四十三庵

蔀の雑記帳

アダム・スミス「国富論」

  • 謝罪

トップページが激重で、申し訳ありません。
このような場末の穴蔵のようなブログに折角来ていただいたのに、
記事の内容だけでなく、サイトの仕様でまで不快感を与えてしまうとは。
関係者各位には誠に申し訳ないと思っています。

割と「四十三庵」はシンプルで、軽いサイトにしてたつもりだったんで、
自分でもびっくりしたんですが、原因は調子こいて一日に二、三個記事を書いたせいのようです。
一ページに五日分表示する仕様になってるんですが、そのせいで十個の記事が表示されてしまっていて、
おまけに結構画像貼ってる記事が多いので、このような激重状態になっているようです。
日がたてば解消されるとは思うんですが。
「続きを読む」を入れれば解決するんですけど、あれあんまり好きじゃないんですよ。

結局FRBはQE3はやらなそうで、ツイストオペだけのようです。
(ただこのツイストオペの規模が結構でかい)
おかげでユーロも順調に下がって、ドルは堅いという理想的な状況になりつつあります。
(ドルも下がってきちゃうと介入が怖い)
ちょっとヘタクソなやり方にはなったけど、儲けは出せそうです。
今のポディションがプラス8万に育ってきてます。
前に6万ちょいの損切りしてるので、それ差し引くと大したことないですが。
この6万は本当にする必要のない損でしたね。。。
後悔先立たず。

しかしまあアレですね。
日経も下がってますね。
いや多分恐慌とか、そういうレベルにはならないで、がくっと下がって、やや戻して、
結果としてじわじわ下がってくのが続くんだと思うんですが。
株買ってる人は気が気でないでしょう。

  • 本題

アダム・スミスの「国富論」を読みました。
「諸国民の富」とか訳している訳者もいますね。
英題は"An INQUIRY INTO THE NATURE AND CAUSES OF THE WEALTH OF NATIONS"(1776)。
直訳すれば「国民の富の性質と原因に関する研究」という所でしょうか。
いつもゴミみたいな書評しか書かないので、多少真面目に書こうと思います。

まずはじめに大前提としてわかって欲しいのは、
スミスさんは「哲学者」であって、よく知らない人は、
「神の見えざる手を主張して、人間の利己主義を肯定した人」という風に思ってますが、
読んでみると、案外そういう印象は受けないですよ。
当時キリスト教的な禁欲主義の影響で、「商人=ゴミ」だった風潮の中で書かれた本としては、
割と肯定的な方なのかもしれませんが、現代から見るとそんなに極端なことは書いてないです。

  • 瑣末な具体例で語るスタイル

哲学者らしい、回りくどい表現で、経済に関することが色々書かれています。
有名なピン工場の分業の話は、「国富論」の冒頭でいきなり出てきますが、
全編を通して、このような具体例がいちいち出てきます。
奨励金の話をするために、にしん漁の話を細々したり。
具体例は1700年代の、産業革命前夜の、非常に古臭いものが多く、
現代への示唆が何か得られるかというとかなり難しいです。
(こんなこと言うと古典信者の人を怒らせそうですが)
所詮は古典。

  • 目次に沿って

第一編 労働の生産力の改良、および労働の生産物が国民ののさまざまな階層のあいだに自然に分配される順序について
第一章 分業について
第二章 分業を生む原理について
第三章 分業は市場の広さによって制限されるということ

この辺りは「分業」がテーマ。
有名なピン工場の話も出てくる。
(「国富論」といえばピン工場ってくらいピン工場の話ばっか出てくるけど、
そういう人ってもしかして最初しか読んでないのでは・・・)

第四章 貨弊の起源と使用について

分業が進むと、商品を交換するようになる。
けどその交換尺度として、何かがないと、交換は極めて不便となる。
酒屋とパン屋は、もし相手の商品が欲しいと思ったら、自分のパンを何とか酒屋に、
自分のビールを何とかパン屋に欲しいと思わせないといけない。
しかしこれはなかなか難しい。
ここで「誰でも欲しがるようなもの」を交換手段として使えば、問題は解決する。
最初は家畜であった。
また、乾燥した鱈(たら)、タバコ、砂糖、皮、釘なども使われることがあるようだ。
しかし結局、ほとんど全ての国で、金属による貨幣が使用されるようになった。

