四十三庵

蔀の雑記帳

ギリシャから見る金融の本質

金融というのは、「金を融通する」という字義通り、本質的には「金の貸し借り」のことだ。
もっと卑俗に言ったら、「借金」のことだ。
通常借金といえば、「借金する側」の方が色々な意味で弱い、と決まっている。
ヤクザや暴力団が借金取りとして、借金を回収する光景は、よくドラマなんかで放送される。
シェイクスピアの「ヴェニスの商人」ではユダヤ人の高利貸が出てくる。
かなり古い頃からあるモチーフだ。
今日日、まともな金融機関がそんな手段とるということはないだろうが、
もっと合法的で「怖い手段」を使って回収しようとする(らしい)。

しかしギリシャのゴネ得っぷりを見てると、この金融の基本的構図、
つまり経済的社会的強者としての「金貸し」と、経済的社会的弱者としての「借金する側」の関係が、
なんだか逆転してしまってるように感じる。
金を貸していて、金を持っているドイツやフランスの方が、
金を借りていて、金がないクソギリシャを配慮しなければいけない構図になっている。

  • きちんと返ってくれば儲け、返ってこないと大損

金融の債権者(金貸す側)、債務者(借金する側)が、
基本的には債権者の方が経済力があり、債務者にはない、という関係は自明だろう。
「無い袖は振れぬ」し、金がない人間に「無い金は貸せぬ」。
債権者は経済的強者なのだ。
それは間違いない。

富を蓄えた経済的強者は、弱者に金を貸して、彼からの利子で不労所得を得ようと考えた。
この発想は人類が古くから思いついて、実行していたかなり安直なものであるらしい。
日本だともう鎌倉時代くらいには金融業者は原始的な形ではあるが存在した。
それが歴史を経て、洗練されて、今の銀行制度・諸法律となっている。
JPモルガン三菱UFJを見てもわかる通り、歴史を見れば、
過去の大富豪が金融業やってたのが、近代化の過程の中で「銀行」という看板つけはじめて、現代の大手銀行となったのだ。
(モルガン家、三菱財閥

別に歴史の話をしたい訳でなくて、金融というのは長期的に見ればやっぱ儲かるビジネスなのだ、
ということを再確認したかったために、歴史の話を出した。
錚々たる大富豪たちが金融業を営み、歴史的に大きな利益を出し続けた。
彼らは明らかに「強者」だ。
ではなぜ、ギリシャは「弱者」であるにもかかわらず、あのように自分のとって有利な条件を勝ち取ることが可能なのか。
(ユーロという通貨やEUという共同体の特殊性はおいといて、純粋に金融的な問題として)

金融は「キャッシュ・フロー」「力関係」という図式で見ると、次のようになっている。

金を貸す前はWという莫大な富を持っている債権者だが、借金Dを債務者に融通すると、その金額は「W-D」になってしまう。
大して債務者は、借金する前は0(極端すぎる例だけど)だったものが、借金Dというキャッシュ・フローを得ることができる。
実はこの瞬間では、債権者と債務者の力関係は、債務者の方が圧倒的に強い。

損得勘定で考えてみると、この金を貸した瞬間、債務者の儲けはプラスD円、債権者の損はマイナスD円。
もしもこの時点で債務者が一円も返さなければ、債権者はD円まるまる損することになる。

もちろん最終的に返済が行われたなら、債権者は利子分利益を得ることができる。
だからこそ、金融業者は貸す前に与信能力を徹底的に調べたり、
時代によっては暴力団やヤクザまで使ったりして、借金の返済確率を上げたのだ。
その裏には、この一瞬の力関係の逆転がある。
この力関係の逆転こそ、金融の本質だと僕は思う。

  • 法律の中の「ゴネ得」

これで、なぜギリシャの方が「強い」のかわかっただろう。
ギリシャの場合国家の話で、個人や企業だとまた違うんじゃないかと思うかもしれないが、同じだ。
ギリシャの場合「デフォルト」だが、個人の場合「自己破産」、企業の場合「倒産」ということになる。

どちらも民法会社法で認められたれっきとした合法的行為である。

今持ってる資産はすべて差し押さえられることになるけれども、
所持金が「ゼロ」になるだけで、「マイナス」からは脱却できる。
まさに債権者にとっては「マイナスD円」の状況である。

ただそれを防ぐために、連帯保証人制度という人情に訴える制度がある。
誰だって友人を裏切るのは、なかなか辛い。

それと比べると、国家のデフォルトというのは、なんとも気安いものではないだろうか。(了)