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四十三庵

蔀の雑記帳

「事実だと思いたいこと」が事実

論考
  • どうしてネトウヨとは議論が成り立たないのか?

論理の方向性を左右するものは感情である
という記事を昔書いたけども、基本的にはそれと同趣旨。
だけども上記の記事では、なんかイマイチ話を高尚にしすぎたきらいがあるので、
ちょっと別の切り口で書いてみようと思います。

2ch上でネトウヨと煽りあったことがある人ならすぐにわかると思いますが、
大抵途中で「ブサヨ乙w」とか「朝鮮人は日本からでていけよ」とか言い出して、
最終的にコピペ連投して終了というパターンになるのではないでしょうか。
どうしてネトウヨとは議論が成り立たないのか?

まず第一に、彼らの求めているのは「正しい情報」ではないということです。
彼らはいくら三橋貴明あたりのテキトーな情報で、韓国経済は崩壊すると信じています。
それは別に何ら経済知識に基づいたものではなくて、単に韓国経済が崩壊して欲しいからです。
つまりただの願望です。
ネトウヨにとって、「事実だと思いたいこと」が事実なのです。

よほど単純な問題でない限り、論理展開次第で、結論は黒とも白とも言えます。
韓国経済が崩壊するとも言えるし、言えないとも言えます。
じゃあそれが正しいのかどうかを判断するのが科学の役割です。
高校までは「答え」が大事かもしれませんが、大学以降、大人の世界では「答えの論拠」の方が大事です。

このことがわかっていない人が世の中大勢いるというか、むしろ多数派なんですね。
勉強というのは正しい「答え」があって、それを覚えこむ作業なんだと思ったまま社会に出る人が半分以上。
そういう人間が長い人生をどういう認識で生きていくかといった、
「論拠」ではなくて、「事実」そのものに対して、これは信じる、これは信じない、とジャッジをくだして生きていくことになります。
これが正しい、これが間違っている、という区別ではなくて、ですね。
となると、「もっともらしい嘘」への免疫力はほとんどないんですね。
その「もっともらしい嘘」というのが、自分の自尊心を満足させてくれるような嘘であったり、
いたずらに恐怖心を煽るようなセンセーショナルな嘘であったりすればするほど、
「論拠」を見ない人々は強烈に突き動かされることになります。

二つ例をあげますが、一つ目はネトウヨの「花王不買運動」です。
あれは

フジテレビが韓流偏重になっている→フジのスポンサーが花王→フジにダメージを与えるには花王から

ということで不買運動が起こったらしいですが、ネトウヨの皆さん、
よーーーーーーく考えてみてください。
フジも花王も、韓流の手先なのかもしれないですが、れっきとした日本企業ですよね?
日本企業にダメージ与えたら、韓国のライバル企業が得しますよね?

韓国が嫌い・日本大好き→フジテレビが韓流偏重になっている→フジのスポンサーが花王→フジにダメージを与えるには花王から
花王不買運動韓国コスメ馬鹿売れ!→あ、あれ?

おかしくないですかね?
しかしまあネトウヨにとっては花王不買運動は日本をよくするために必要な運動だし、
フジデモも素晴らしいデモだったそうです。
まさに『「事実だと思いたいこと」が事実』な訳です。

二つ目は放射能ヒステリーです。
作家の金原ひとみがわざわざ岡山まで疎開してるそうですが、
仮にね、仮に東京に住んでて被曝するんであれば、福島県民はとっくにバタバタ死んでますよ?
福島原発の事故以来、テレビ新聞ネットでこぞって原子力情報流しまくって、学者もたくさん発言していて、
(多分日本で一番原子力関連の研究者が陽の目を見た年なんじゃないですか)
一生分くらい原子力の知識を得た訳ですが、
結局都民の行動を見るかぎり、彼らの頭に残ったことは、
「人間の体は一年で何マイクロシーベルトまでの放射線を浴びても平気」
とか、
放射性物質放射能放射線の違い」
とか、
そういう情報ではなくて、
「よくわからないけど放射能というのは怖い」
という漠然とした恐怖感だけだったんじゃないでしょうか。
かえって情報量の多さが恐怖感を増大させただけだったかもしれません。
これは「事実だと思いたい」というよりは、「事実」かどうかわからないが故に、
「事実だとしたらまずい」という恐怖感がひとしおなんだと思います。

  • 事実だと思いたいことを事実と思うのは馬鹿だけか?

しかし「事実だと思いたいこと」を事実と思う傾向は、馬鹿な人間特有のものなのでしょうか、
というと、僕はそんなことはないと思います。
人間一般に言えることだと思うんですね。
人間の性、人間の知能の限界、と言っていいかもしれません。

もちろん知能水準が上がれば、論拠を分析したりして、自分の願望と事実を区別することができますが、それにも限界があります。
自分の脳の理解の枠組み(心理学ではスキーマとかいうらしいです)の範囲内を超えるような問題にぶちあたると、
最終的には真偽を決着することができません。
「これは答えが出せない。だから考えてもムダなんだ」
と判明するのであれば十分科学的なんですけど、
どんなに頭のいい奴でも、自分の知識・知能不足で真偽が決着できないときっていうのも往々にしてある訳です。
特に現代みたいに専門分野が細分化している状況では、「専門馬鹿」という形に、多かれ少なかれなってしまいます。
僕に高度なIT知識はない訳で、もし自分のパソコンがウィルスに侵されたらどうしていいのかわかりません。
放射能で事故から半年たった未だに岡山くんだりまで疎開してるチキン作家を馬鹿にしてますが、
そういう点では大差ないですし、原子力の知識だって大して金原ひとみと変わらないでしょう。
もしかしたら僕が十年後突然甲状腺がんを発症して、「金原ひとみが勝ち組だったとは……」とつぶやきながら死ぬかもしれません。

  • まとめ

まとめると、「事実だと思いたいこと」を事実だと思い込んでいるのは、人間一般の現象だということです。
知能水準に応じて、程度は異なります。
知能水準が低いと、「論拠」が吟味できないので、この症状が酷くなります。
知能水準が高くても、脳の理解力に限界があるので、この症状は出ます。
養老孟司の「バカの壁」と似たような話でしたね。

(追記)
この症状の程度が、その人の知能を測る物差しになるかもしれない。