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四十三庵

蔀の雑記帳

真面目系クズと教育

大学の単位認定は、多くの場合教授各位の判断で行われています。
評価基準の統一が不可能なのは、教えてる内容・目的が違うから*1ですが、
僕はおおむね学生を「習得度」と「やる気」をもとに、次の4つに分類して、
習得度も低く、やる気も低い学生の単位を落とすべきと考えています。
(後述しますが、習得度は知能と高い相関を持っていますので、≒知能と言い換えることができます)

習得度 やる気 望まれる単位認定
1  高   有     上    
2  高   無     中    
3  低   有     中    
4  低   低     下(不可)

上中下で言うと、こうなります。
上中下なんて書いたのは、結構大学によって評価制度がばらけてて、
僕の大学だとA〜Dの四段階評価で、Fが単位不認定になるんですが、
Sがある大学もあれば、Dが不可という大学もあるし、
相変わらずの優良可でやってるトコもあるし、特優なんていうのがあるトコもあるし、色々ですね。

上…A〜B(特優〜優)
中…C〜D(良〜可)
下…F(不可)
のイメージ。

問題が二つあります。

  • 何によって評価するのか

色々納得行かないところもあるでしょうが、とりあえずこの四分類を受け入れてもらうとして、
さあじゃあ眼の前の生徒をどう評価するのか、目の前でノートとってる奴は1〜4のどれなのか、
テストで見るのか、素行で見るのか、出席で見るのか、様々な問題が出てきます。

大学の評価基準がザルなのは、一人の教授が抱える人数が多いからです。
だから大学で出席をとるというのは、よほど少人数の語学の講義でもない限り、ムダです。
愚策です。

基本的には「講義内容を理解していなければ解けないテスト」を出題することで、
1〜4の大雑把な分類は可能だと思っています。
50%〜80%くらいの生徒は正しく評価できるのではないかと思っています。
ただこれがベストウェイではありません。
出席を評価基準にするよか随分マシという話でして。
大学には事実上「出席してれば単位が来る」講義はいっぱいありますが、
教育効果はほとんどない上に、
四分類で言う所の4番目、「やる気も知能もない」生徒というのも、
出席・レポートだと、出席さえすれば単位がとれてしまうという最悪の欠陥があり、
また四分類の2番目「やる気無・知能有」層で、出席しない者を落としてしまいます。

教育の目的を考えれば、その講義の学問内容を伝えるためにやっているのだから、
「講義に出席していないけども学問内容を習得した人間」は望ましくはないですが、目的は果たしています。
「講義に出席しているけれども寝てるだけで学問内容を知らん人間」は、目的を果たしていません。
だから当然評価すべきではないのです。
という訳で、出席・レポートよりテストは随分マシです。

中高であれば、30人前後(それでも多いといえば多いけど)で、一年くらいのスパンで接するので、
ある程度顔も覚えますし、人となりも把握でき、テスト以外での評価も可能でしょう。

「完璧な評価などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」

という訳ですが、「ある程度」完璧な評価になればいいのです。

  • テストはどこまで信じられるか?

僕はペーパーテスト万能主義ではないです。
限界はあると思っています。

ただ厳密なデータあるわけじゃないですけども、
知能とテストの点はある程度まで比例して、ある程度の相関関係にあると思われます。
真偽は定かではないですが、
ある企業で学歴を一切見ないで選考活動やったら、最期に残ったのは高学歴ばっかだったという話があります。
学歴と知能というのは、因果関係ではないですが、相関関係にはあるんですよ。
つまり「学歴があっても知能が低い人間」「学歴がなくても知能が高い人間」は存在するけれども、
それは大勢から見たら少数派で、大多数は「学歴があって知能が高い」か「学歴がなくて知能が低い」のが普通、ということですね。*2

ペーパーテストが出来ることも、内容理解を完全に示す訳ではないですが、
「ある程度」示すことにはなっている訳です。
ペーパーテストの点数は、知能と「ある程度」相関関係にある訳で、

講義内容を理解している≒テストの点がとれる≒知能が高い

ということが「ある程度」つながるのです。*3
(関連記事)
試験の高得点は内容理解の必要条件でしかない

「内容を理解している」→「試験で高得点をとる」
ということは一般的に成り立つ。
理解しているが試験は解けないという場合は、
・自分では理解しているつもりだったが、客観的には不十分だった。
・テスト内容が不適切である。
の二つしかない。
完璧に内容を理解していれば、適切な試験内容である限り、点数はとれる。
問題は、
「試験で高得点をとる」→「内容を理解している」
が成り立たないことだ。

  • 「真面目系クズ」をどうするか

「テストにするか、レポートにするか」なんていうのは、単なるシステムの問題ですが、今度はもう少し深刻な問題になります。
真面目系クズという言葉があるのをごぞんじでしょうか。

・講義はいつも最前列だけどテストはできない
・ノートは誰よりもしっかりとっているが、内容は理解していない
・見た目は黒髪で大人しくて、いかにも優等生だが、成績はDQNレベル

という風な人間のことを指す、割合新しいネットスラングです。
(参考)
真面目系クズにしか分からないこと

僕が提唱する四分類の中で、3番目にあたる層です。
つまり「やる気有、知能無」。
この層の評価が非常に難しいんですよ。
教育というのは、こういう層を伸ばしてやるのが本来の教育というものなんです。
けどテストとかやると、彼らは点が伸びず、人生のどこかで挫折することになります。
実はテストの欠点というのは、彼らを落としてしまうこと、と言っても過言ではない。

「真面目系クズをいかに教育するか」というのは、教育の永遠のテーマなのかもしれないですね。
うむむ。
大学の講義であれば、もういい年なんだから、
彼らがある程度低い評価をつけられるのも已むを得ないと思いますから、
僕の分類だと「かろうじて単位もらえる」くらいにしてるんですが、
中学や高校で同じことやっちゃうと、「ああ俺は勉強できないんだな」っていう諦めになってしまって、甚だ教育的に悪い。*4

どうしたいいんですかね?

*1:実際は教授がどの程度講義に気合いれてるかっていうのが一番でかいけど

*2:学歴差別だ、と言われるとそれまでなんですが。多分経済学関連の人間が嫌われるのはこの辺のことをふつーに話し合ってるからなんだろう

*3:納得できない人もいるかもわかりませんが……

*4:大学まで「かわいそうだから」なんて言って評価を高くしても、たとえば彼らが弁護士試験や会計士試験、公務員試験を受ける時になれば、当然評価は残酷に、機械的に下されることになる。甘やかし過ぎるのも残酷な結果につながる