第五章 商品の実質価格と名目価格について、すなわちその労働価格と貨弊価格について

(したがって)労働がすべての商品の交換価値の真の尺度なのである。

しかしその実質価値は正当に評価されがたい。

市場のかけひきや交渉によって、正確ではないが日常生活の仕事を継続するには十分であるような種類のおおまかな等式によって調整されるのである。

結局のところ、商品は貨幣でもって評価されることになる。
しかし貨幣に含まれている金銀の価値もまた変動するから、その影響も考えねばならない。
(これはちょっと時代を感じる視点)
商品はすべて実質価値と名目価値を持つ。
これは労働も同じである。
この二つはイコールではなくて、時にはどちらかが高くて、どちらかが低い。
(こういう主張の後、ローマ人が銅貨を使っていたとかイングランドの金銀の法定比率がいくらであったとか、
そういう具体例が続く。要るかこれ?)

第六章 商品の価格の構成部分について

価格は三つに分解できる。

価格=地代+賃金+利潤

地代は地主に対して払う費用。
賃金は労働者に対して払う費用。
利潤は最終的に商品の販売者が得る利益。ただし資本設備に対する費用もここから引かれる。

第七章 商品の自然価格と市場価格について

賃金と利潤率は、社会的慣習で大体決まっているものだ。
それに地代と、運搬のために新たに費やされた労働者の賃金と資本の利潤(変な用法だが、原文に従う)を加えたものが、
どうやら商品の自然価格と言えそうだ。
恐らく自然価格が普通、商人の売ろうとする最低価格である。
(場合によってはそれを下回ることはあるだろうが、それは商人がよほどどうしても売らなければいけない事情がある時だ)
しかし市場価格は、自然価格と同一になることは少ない。
この理由をアダム・スミスは次の四点を指摘した。
1.賃金
2.利潤率
3.金銭以外の事情(政策など)
4.地代

第八章 労働の賃金について

適正な賃金率は変わるし、正確にはわからないけれど、
変動要因は、
1.季節(夏か冬か)
2.労働需要
3.食料品価格
4.場所(都市か地方か)
あたり。
徒弟制度について非常に長く書かれている。
(これも要る・・・?)

第九章 貯えの利潤について

適正な利潤率も、正確にはわからない。
しかし利潤率は大体、利子に比例すると考えてもよい。
と、いう訳で歴史的に利子について細々長々書かれている。

第一〇章 労働と貯えのさまざまな用途における賃金と利潤について

本当に人間が利害関心しか考えない社会では、高給とりの職業に人が集中し、
低賃金の仕事は誰もやらなくなり、また同様に高い利潤を産まない資本は捨てられる。
しかし現実そうではない。

 第一節 職業の性質自体から生じる不平等

 1.職業そのものの快不快
 2.職業の習得が容易か否か
 3.雇用の安定不安定
 4.職業に携わる人々への信頼の大小
 5.職業における成功の有無(安全か危険か)

 1〜5は労働の賃金に差を生じさせる原因となる。
 1と5は資本の利潤に影響する。
 労働と資本の「用途」の有利・不利に影響をもたらすのが、次の3つだ。

 1.確立されて知名度があること
 2.通常の状態であること
 3.職業従事者の主な職業であること

 1。
 新しい事業であれば、通常よりも大きな利潤が期待される。
 2。
 収穫期であれば、より高い賃金が支払われる。
 3。
 アルバイト的な感覚で雇われている労働者は、少ない賃金でも我慢する。

