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四十三庵

蔀の雑記帳

社会、あるいは集団

論考
  • 集団の問題

「鳩山が馬鹿だから政治が悪くなる」「菅が馬鹿だから〜」
という短絡的批判は横行している。
しかし鳩山総理が学生時代に書いた論文なんか読めば、
批判してる人間の数倍頭がいいということは判然とするだろう。

官僚も批判に晒されているが、僕が会う官僚志望の人々は頭のいい人ばかりだ。
ていうかまあ国家公務員一種試験の参考書かなんかを本屋で立ち読みしてもらえば、
あの手の試験を解ける、受けようと思う時点で頭が悪い連中は脱落することになる、というのはすぐにわかる。
(ペーパーテストと地頭のよさが違う、とかいう話はまあ置いとくとしても)

むしろ昨今の日本の政治的経済的停滞というのは、個人の問題というよりは、
集団の問題なのではないか、と僕は思うようになってきた。
(そこで社会学とか、心理学とかをかじってみたりもしたのだが)

  • 学園紛争の帰結

戦後学園紛争でひと通り暴れまわった後、日本だけでなく、大体の先進国では「個の時代」がやってきた。
日本では70年代あたりから。
それまで「国をよくしよう」「社会制度を変えよう」と考えていた左翼どもというのは、
結局思想の違いで内部分裂し、あさま山荘事件を典型的な例として、
内ゲバと呼ばれる、なぜか左翼同士で争いあうという事態になった。
その根本的な原因は、彼らが「人は皆考えが違う」という基本的な事実に気付いなかったからだろう。
いや、気づいていなかったということはあるまいが、簡単に超越できるとは考えていたのだろう。
しかし結局は不可能だった。

その経験からか、はたまた単なる経済成長による精神面の変化なのか、
70年代あたりからの日本人は、急速に「皆違って、皆いい」という金子みすずばりの思想で、
個人主義」「不干渉主義」をとるようになる。

  • 個の時代

個人主義と言っても、社会活動を行なっている以上、完全に一人で生きていく訳にはいかない。
気の合う友人を見つけ、運命の恋人を見つけて、幸せな家庭を築いて……というのが人生の至上命題となる。
そして学校・職場では上手く(表面的な)人間関係を築く。
そしてその他大勢の人間との関係はシャットアウトする。

それが「まともな生き方」で、ポイントは、
1.深い人間関係(親友、恋人)
2.浅い人間関係(同僚、先輩)
3.シャットアウト(その他大勢)
の3つの人間関係をうまくわけることだ。

  • 集団の力学

しかしいくら個の時代が進んでも、集団には力学がある。
個人が集団に属したとき、集団が彼を無能な、うすら馬鹿にしてしまうのではないだろうか。
個の時代であるがゆえに、集団の持つ力は軽視されている。

古来から日本の集団というのは、その集団が生命を持って動いてきた。
現代も生命力を弱めながらも、その生命は生きている。
その昔、日本という国家集団は、極めて不思議なことに、
国家集団が「国民の生活を守るために存在する」という最大の目的と、
「国家集団を維持する」という第二義的な目的とを逆転させて、「国民の生活を守ること」を放棄した。
日本人は集団のために個人を犠牲にすることで、円滑に集団運営を営んでいく習慣があった。

戦後も、制度上は西欧化したとはいえ、基本的な精神構造は変わっていない。
会社のために個人の感情を捨てることは、何度も見られた光景である。
最近ではオリンパスという好例がある。

よくこの手の話は「日本人は〜」という主語が用いれられるけれども、
もしかしたら日本人以外も変わらない、人間一般に成り立つのかもしれない。
ナチス(ドイツ)やエンロン(アメリカ)の例を考えると良い。
ただ僕自身日本以外のことは浅くしか知らないので、一応「日本人は」という話に留めておく。

  • 「個の時代」の帰結

個人的な話をするが、学校で僕が数人のグループで発表をするたびに、
「これなら一人でやった方がもっといいものができる」
とは何度も思ったものだった。
集団が個人の能力を発揮させていない、という経験は誰にでもあるはずだ。

なにが原因なのか、とつらつら考えてみると、

集団内の調整コスト
コミュニケーション

あたりが原因のように思われる。

政治家・官僚の能力の大半が、組織内での出世のための、人脈形成や人間関係調整に使われているのではないか。

  • 結論

いずれにせよ、集団の持つ非効率性が、個人の能力を阻害した結果、日本の政治経済の停滞をうんでいる。
こういう状況で「○○は馬鹿だから」と個人の素質を云々するのはナンセンスである。

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