみ 著
「マルカの長い旅」ミリヤム・プレスラー 作松永美穂 訳
「光が照らす未来: 照明デザインの仕事」石井幹子 著

こんなの読んでる中高生いたら病気だろ。