四十三庵

蔀の雑記帳

永井荷風「濹東綺譚」(墨東綺譚。文字化け対策)

川越から仙台へ向かう片道七時間の退屈極まりない車内だと、普段は読む気になれない小説も、
さながら無人島にものすごいブスと二人きりで漂流したかの如く、精力的に読むことができる。
僕にとって読書というのはそういうものでしかないので、読書によって全知全能を得ることができるように思っている人とか、休日は一日中読書してますとかいう読書が趣味の人とかは、本当にすごいと思うね。

永井荷風の「濹東綺譚」(「濹」がもしかすると文字化けするかもしれない。ボクトウ。隅田川の文士風の言い方。けして今も昔も一般的なワードではない)だけど、
話としてはひょんなことから仲良くなった遊女と結婚寸前まで行くけど、結局くっつかない話。
三島とか太宰とかなら、出版社がゴリ押しすれば、現代でも流行るような気がするんだけど、
永井荷風みたいな小説はもう絶対ダメだろうね。
冒頭で古本屋で長襦袢(和服の女物の下着)を買って、持って帰る最中に警官に派出所まで連れていかれて、危うく逮捕一歩手前になる。
長襦袢ですよ長襦袢
荷風の時代(太平洋戦争前夜の昭和)でもあんまり着てる人いないですよ。
それは、現代で言えば下着ドロと間違われるみたいな感じでとらえればいいと思うんだけど、
しかし警官が「深夜に外出してたから」っていう理由で一市民を派出所まで連行する感覚とか、
現代から見るとかなり異様に感じられる。

この小説の中で、主人公の大江匡(ただす)は、小説の構想を練っている。「失踪」という小説で、主人公種田という英語教師は曰くつきの女房を引き取って、子供をつくるけれど、子供はスポーツマンと人気女優になり、女房は日蓮宗にハマって、熱心な信徒となる。交際嫌いの気弱な種田は、教育費を捻出するために夜学校を掛け持ちして、身をすりへらして子供を育てたが、家が日蓮宗の信者や、子供の友達で毎日うるさいのが嫌で嫌で仕方がなかった。そこで遂に教師を退職した日、退職金を持って、家族を捨てて失踪し、顔見知りのカフェの女給の家に一泊する。という、人間嫌いが凝縮したようなストーリーの小説。主人公の大江は小説家で、それなりに金はあるが、五十を超えても未だ独身だった。
(作者の荷風と同じ)

近隣から漏れるラディオ(原文の表記)の騒音にいらいらするなど、昭和初期であるけど、そこから現代につながる部分も見え隠れする。また夕方以降になると近隣からラジオの音が漏れるのが神経に障るというのが、主人公の大江がお雪のもとへ通う一つの言い訳になっている。

そのころには男を「彼氏」といい、女を「彼女」とよび、二人の侘住居を「愛の巣」などと云う言葉はまだ作り出されていなかった。馴染の女は「君」でも、「あんた」でもなく、ただ「お前」といえばよかった。亭主は女房を「おっかァ」女房は亭主を「ちゃん」と呼ぶものもあった。

殊に女の手紙に返書をする時「わたし」を「あたし」となし、「けれども」を「けど」となし、又何事につけても、「必然性」だの「重大性」だのと、性の字をつけて見るのも、冗談半分口先で真似をしている時とはちがって、之を筆にする段になると、実に堪難い嫌悪の情を感じなければならない。

処と人とを問わず、わたくしは現代の人と応接する時には、あたかも外国に行って、外国語を操るように、相手と同じ言葉を遣うことにしているからである。「おらが国」と向の人が言ったら此方も「おら」を「わたくし」の代りに使う。

わたくしは若い時から脂粉の巷に入り込み、今にその非を悟らない。或時は事情に捉われて、彼女達の望むがまま家に納れて箕箒(きそう)を把らせたこともあったが、然しそれは皆失敗に終った。彼女達は一たび其境遇を替え、其身
を卑しいものではないと思うようになれば、一変して教う可からざる懶婦(らんぷ。原文ではつくりが「頼」になっている)となるか、然からざれば制御しがたい悍婦になってしまうからであった。

という考えから、たとえお雪がどれほど自分のことを思っていても、それに自分が心動かされていたとしても、「遊女と客」以上の関係にはならないつもりでいた。結局秋が来る頃に、秋袷を買うための金を渡して、そのまま店には行かないつもりでいたが、どうしても気になって、結局別れを言うために店へ行った。するとお雪は自分がいなくなった後、新しい主人を迎えてやっていた。それで結局つもる話はせずに帰る。その後お雪が病気になったのを知る――所でこの小説は終わりで、最後に荷風が「この小説に小説らしい終わりをつけるなら半年後に街で再会とかやればいいであろう」などと書いて終わり。最後までどこかメタ的な感じだった。

(「作者贅言」より
「この有様を見たら、一部の道徳家は大に慨嘆するでしょうな。わたくしは酒を飲まないし、腥臭いものが嫌いですから、どうでも構いませんが、もし現代の風俗を矯正しようと思うなら、交通を不便にして明治時代のようにすればいいのだと思います。そうでなければ夜半過ぎてから円タクの賃銭をグット高くすればいいでしょう。ところが夜おそくなればなるほど、円タクは昼間の半分
よりも安くなるのですからね。」
「然し今の世の中のことは、これまでの道徳や何かで律するわけに行かない。何もかも精力発展の一現象だと思えば、暗殺や姦淫も、何があろうとさほど眉を顰めるに及ばないでしょう。精力の発展と云ったのは慾望を追求する熱情と云う意味なんです。スポーツの流行、ダンスの流行、旅行登山の流行、競馬其他博奕の流行、みんな慾望の発展する現象だ。この現象には現代固有の特徴があります。それは個人めいめいに、他人よりも自分の方が優れているという事を人にも思わせ、また自分でもそう信じたいと思っている――その心持です。優越を感じたいと思っている慾望です。明治時代に成長したわたくしにはこの心持がない。あったところで非常にすくないのです。これが大正時代に成長した現代人と、われわれとの違うところですよ」

色々はっとするような文章は散見する。
氏と育ちは最高級によくて、素行が最悪という面白い人なんだけど。

  • 参考

熱心にテキスト起こしたけど、よく探したら青空文庫にあったという悲劇。
濹東綺譚 永井荷風