四十三庵

蔀の雑記帳

「盲目の時計職人」リチャード・ドーキンス(翻訳 日高 敏隆)

利己的な遺伝子」が図書館で借りられたまま返されないので、先にこちらから読むことにした。
ドーキンスは人気のある生物学者で、多分「利己的な遺伝子」が一番売れてるみたいで、
そのヒットの後に出した本がこの「盲目の時計職人」らしい。
生物学者であるが、生物学の知識使って硬く書かれている訳ではなく、
生物学の知識に基づいて、予備知識のない読者にもわかる程度に、比喩を使いながら書いている。
ところどころ比喩がイギリス人くさい教養主義なのか、
「盲目の時計職人」とか「出エジプト記」とかを淘汰や進化の比喩としてして使っていて、
やりすぎじゃないのかと思うことがあったが、その辺がどうも人気の秘密らしい。
僕は生物はからきしダメで、*1ほとんど知識がないけども、高校生物の知識欠けててもなんとか読めるようだ。
著者はダーウィン主義の立場に立っているよう。

  • 「進化」は偶然か?

500頁くらいある結構なボリュームの本なのだが、上述の通り、やりすぎ感のある比喩を使って話を進めるので、
主張と根拠だけを簡潔に書けば多分200頁くらいで収まる内容だと思わるる。

生き物のデザインは、人間に限らず、非常に精緻につくられている。
その例として、コウモリの超音波が挙げられている*2
エンジニアがレーダーをつくるのと比較して、コウモリの超音波がいかに優れているか。

コウモリの耳、人間の目のような優れた器官が、どのようにつくられたか。
熱烈なキリスト教原理主義者でもない限り、「進化」と答えるだろう*3
しかし、進化で生物の精巧なデザインがつくられたとするならば、そこにはいくつか疑問が残る。
人間の体が、進化で出来たとするには、人間の体のデザインは複雑すぎはしないか。
進化のプロセスに神が介在しないのであれば、このような複雑なデザインが果たして実現可能であろうか。
人の細胞の核には、「エンサイクロペディア・ブリタニカ」*430巻以上の大きなデータを内包されている。*5
その細胞を人間は約10兆持っているから、とんでもない情報量になる。
そのようなビッグデータの変化で、上手く生物のデザインを操れるなどということがあるのだろうか?

その答えになるのが「自然淘汰」という考えである。
この本のタイトル、盲目の時計職人というのは、自然淘汰の比喩にほからない。
盲目というのは、自然淘汰がどういう結果を目指しているか、その方向性が一切ないからである。
時計職人というのは、腕のいい時計職人のように、生物の形がデザインされているからである。

なぜ複雑なデザインが自然淘汰によって実現されるか。
その鍵となるのは「累積淘汰」という考えである。
自分の祖父母や、あるいは子供世代・孫世代を見てもらえばすぐにわかるが、
一世代や二世代の「進化」などというのは、ほとんど変化がない。
一段階の淘汰では、複雑なデザインは到底実現しそうにない。
しかし、わずかな変化が積み重ねられていくと、いつしか複雑なデザインが実現されている。

ここで、累積淘汰を考えるために、ちょっとハムレットに登場してもらおう*6
シェイクスピアの「ハムレット」のなかに、ハムレットとポローニアスが雲を見て、その形から色々連想を広げるシーンがある。
ハムレット

Methinks it is like a weasel
(俺にはイタチのようにも見えるがな)

という台詞。
単語の間の空白も一文字としてカウントすると、28文字の台詞である。
これを26文字のアルファベットと、空白1文字の合計27文字の中から、ランダムで一文字選ぶことを28回繰り返すプログラムつくって、
「偶然」この台詞が完成する確率を考えてみる。
(大文字、小文字の区別は考えない)
まず最初の一文字目が正しくMになる確率は、27文字の中から「M」を選ぶ確率なので、1/27。
同じく、二文字目のeも1/27。
なので、28文字の台詞が正しく「偶然」完成する確率は、
1/27を28回掛け算すればいい。
もちろん賢明な四十三庵読者の方は計算しなくてもいい。
どうやら、約1/10^40(10の40乗分の1)になるようだ。
数字に弱い方のために、10の40乗分の1を指数使わんと書いてやると、

偶然ハムレットの台詞が完成する確率
≒1/10000000000000000000000000000000000000000

である。
まあ要するに、ほとんど確率ゼロ、偶然完成することなんてほぼありないということだ。
10^40回、ランダムに文字を選ぶプレイを繰り返せば、1回くらいはなんとか成功するかもしれない。
気の遠くなるような話だ。

賢明な四十三庵読者の方は、このハムレットの台詞が、生物のデザインの比喩ということを察しているだろう。
自然淘汰がもしランダムに起こっているのであれば、人間のデザインはもっと無秩序になっていたはずである。
10^40回、世代交代を繰り返して、一回今の人間のデザインが実現するかどうか、という話になる。

しかし生物の進化は、このようなランダムなものではない
(ここが本著の重要な論点である)
最初、テキトーな28文字のアルファベット+空白の羅列があったとする。
最初はてんでめちゃくちゃで、元の台詞とは似ても似つかない、意味のない文でしかない。
それを、まず一回、文字をランダムに選んでみる。
その際に、完全にランダムなのではなくて、ランダムに選ぶ中でも、一番完成形に近いものを選んで、変化してゆく。
今度はランダムではないので、確率では考えられないが、この方法であれば、
完成形の台詞には、四十一回で到達することができる。

これが「一段階淘汰」と「累積淘汰」の違いであって、生物の進化は「累積淘汰」で起こってきた。
完全にランダムに進化してゆくわけではなく、少しずつ改善が積み重ねられて、今のデザインに到達したのだ。