 第二節 ヨーロッパの政策によって引き起こされる不平等

 1.競争制限
 (例)同業ギルド
 2.競争増大
 (例)聖職者
 3.移住制限

上記の要因が、賃金や利潤に影響を与え、更には商品価格にも影響を与える。

第一一章 地代について
 第一節 つねに地代を提供する土地生産物について
 第二節 地代をときには提供し、ときには提供しない土地生産物について
 第三節 つねに地代を提供する種類の生産物と、ときによって地代を提供したりしなかったりする種類の生産物との、それぞれの価値のあいだの割合の変動について
     過去四世紀間の銀の価値の変動についての余論
     第一期
     第二期
     第三期
     金銀の比価の変動
     銀の価値は依然として減少しつづけているという疑念の根拠
     改良の進行が三つのことなる種類の原生産物に及ぼすさまざまな効果
     第一の種類
     第二の種類
     第三の種類
     銀の価値の変動にかんする余論の結論
     
     改良の進行が製造品の実質価格に及ぼす影響

     本章の結論

農業や鉱山、炭鉱についての考察だが、長い割にあんまり。。。
以下はタイトル見れば、大体の内容は推測できるし、
あんまり内容的にもみるものがなく、何より僕が限界に達しているので、目次だけ。

第二編 貯えの性質と蓄積と用途について
序論
 第一章 貯えの分類について
 第二章 社会の貯え全体の一特定部門と考えられる貨幣について、すなわち国民資本の維持費について
 第三章 資本の蓄積について、あるいは生産的労働と不生産的労働について
 第四章 利子つきで貸しつけられる貯えについて
 第五章 資本のさまざまな使用について

第三編 さまざまな国民における富裕の進歩のちがいについて
 第一章 富裕の自然的進歩について
 第二章 ローマ帝国没落後のヨーロッパの旧状での農業の阻害について
 第三章 ローマ帝国没落後の諸都市の発生と発達について
 第四章 都市の商業はどのようにして農村の改良に寄与したか

第四編 政治経済学の諸体系について
序論
 第一章 商業的あるいは商人の体系の原理について
 第二章 国内で生産できる品物の外国からの輸入にたいする制限について
 第三章 貿易差額が不利と想定される諸国からの、ほとんどすべての種類の品物の輸入にたいする特別の制限について
  第一節 商業主義の原理からみてさえそれらの制限が不合理であることについて預金銀行、とくにアムステルダムの預金銀行にかんする余論
    第二節 他の諸原理からみてもそれらの特別の制限が不合理であることについて
 第四章 戻し税について
 第五章 奨励金について
    穀物貿易と穀物法にかんする余論
 第六章 通商条約について
 第七章 植民地について
  第一節 新植民地建設の動機について
  第二節 新植民地の繁栄の諸原因
  第三節 アメリカの発見と、喜望峰経由の東インド航路の発見から、ヨーロッパが引き出した利益について
 第八章 重商主義についての結論
 第九章 農業主義について、すなわち、土地の生産物がすべての国の収入と富の唯一または主要な源泉だとする政治経済学の諸体系について

第五編 主権者または国家の収入について
 第一章 主権者または国家の経費について
  第一節 防衛費について
  第二節 司法費について
  第三節 公共事業と公共施設の経費について
   第一項 社会の商業を助長するための公共事業と公共施設について
    そして第一に、商業一般の助長に必要な公共事業と公共施設について
    商業の特定部門を助長するのに必要な公共事業と公共施設について
   第二項 青少年教育のための施設の経費について
   第三項 あらゆる年齢の人びとの教化のための施設の経費について
  第四節 主権者の尊厳を保つための経費について
  本章の結論
 第二章 社会の一般収入あるいは公収入の源泉について
  第一節 主権者または共同社会の専属でありうる原資すなわち源泉について
  第二節 租税について
   第一項 賃料にたいする税、地代にたいする税
    地代にではなく土地の生産物に比例する税
    家賃にたいする税
   第二項 利潤、すなわち貯えから生じる収入にたいする税
    特定の職業の利潤にたいする税
    第一項と第二項への付録。土地、家屋、および貯えの基本価値にたいする税
   第三項 労働賃金にたいする税
   第四項 すべての種類の収入に無差別にかかることを目的とする税
    人頭税
    消費財にたいする税
 第三章 公債について

