四十三庵

蔀の雑記帳

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」とは

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
とは有名な福沢諭吉学問のすすめ」の書き出しです。
確かにいい言葉ですが、迂闊に引用するのは避けた方がいい言葉でもあります。
この言葉を引用して、
「一万円札に載ってる福沢諭吉さんは人は平等だと・・・」
などと説教する奴は一発で「学問のすすめ」読んでないことがバレます。
不勉強なまま年齢だけ重ねられたご年配の方々は集会でスピーチするときに*1
ついつい権威ある文言を引用したくなるものなのですが、「学問のすすめ」を読んでみると、
諭吉先生は「人は平等だ」などと言ってないことがすぐにわかります。*2

(蔀による平易な現代語訳)
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言う。それならば、天が人をつくったときには、みんな同じ身分で、貴い人も卑しい人もいなくて、万物の霊長としての心と体を持って色んなモノを得て、衣食住を満たし、自由に安楽に生きろと思って、人間をつくったのであろう。しかしながら、ひろくこの人間世界を見渡すと、賢い人、愚かな人がいる、貧しい人、富める人がいる。貴族もいれば、下人もいる。その有様は天と地ほどの差がある。その理由は明白だ。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」と書いてある。それならば、賢人と愚人のわかれめは勉強するかしないかによるものだ。また世の中には難しい仕事と簡単な仕事がある。その難しい仕事をする人を身分の重い人と名づけ、簡単な仕事をする人を身分の軽い人という。頭を使って、あれこれ考える仕事は難しく、手足を使う肉体労働者は簡単だ。したがって、医者・学者・官僚・政治家・大商人・豪農は身分が重くて、貴い人間というべきだろう。

(原文)
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤(きせん)上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資(と)り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥(どろ)との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教(じつごきょう)』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役(りきえき)はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。

もうおわかりですね?
学問のすすめ」のメッセージは、
「人間は平等だ」
ではなく、
「人間は不平等だ。その原因は学があるかないかだ。学問しようぜ!」
というメッセージなのです。
まさしく「学問のすすめ」というタイトル通りです。

学問のすすめ」が書かれてから100年以上がたちました。
福沢諭吉先生の創設された慶応大学は、今日では私立で最も難関大学になりました。
そして慶応生が、企業の説明会で、
「慶応大学の××です! 本日は貴重なお話ありがとうございました!」
と呪文を唱えて、周囲のMARCH以下の学生を威嚇しているのを見ると、胸が熱くなる光景ですね!
諭吉先生の教えは、塾生たちの胸に今も脈々と受け継がれているのです。

*1:スピーチを「演説」と訳したのもユッキーですね

*2:僕は高校生ぐらいのときに読んだ気がします