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四十三庵

蔀の雑記帳

パクリへと追いやられる人々

昨日の記事は「まなめはうす」の紹介もあり、望外のアクセス数を得た。
はてブが早い時期に2つついて、新着エントリーに載ることを狙って自分で自分の記事に3つ目のはてブをつけるという行為に走ったりもした。
結局新着エントリーには載らなかったけど、その後順調にはてブが伸びて、まさかの政経ジャンルの人気記事に載ることができた。

なまじヒット記事を書いてしまうと、そのあと何を書こうか非常に悩むことになる。
前は田中舜の記事で、1日3000PVくらい弾きだした時期があって、
「よっしゃこっから僕も人気ブロガーの仲間入りや!」
とばかりに気合入れて、少子高齢化とか介護とか日本人の白痴化とか、そんな記事を書いて、
それが自分でも震えるほどの不人気っぷりを発揮して、
膨れ上がったアクセス数を見事にしぼませる結果となって震えた。
これ以上震える自体は避けたいので、なんとか震えないように、今回は「パクリ」について書こうと思う。

  • パクリ

世の中にはパクリは溢れている。
B`zがAerosmithあたりのハードロックのコード進行をほとんどパクっているのは割と有名だし、松本さんも認めていることだ。
Dir en greyの初期は、黒夢初期の完全パクリで、
「I'LL」という曲の歌い出しとか完璧「Miss moonlight」そのままで、「おいおい」と苦笑したものだ。

(最初のトコだけで、後の進行は大分変えてるし、どっちもいい曲だから僕としては別にそんな怒ることはないと思うんだけど)
宇多田ヒカル倉木麻衣椎名林檎矢井田瞳OasisBeatles
Nirvanaとその後のグランジバンド、まあこんな所にしておきましょうか。
とにかくいくらでもある。

小説、漫画、音楽、アニメ、様々な分野でパクリは溢れている。
最近ではTwitterでもパクリがあって震えた。
@1000favs
自分で面白いこと思いつかなくても、みんなが面白いと思ったことを右から左に流してくだけでも一定数の需要は満たせるんだなあと思うとやはり震える訳ですが、
まあでもよく考えたら2chのコピペブログとかも同じことやってる訳で、そういえばハム速とかも一時期すごい叩かれてたけど、ネットが進歩するとそういう人達も出てくるし、一定の需要はあって、運営もそれなりに大変な訳です。

なぜパクリが出てきて、なくらないのかというと、一番大元にあるのが我々の感性だろう。
我々の感性が実はパクリを望んでいて、利潤動機にとりつかれたサイト運営者・音楽家・作家・アニメーターが、
パクリへと追いやられていく。

  • 我々の感性

一見人間は新しいものを喜んで受け入れるような感じがする。
Lady Gagaきゃりーぱみゅぱみゅみたいな「革新的」なものを求めたりする。
けれどもっと正直になろう。
人間の本能は、新しいものを全力で拒絶しているのだ。
きゃりーぱみゅぱみゅを見て、「奇を衒ってるだけで何がいいのかわからない」「『私新しいでしょ?』って感じがイタい」と、すこしでも思わなかった者がいるだろうか。

年寄りになればなるほど、どんどん新しいものが受容できなくなる。
感性が錆び付いていくと言ってもいいが、
それよりも年をとって色々な経験が、苔のように積み重なっていき、
「すでに受容したもの」が多くなっていくのが大きいのだろう。
小学生や中学生が、今二十代の世代から見ると、
クソみたいな音楽、クソみたいなテレビ番組でも楽しめるのは、
「すでに受容したもの」がほとんどないからで、
僕の甥っ子や姪っ子がきらきらした目で「イナズマイレブン」みたいなつまらないアニメを見ているのも同じだ。

繰り返すが、我々は新しいものなど求めていない。
自分のスキーマに巧みに擦り寄ってくるようなものだけを求めているのだ。
「新しいもの」好きを自認する者も、その大半は、実際の所、自分のスキーマの中で「新しい」と思えるようなものを求めているだけで、
そのスキーマから外れてしまうような「本当に奇抜なもの」は求めていない。

しかし「新しいもの」が我々に受け入れられることもある。
そういう場合、先行者たちは大変な苦労を強いられることになる。
けれど一旦先行者が我々の価値観を開拓すれば、そこに道ができる。

我々が「新しいもの」を、表面的にはともかく、本能的には求めていない。
もしかしたらこの主張に対して、反発を感じる人もいるかもしれない。
しかし、我々みんなが新しいものをいつでも喜んで受け入れる、
柔軟な感性の持ち主であるかのような想定よりは、よほど現実的ではないだろうか。

  • パクリは絶妙に我々の価値観を刺激する

我々の感性が、そういう性質を持っている。
これがために、パクリの誘惑が発生する。
既に受け入れられている「先行者」を模倣すれば、目の前に広い道が広がっている。
オリジナルに何の価値があるだろうか。
知恵を搾り出して、感性を研ぎ澄ませて産み出したものは、「新しいもの」を拒絶する受け手には否定され、黙殺される。
僕のようにただ趣味でブログやってるだけなら、まだ耐えられる。
しかしこれが生業になっている、小説家や漫画家、ミュージシャンならば?
追いやられるようにして、彼らはパクリに走っていく。

受け手から見れば、彼らは才能のない、恥知らずどもだ。
責められてしかるべきだが、彼らはある種追い込まれている面もあるのだということも言えるのではないか。