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四十三庵

蔀の雑記帳

知識を頭に保存しない危険性

茂木健一郎の「茂木健一郎の脳科学講義」という本を昔読んだ。
今でこそ胡散臭いワカメ野郎に成り下がった茂木健一郎がまだ真面目に本書いてた頃の著作で、
特に僕が好きだった内容が、
「脳を考えるための器官としてのみ使う」
という考えだ。

コンピューターが飛躍的に進歩して、人間の記憶能力というのは、
明らかにコンピューターには勝てなくなった。
人間の脳には思考するための器官としての役割と、記憶するための器官としての役割が2つある。
記憶器官としての機能はもうコンピューターに全て任せましょう、というのが茂木氏の主張である。

茂木健一郎の主張には屡賛同しかねる点があるが、これに関しては僕も全面的に同意だ。*1
で、大学生活はほとんど記憶という作業を放棄して、勉強したり読書したりしていた。
このメリットは絶大だった。
こういう形で勉強してくと、なにより楽しい。
知識の量の増え方も、大学受験の比ではない。

ただ最近はデメリットを感じることが増えてきた。
頭の中に知識がないから、手ブラの時に思考を広げることができない。
いちいち本やなんかを参照しながら、考えなければいけない。
ブログを書いたり、プレゼンのように予習して喋ったりというシチュエーションであればさして問題はないのだけれど、
もっとカジュアルに自分の思考を云々したいときには、これが結構困る。

セネカだったかキケロだったかが、
記憶力が幼少期においては賢明さと同義であるという趣旨の言葉を残してたと思うが、
知識を頭に残さないということは、フリーハンドで話すときに、何も話せなくなるということでもある。

コアとなる知識は当然記憶しなければいけない。
問題はどれがコアで、どれが瑣末な知識なんかっていう区別なんだけども、
「記憶丸投げ勉強法」だと、往々にしてコアの知識を落としてしまう

だからまあこれから僕は多少記憶するという重視してやっていこうと思っているわけです。

*1:また外山滋比古「思考の整理学」なども同じ路線