さて、このアナロジーには一つ問題がある。
それは果たして生物の淘汰が今の完成形を目指して行われたものだったのかという問題だ。
だとすると、人間の祖先は、今の人間のデザインを目指して、猿から進化し続けたことになる。

そんなことはありえない。
では何がその累積淘汰を産んでいるのか。
本の中では一個の点から枝を派生させていって……という作業を延々やっているわけだけども、正直九次元空間を二次元に記述したりしてるせいで、
お世辞にもわかりやすいとは言えない。

多分ここは正面から攻めていった方がわかりやすいと思う。
進化を、Reproduction(繁殖)とDevelopment(発生)という二つにわけて考えてみよう。*7
Reproductionは、親から子供へ遺伝子を伝達させる作業である。
遺伝子情報が一字一句正確に伝わるわけではなく、Reproductionの過程で、「突然変異」が起こる可能性がある。
で、Reproductionで伝わった遺伝子を元に、その子は自分の体のタンパク質をデザインしていく。
そのプロセスがDevelopmentである。

Developmentはどういう遺伝子が送り込まれるかという意味で、Reproductionに影響を受けるが、
Reproductionは遺伝子送り込んで終わる作業なので、Developmentから影響は受けない。*8
「進化」というのは、基本的にはReproductionの反復なのである。

さて、なぜ進化の過程で累積淘汰が起こるのか。
理論上、進化のプロセスの上では、どんなデザインの生物も生まれる可能性がある。
目から毒液を撒き散らす「人間」だって生まれうるし、腕が四本あって目が三つある天津飯みたいな「人間」だって生まれたはずだ。*9
Reproductionのプロセスの中に、今の人間のデザインに至るような意思はない。
盲目の時計職人はあくまで盲目なのである。
それを選別しているのは、他ならぬ地上に生きている我々(生物一般)なのである。
ある遺伝子情報をもとにDevelopmentした生物に対して、地上に生きている生物が影響を与える。
たとえば飛べない鳥は敵に食われてしまって、生き残れなかっただろう。
更に美しくない花は、蝶が寄ってこなくて、受粉に失敗してしまったのだろう。
そういう意味では、盲目の時計職人とは生物の「目」といってもいいかもしれない。
その生存競争が、累積淘汰を引き起こして、現在のような生物のデザインに落ち着いた。
現在の生物のデザインは、理論上ありえたはずの進化の最終形態の、ほんの一部分でしかないのだ。

  • ラマルク主義

僕自身も誤解していたところであるが、進化は以上のような一つの「意思のない」プロセスでしかない。
「進化」によって今の生物が生まれたのは、日本人であれば99%の人が納得してくれると思う。
ただその進化が「用不用の原理によって、役に立つものを遺伝子が選んで発達させていった」ものであると捉えるのは、間違いである。
そのような考えはラマルク主義と呼ばれる。
キリンの首が長いのは、キリンの祖先が高いところにある木の葉っぱを食べようとして、
うんしょうんしょと頑張って首を伸ばした末に、どんどん子供の首が長くなっていって、
今のキリンのようなデザインになった、というのがラマルク主義の考えだ。
この説のいいトコは、割と「教育的」ではあるということだ。
ラマルク主義のような進化であれば、自分の努力は、子孫にもいい影響・いい進化を齎すことになる。

大分この記事も長くなってしまったので、深入りはしないが、このラマルク主義への反論点は次の三つ。

1.獲得形成の遺伝という事実は、確認されない。
2.生物の胚発生は後成的*10なものである。
3.ラマルク説では複雑な生物のデザイン*11を説明できない

だから、まあ、キリンさんの首が長いのは、首が短かったキリンは葉っぱ食えずに死んだから、という身も蓋もない結論になる。
ダーウィン主義)

  • 胚発生が後成的であるということ

ラマルク説の反論点の二番目について、補足しておこう。
生物は「胚」という状態から、どんどんDevelopmentしていく。
そのプロセスを胚発生というそうだけども、
遺伝子と胚発生の関係は、家の設計図と、料理のレシピの違いでとらえるとわかりやすい。
家は、設計図の図面通りに普請される。
ただ料理のレシピは、塩100gとかかいてあってもある程度テキトーにやるし、思いつきでアレンジを加えたりする。

胚発生のなかで、遺伝子というのは料理のレシピなのである。

  • 生物の祖先

本の中で最初一つの点からどんどん進化を枝分かれ分布みたいにシミュレーションしていくと、まず樹木みたいな形になって、
それに突然変異の要素加えると、昆虫のようなデザインになっていくというシミュレーションが行われている。
点からスタートというと、非現実的なような気がするけれども、
生物の祖先はどうやらバクテリアから進化したらしい。

そういう「進化の家系図」みたいなものを研究しているのが分類学という分野だそうだ。(了)

*1: というか理科全般が苦手だった

*2:第二章

*3:アメリカだと真面目に神がアダムとイブをお造りになったという「創造論」を大まじめに唱えている人は多く、進化論は常に攻撃に晒されている

*4:イギリスの百科事典

*5:第一章

*6:第三章

*7:本の中では繁殖、発生という訳語があてられているが、かえって混乱することになるので、この記事では言語をそのまま用いる

*8:この点が本の中ですごく強調されるが、言葉の定義がしっかりわかってなかったのでわかりづらかった

*9:このあたりは調子乗って例を出し過ぎると身体障害者差別になってしまうことになるのでこのあたりにとどめる

*10:遺伝子通り寸分の狂いもなくDevelopmentするのではなく、環境の影響を受けながら多少の裁量をもってDevelopmentしていくという意味

*11:たとえば人間の目は色や光を調節できるがこの機能はなぜ存在するか