確かに政府の市場への関与には全体を通して、否定的に書かれている。
公債の発行にもかなり否定的だった様子。
結局は国民の貯蓄を奪うことになる、と思っていたようだ。

  • 印象深かった文言

○水とダイヤモンド

水ほど有用なものはないが、水はほとんど何も購買しないだろうし、水と交換に手に入れられるものはほとんど何もない。逆に、ダイアモンドはほとんど何の使用価値ももたないが、しばしばそれと交換に他の物をきわめて多量に手にいれることができる。
(第一編 第四章)

価値という言葉には二つの意味があり、「使用価値」と「交換価値」がある、という時の具体例。

○金が金を・・・

金は金を生むと諺はいう。少しでも金を手にいれたなら、より多くを手にいれることはしばしば容易である。ひじょうに困難なのは、その少しを手にいれることである。
(第一編 第九章)

全くだ。

○金と銀の違い

銀がまざりものなしで発見されることはきわめてまれで、他のたいていの金属のように、一般には何か他の物と混合した鉱石になっていて、そのため、ひじょうに手間ひまのかかる操作によらなければ、費用をまかなえるような量でそれから分離することは不可能であり、しかもその操作はその目的のために建てられた仕事場で、したがってまた国王の役人たちの監督にされされつつしか、行われえない。これに反して金はほとんどつねに純粋のまま発見される。
(第一編 第十一章)

へー、と思った。

○熱い大学批判

彼の服する権威が、彼自身その構成員である団体、すなわち学寮または大学にあり、またほかの構成員も彼と同様に現に教師であるか、あるべき人びとであるなら、彼らはおそらく共同の大義名分を作って、だれもがたがいにきわめて寛大であろうとし、自分が任務の怠慢を許されさえするなら、隣人が任務を怠っても、それに同意するだろう。オクスフォード大学では、大学教授の大部分は、このところ多年にわたって、教えるふりをすることさえまったくやめているのである。
(第五編 第一章。太字は僕)

十八世紀の時点で大学ってこの程度の所だったんですよ。

○熱い海外留学批判

イングランドでは、若者が学校を出ると、どの大学にも送らずに外国旅行に行かせることが、日ごとに有力な習慣となっている。われわれの若者たちは一般に、その旅行に寄って大いに改良されて帰国するといわれている。(中略。しかし大して成長してないぞ、ということが書き綴られる) その他の点では、もし国内で過ごしていたならば、そのような短期間で十分になりうるだろうよりも、うぬぼれが強くなり、放埒で放蕩になり、研究にも業務にもまじめにうちこめなくなって帰国するのがふつうである。それほどひじょうに若くして旅行することによって、両親や親類の監督も規制もできない遠方で、人生のもっとも貴重な歳月を、もっともくだらない放蕩に費やし、それいいぜんの教育で身につきかけていたかもしれない有用な習慣は、身につき固まるどころか、ほとんど必然的に、すべて弱められるか失われる。人生のこのはやい時期に旅行するというようなきわめてばかげた慣行が、好評を博しえたのは、大学が悪評に身をゆだねるためにほかならない。自分の息子を国外へ送ることによって、父親は職もなく無視されて、目のまえで破滅していく息子という、なんともやりきれない存在から、すくなくともしばらくのあいだは解放されるわけである。
(同上)

「北欧の国々では、大学卒業した後に数年諸国を放浪する」という風に、
僕の大学のキャリア教育が好きな、ある講師が得意げに話していましたが。

国富論」って経済or経済政策の話しか書いてないのかと思いきや、意外とこういう内容も入っていたのには驚きました。

○商人にかける税金が価格に転嫁する

(古代から高い関税がかけられてきたことについて)
そうした無知の時代には、商人の利潤が直接には課税できない対象であるということ、つまりそうしたすべての税の最終的な支払いは、かなりの追加負担とともに、消費者にかかってこないわけにはいかないということが、理解されてなかったのである。
(第五編 第二章)

今でもたまに理解してない人がいますけどね。