四十三庵

蔀の雑記帳

いかにして余は自意識過剰を抜けだして生きやすい自我を手に入れたか

ネット上でブログ書いてる人で、生きるの辛そうな人々の根本的な原因は、基本的には自意識過剰にもとづいていると僕は思っている。
それが行き着くトコまで行き着くと、変な思想に目覚めたり、宗教にすがったりすることになる。
自意識過剰の到達点が、「セカイ系」の漫画・アニメだと思う。
エヴァンゲリオンのような、
「他人を拒絶してしまうけど」
「本当は仲良くなりたい」
「けど仲良くできない」

「こんな世界滅びてしまえ」

的な。

僕にもそういう時代はあった。中高生の頃だが。
だからまあ気持ちはわからないでもない。
人が悪口言ってると自分のことなんじゃないかと思って不安になったり、
自分がバイト先でちょっとしたミスしたのを、裏で皆悪口言ってるんじゃないかと思ったり。
そういう気持ちだと非常に生きづらいし、何より精神病につながる。

  • 他人を気にするのをやめる

なぜそういう自意識過剰に陥るかというと、まず自分自身が他人のことをすごくよく観察しているからだ。
まずそれをやめよう。
「人間観察が趣味です」と言っちゃうようなタイプは、まず自意識過剰に陥ることになる。

なぜなら、他人も自分と同じように、自分のことを観察していると考えてしまうからだ。

  • 他人は余程のことがない限りあなたのことを見ていない

自意識過剰型人間は自分をドラマの主人公や何かのように考えてしまう。
常に自分がカメラの中心にいるような気持ちで生きている。
それは別に構わないが、そのせいで「常に見られている」感覚を持ち続けてしまう。

「他人を気にする」くせをやめたなら、道ですれ違う人間は、ドラマの通行人程度の存在でしかないだろう。
あなたの存在は、他人にとっては概してその程度なのだ。
そのことにちゃんと気づこう。

  • 価値観の合わない人間をとりあわない

そのことに気づけば、道ですれ違う奴の笑い声が、自分を笑ってるなんてことはないと気づくだろう。
ただ問題は、あなた自身の外見がちょっとアレで、マジで人に笑われることがある場合だ。
あんまり精神科医みたいな人はここ言わないと思うんだけど、実際マジで嘲笑する人間は世の中一定数いる。
(くだらない人間ではあるのだが)

今ままで上げてきたことの中で一番難しいのが、この点だ。
僕のように心根の優しい人類平和と子供たちの笑顔を二十四時間三百六十五日考えている人間には、辛いことであった。

この辺りを僕がいかに克服したか?
つらつら考えてみるに、経済学部入って金稼ぐ方法を日夜考え続けて、
「損得勘定の計算であらゆる事象を考える」という一つの価値基軸を持つようになった。
この価値基軸だと、どうでもいい人間の嘲笑とか悪口とかは、本当に気にならなくなる。

損得勘定で何でも考えるというのは、人によっては「拝金主義だ」と気に入らない考えだろうと思われる。
僕も高校の頃の自分であれば、同じように思っていたと思う。
「どんな無学・無教養な者の意見に耳を傾けなさい」
「自分と違う価値観を持った人の意見でもちゃんとききなさい」
式の意見は至極ごもっともなのですが、僕のような凡庸な人間がそれをやると心が壊れてしまうのかもしれない。

損得勘定式の価値基軸なら、
「ちょwwwwwあいつの顔wwwwwwwきめえwwwwwww」
とかすれ違いざまに言われても、
「まあしゃあないやん」
くらいに思えばいいし、イヤホンでipodで音楽でも流して下向きながら歩いてもいい訳だ。*1

  • 自意識過剰から抜けだした後に見える世界

このブログも大学一年からシコシコ続けてた訳で、
ほんとに少しずつアクセスが増えていって、今まあまあのアクセスを得ている。

大学一年の頃は、ホントに「人がこれ読んで面白いかどうか」よりも、「この文章から僕がどう思われるか」を気にしていた。
だから実は書いたけど消してor非公開にした記事というのが結構な数あった。
今はほとんど記事を消すことはない。
「こんなゴミ記事消してえ」と思うことは頻繁にあるが、それは別に内容的にゴミで、しかもアクセスもとれないからであって、
自意識過剰による羞恥心とはまた別の動機から発しているものだ。

自意識過剰から抜け出せれば、色々物の見方も変わった。
自意識過剰だった時代は、「痛い」とか「中二病」とかいったワードが、非常に心に突き刺さる言葉だった。
中学時代既に僕は結構ネットをやってたせいで、
中二病という概念を知っていて、実際中二のときは、極力そういう行動をとらないよう、とらないよう、自分を抑圧して生きてきた。
今になってやや後悔している。
なんでそんなどうでもいいことにこだわっていたんだろうか。
そう思うわけだ。

  • 自意識過剰は年とともにおさまっていく傾向

があるようだ。
僕ももしかしたら拝金主義云々の前に、年をとって恥を感じる神経が鈍ってきたのかもしれない。
基本的に人間は加齢とともに恥知らずになっていく。
五十前後の中年の電車内での行動とか、老人世代の行列の割り込みとか、
そういうのを目にしたことが一度くらいはあるんでないだろうか。
一般的に加齢とともに自意識過剰もおさまっていく。
大半の人間は、自意識過剰の一番の原因は思春期で、それさえ過ぎれば自然と適切な自己認識を持てる。
ア、アイデンティティーの確立がどうとか、そういう話。

ただ現代のサブカルチャーの中では、その手の自意識過剰が一種賛美・強化されているような面があって、
大学生くらいでもバリバリの自意識過剰を発揮してる人が存在する。
そういう人はこの記事読んで、少しは生きやすいメンタルを得られると、何か今後の人生変わるかもしれない。(了)

*1:拝金主義が齎す涅槃の境地というのがあるのかもしれない。