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四十三庵

蔀の雑記帳

ポール・ウィリス(Paul Willis)「ハマータウンの野郎ども」(Learning to Labour)と所謂DQN文化

1977年に出版されたイギリスの教育の現状を、生活誌と分析にわけて書いた本だ。
分析はやや「ありがち」な社会学っぽい散漫な文章になっていて、
学術的にどうなのかは知らないが、個人的にはあまり感心しなかった。

77年執筆ということもあり、状況は古いような気がする。
その後のイギリス社会はサッチャー女史の齎した新自由主義の競争的空気が持ち込まれたり、
生活保護・失業保険に頼ってNEETと呼ばれる若者が登場したり、また違った問題が起こったはずで、
「今」この「ハマータウンの野郎ども」(ハマータウンというのは仮名であるが、実際はバーミンガム北方のソホSohoという街だったらしい)が問題にしているテーマが問題になっているということはない。
だからといってこの本の価値が毀損されるということはないと思う。
とりあえずこの本の内容を簡単にまとめよう。

  • 「Learning to Labour」とは

日本でも不良や暴走族という落ちこぼれの若者は80年代辺りに大いに脚光を浴びた。
イギリスにおいても似たような状況があった。
不良文化と一括りにされるような、彼らなりの思想・行動様式はあまり考察の俎上にあげられることはなかった。
なぜ考察対象にならなかったのかは簡単で、「言語化・理論化できないから」である。
不良文化というのは、「正しくないもの」であり、彼らの理屈は勉強ができない人間どもの負け惜しみでしかなかった。
当然ドロップアウターなので、話をきいてみても、破綻していたり、語彙が不足していたりする。
フォーマルな文脈な中では、ドロップアウターの文化が正当化されることは絶対にない。

だから「生活誌」が必要であった。
つまり実際の生徒にインタビューをとり、日常生活や学校での過ごし方を調べたり、その後の進路を調べたりして、
それをそのまま掲載することが必要であった。

よくよく調べていくと、「野郎ども」*1の学校での
非順応的な文化は、彼らがその後成長して、肉体労働者として工場やら配管工やらとして働くときに、
職場で共有されている文化そのものであった。
工場労働のような、「誰にでも出来る低賃金の仕事」はフォーマルな文脈の中では、
当然無能だからそういう仕事に行き着くのだと見做される。
勉強しない子供に、「お前は将来牛乳配達人になりたいのか!」と怒る場合もあるそうだ。
しかし実際の「野郎ども」の精神構造では、肉体労働に就くことになるのは、「落ちる」のではなく、自分で「選ぶ」ものなのだ。
そこに働く理屈は、筋が通っている所もあるし、考えが甘い所もある。

「野郎ども」が授業サボってパブに行くとか、消化器を投げるとか、
そういう学校の秩序を乱す行為に、教師はほとんど敗北することになる。
教師やガリ勉である「耳穴っ子(ear's oles)」「耳たぶっ子」(lobes)、移民階級である「パキスタン野郎」とは、
学校生活を通じて常に敵対している。
当然「野郎ども」は大学進学などせずに、知り合いのツテなんかを使って、
工場や建設業など、身近な所に安易に就職してしまう。

工場での労働は過酷で、その後彼らにはある種の「敗北」が待っている。
埃と油の中で、彼らははじめて「教育」の意味に気づくことになる。
学校で持っていた「反骨心」みたいなものは単調な工場生活で段々擦り減っていく……
(これは単なる作者の予言だが)

この作者は多少マルクス主義の影響を受けている感があるので、
搾取とか階級闘争とかをその文脈で使っているのが多少気になる。

「野郎ども」が学校で学ぶのは、他ならぬ「労働者階級としてのあり方」なのである。

  • 「野郎ども」その後〜DQN文化の衰退〜

さて。
この辺の事情をわかると、Oasisギャラガー兄弟の行動なんかが出てくるバックグラウンドも少しわかった。
ネット上で言われるDQNの文化と、イギリスの「野郎ども」の文化は本質的には同じだと思う。

彼らが結局どうなったのか。
製造業で派遣労働者が解禁になったことからも分かる通り、
今はほとんど工場における肉体労働者は派遣や契約社員などの非正規で賄っている。
生産拠点を海外に移す動きは加速する一方で、機械化できる所はどんどん機械化して人間を使わないだろう。
人間を使うのであれば、それは「1.機械ではできないような細々したこと」か、「2.機械のコストが人間への賃金より高いとき」だけだ。
公共事業の縮小も、ガテン系の肉体労働者の息の根を止めかけている。
僕が昔肉体労働のバイトしたろうと思って、なんか工事現場のバイト探したら全然見つからなかった。
ガテン』という有名なガテン系向けの情報雑誌は2009年9月に休刊になった。
・非正規化
・産業の空洞化(グローバル化
・機械化(オートメーション)
の三重苦で、「野郎ども」の雇用環境は急速に悪化した。

以前は「BE-BOPハイスクール」「GTO」「ろくでなしブルース」みたいな不良賛美漫画は大いに人気があったが、
最近の漫画ではすっかり影を潜めている。
DQN文化衰退の原因に、こういった事情があるのは間違いないだろう。
「ろくブル」の登場人物の進路は、ホテルに就職したり、トラックの運転手になったり、
割と高卒就職で典型的な進路が、リアルに描かれていた。
「ハマータウンの野郎ども」が書かれた時代とは違って、
純粋な肉体労働はほとんど駆逐されてしまって、
DQNがその「男らしさ」を発揮して活躍するようなシーンがほとんどなくなってしまったのだ。

最近朝日新聞が成人式の日の社説に
尾崎豊みたいな反骨精神を持った子が最近は少ないから、もっとそういう精神を見習えガキども。
ともあれ、おめでとう」と書いて、大いに馬鹿にされてたけど、
DQN文化が衰退してって、ほとんど聴かれなくなったのは残念だが当然。

そんなことを思った本だった。
「時代遅れになってしまってる」部分はあるけど、やはり名著だと思う。

*1:the ladsの訳語。なかなか日本語ではニュアンスがでない言葉ではある