四十三庵

蔀の雑記帳

孤独について

自慢ではないですが、ずっと中学高校と、友人はほとんどいませんでした。
別に「一人がいい」とか思ってる訳ではないんですが、まあそういう訳です。
学校行けば話す程度の人は何人かいましたが。

高校生ぐらいまではひたすら自分の内面を覗き込んでいただけなので、
てっきり自分のコミュニケーション能力に問題があって、
「まともな人」は普通に友達がいっぱいいて、休日にその中の何人かと遊びに行って、
そのうち恋人をつくって……という風な生活を送っていて、
自分のように対人関係で挫折している人間は少数派だと思っていた。
ネット上で散見される引きこもりとか、オタクとか、ニートとか、そういう人種だけだと。

けれど大学生になって周りを少しは気にしてみると、自分が少数派などではないことに気付いた。
1.僕の想像していたリア充像(40%)
2.特定の友人グループとだけコミュニケーションをとる層(40%)
3.友人がいない層(20%)
後ろのパーセンテージは皮膚感覚でしかなく、何ら統計データにもとづくものではない。
大体こういう人間関係を正確に反映した統計というのは作成しようがない。*1
仮に統計があってもアンケート調査で、どこか真実を反映していないように思える。

  •  

戦後六十年間非公式に推し進められてきた大きな潮流の末路に僕は二十年の歳月を過ごしてきていて、
結局僕の持つ欠陥というのは、親の持つ欠陥が割とそのまま受け継がれていて、僕以外の同世代の人間もほぼほぼ同じだ。
僕は男だから、女の事情は大して知らないけれど、
女だから人付き合いが上手いという訳ではなくて、女にも結構こういう人種は多くなっている。
バイトなんかで男僕一人女二人という組み合わせになって、「女同士なんか喋れや」と思って見てると、
結構女同士でも性格が合わないと気まずそうにしている。
彼氏が全然できないで悩んでいる子もいっぱいいる。
ポジティブな子であれば、ダイエットや自分磨きにいそしめば誰かが告白してくれると信じてがんばる*2のだろうけど、
ネガティブならもうすっかり諦めてしまったり。

恋愛関係というのは一部の男女のペアだけをくるくる回しているような状況だと僕は思っている。
上で書いたリア充40%、部分的リア充40%、非リア20%という比率のうちの、
40%に入る男女間においてパートナーの交代が頻繁に行われて、経験人数が伸びていく。
僕のバイト先の割とかわいくて明るい女の子は小6で初体験したつっててカルチャーショックを感じたけど、まあ、そういうこと。

  •  

孤独はそこら中にありふれたもので、街路樹から落ちる枯葉のように何ら珍しいものではない。
少なくとも友達が大勢いて恋人が常に尽きない人間と同じ程度には。

友人の数を誇る文化というのは、昔からあったのだろうか、と考えてみると、今とは性質がやや異なっているように思える。
年寄りなんかの交友関係を見ていると、関係性のパッケージが最初からあって、
そこにおさまり切らない余程の変人だけが排除されることになるが、多少性格に問題があってもそれは許容される。
たとえば何とかグループだとか、何とか部という集団に入ってくれば、そこでもう「仲間」になる。
人類にとって長年交友というのはそういう性質であったのだと思われる。
いじめというのも全然今とは目的が違って、昔からいじめはあったのだろうけど、
それは組織や集団を守ることが第一目標だったはずだ。

戦後あらゆる集団が「価値観の多様化」の名のもとに否定された。
家族、地域、企業、組合、……
人間はそこではじめて現代的な用法で、友達をつくるようになった。
半ば必要に迫られて、半ば哲学的な相互理解を求めて。
結婚もそうで、自由恋愛の一般化と出生率の低下には絶対にむすびついているはずだ。*3

戦後六十年間、サービス業に求められるクオリティが上昇していったように、
コミュニケーションに求められるクオリティも上昇した。
テレビにお笑い芸人が出続けているのは、彼らがコミュニケーションのお手本として機能しているからに他ならない。
老人と話してみれば、あるいは老人同士の話をきいてみればわかるが、
彼らにとってのコミュニケーションは話してればそれでコミュニケーションなのだ。
(もちろん頭のボケてない老人を想定してください)

「アメトーク」でも、屡「先輩にかわいがってもらえない芸人」とか「気にしすぎ芸人」とか、
30超えた大人が友達との関わり方について真剣に話して(笑いをとりながらではあるが)視聴率も高い。
現代人というのは何歳になっても、小学生と同様に友達作りのことを気にしている。
気持ち悪い光景といえばそれまでだが、強制的に所属させられる共同体が消滅した以上、仕方がないのだ。

  •  

これは一つの仮説でしかないけれど、我々人類はもう既に繁栄の段階を終えたのかもしれない。
二十世紀後半は人類の凄まじい繁栄期だった。
これは単に日本だけでなくて、欧米もそうだった。
世界的に富は増大したし、人口も同じ。
一生のうちで、0歳から18歳の18年間で、人間は信じられないような心身の成長を遂げるけれど、
同じ18年間でも18歳から36歳では心身はほとんど成長しない。
36歳から54歳も成長しないし、54歳から72歳も、72歳から90歳も……まあこんなものにしておくか。
繁栄期は限られていて、それが終わってしまえば、後は緩やかに衰退していくだけだ。
人類にとって現代が「坂の上」に来ている。
まだ発展途上国の成長の余地が残されているけれど、先進国は恐らく衰退していく。
そして途上国が先進国と並び、追い抜いた頃、彼らの成長がとまる。
彼らもまた我々の後を追うように衰退していく。

コミュニケーションも明確にその煽りを受けている。
繁栄を終えた(先進国の)人類は、その繁殖力を弱めていっている。
人と人同士が惹かれあう引力を持っているのはなんとなく理解できる。
しかしその関係を維持できる力は想像できない。
会話を続けたり、同棲したり、口論したり、遊びに行ったり……
煩瑣で不愉快な諸々の不調和に折り合いをつける方法を、万人が見つけられるものか。

勉強やスポーツで、因数分解や走り込みが原因で挫折する人間が存在するように、
コミュニケーションだって挫折する人間は結構な数いる。

  •  

とにかく我々は分断された状態で生きている。

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一応今回の記事みたいなやつが「文学と経済を柱に」と言った時の「文学」に相当する内容なんですが、アクセス数はとれなさそうだ。

*1:と思っていたがあることはあるらしい。http://www8.cao.go.jp/shoushi/cyousa/cyousa22/marriage-family/pdf-zentai/s2-1-2.pdf

*2:あんまり意味はない気がするけど。それよりも男の知り合いと関わりを増やして、彼氏候補をつくっていくのが先決

*3:これもちゃんと統計をとった訳じゃない