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四十三庵

蔀の雑記帳

失われた20年における日銀のスタンスの変遷

経済

アベノミクスの効果を見極めるために、とりあえず岩田規久男「まずデフレをとめよ」という本を読んだ。

今はもう日銀副総裁になった岩田規久男さんが編集して、執筆者にリフレ派の大物経済学者を集めた本だ。
この中の第三章で、日銀の金融政策論争をまとめられているので、それを備忘録的にブログに残しておく。

リフレ派の「デフレは日銀に全責任がある」という見方は単純過ぎると僕は考えているけれど、
日銀の金融政策が適切に行われていないのもまた事実だと考えていて、この章を読んでいてもその気持ちは高まった。

  • 6つのテーマ

①1998年4月(新日銀法改正)〜2000年2月 「ゼロ金利政策下での金融政策の有効性」
②2000年3月~2001年2月 「ゼロ金利政策解除の正当性」
③2001年3月〜2003年3月 「ゼロ金利の復活から段階的な量的緩和
④2003年4月〜2005年5月 「テイラー・溝口介入と財務省・日銀の協調リフレーション政策」
⑤2005年6月〜2008年3月 「『出口戦略』の是非」
⑥2008年3月以降     「逐次投入型の遅すぎた追加緩和」

バブル崩壊をうけて、岩田規久男が1992年後半から93年前半にかけて「翁・岩田論争」というのを提起した。
岩田規久男の主張は、日銀の政策指標を金利から量へ、
つまり政策金利からマネタリーベースに変更すべきという主張であった。
バブル期に日銀は金利のコントロールによって景気をコントロールしてきた。
しかし政策金利の決定は、為替対策から「バブル退治」まで、多用な要因に対して、八方美人的に行われるのが現実であった。
これがバブル崩壊の原因となった。
それならば、金利よりも量で景気をコントロールするほうが適切ではないか、というのが岩田さんの主張だった。

ここで日銀の翁さんは、リフレ派から「日銀理論」として批判される反論を展開する。
曰く、
「日銀は短期金融市場で準備預金残高を操作し、短期金利をコントロールして、金利を通じて適切なマネーサプライを実現してゆく」
という日銀独自の理論。
マネーサプライの決定理論に、金利の要素は入ってない)

①1998年4月(新日銀法改正)〜2000年2月 「ゼロ金利政策下での金融政策の有効性」
97年 アジア通貨危機
   三洋証券、北海道拓殖銀行山一證券の経営破綻
98年 ロシアのデフォルト
などをうけて、日銀は無担保コールレート政策金利)を0.25%に誘導することを決定。
99年2月にアメリカの金融緩和要請を受け入れ、更に0.1%の利下げを行う。
実質的なゼロ金利政策の導入となった。

しかし日銀は、量的緩和の導入には消極的であった。
ゼロ金利政策下では、貨幣と短期国債はリスクリターンが等しくなり、完全な代替関係になる。
したがって、量的緩和で短期国債買いまくっても、同じモノをぐるぐる回してるだけで、緩和効果がない。*1
(また札割れが起きている場合、短期国債を買う事自体が不可能)
長期国債かリスク資産を買う場合、長期金利のコントロールをしなければならない。
しかし
1)長期金利のコントロールは不可能
2)民間金融機関に不良債権が積み上がっている現状では無意味


②2000年3月~2001年2月 「ゼロ金利政策解除の正当性」
アメリカのITバブルの恩恵を受けて、日経平均は二万円台を回復しながらも、デフレは継続していた。
日銀は「いいデフレ論」と「ダム論」を唱え、ゼロ金利政策を解除した。

・いいデフレ論
現状のデフレは、グローバル化で途上国から安い商品が輸入されていたり、
企業の努力で安価な製品がつくられたりした、供給サイドの努力の結果としてのもので、需要の弱さを反映するものではない。

・ダム論
企業の設備投資増加・収益の上昇は、やがて家計の所得増加・株価上昇により波及してゆく。
時間とともに、物価にも反映されてゆくだろう。
(ダムの水位と下流への放出の関係のように)

2000年8月に、日銀はゼロ金利政策を解除し、金利を0.1%引き上げ、0.25%にする。
後述するが、日銀は伝統的な金利政策に異常な執着を見せている。
これは日銀という組織の習性であるように思われる。

③2001年3月〜2003年3月 「ゼロ金利の復活から段階的な量的緩和
しかしITバブルの崩壊で、景気は大幅に悪化。
2001年2月に、ゼロ金利政策を復活。3月には日銀当座預金残高を新たな操作目標にする、金融緩和策を打ち出す。
「CPIを安定的にゼロ%以上にする」というコミットメントを表明。
更には長期国債の購入にも踏み切った。

ただしその裏にある理論は、従来の日銀理論の拡張だった。
「時間軸効果」という相変わらず金利サイドの視点から、量的緩和は実行されたのだった。

・時間軸効果
イールドカーブ*2のフラット化により、投資が促進される効果。

つまり日銀の理論の枠組みでは、

量的緩和長期金利低下→物価の上昇

というプロセスを想定していた。

④2003年4月〜2005年5月 「テイラー・溝口介入と財務省・日銀の協調リフレーション政策」
2003年はりそな銀行の経営危機を受けて、日経平均は7607円まで低下。
これをうけて、りそな銀行は国有化された。
りそなの国有化と同時に、2003年から2004年まで合計35兆円の円売りドル買いを行い、円安に誘導した。
この為替介入は、一部を非不胎化したため、実質的なリフレ政策となった。
2004年3月には日銀当座預金残高目標は一年前の17兆〜22兆円から30兆〜35兆円へと引き上げられた。
また財務省の為替介入が35兆円だったのに対して、日銀の当座預金残高の増加は15兆円弱であった。


⑤2005年6月〜2008年3月 「『出口戦略』の是非」
いざなぎ超えの景気回復を受けて、
2006年3月 量的緩和政策の解除
2006年7月 ゼロ金利政策の解除
を行った。
2007年2月に追加利上げをして、無担保コール翌日物金利は0.5%まであがった。
この金利リーマン・ショック後の2008年10月まで続く。


⑥2008年3月以降     「逐次投入型の遅すぎた追加緩和」
日銀はリーマン・ショック後、小出しに追加緩和を実行した。
リーマンショック直後
政策金利 0.3%(08年10月31日)→0.1%(08年12月19日)
・長期国債買い入れ額の拡大(年間14.4兆→08年12月19日16.8兆→09年3月18日21.6兆)
・CPや社債の買い入れオペ導入(08年12月19日及び09年1月22日)
・米ドル供給オペ導入(08年9月18日)
などなど

◯包括金融緩和(2010年10月〜)
1.金利誘導目標(政策金利)の変更
政策金利を「0.1%程度」から「0〜0.1%程度」に変更
2.「中長期的な物価安定の理解」に基づく時間軸の明確化
物価安定が展望できる情勢になったと判断するまで、実質ゼロ金利政策を継続していくことを確認
3.資産買い入れ等基金の創設
国債、CP、社債ETF、REITなど多様な金融資産の買い入れと固定金利オペのため、臨時措置として基金を創設
立教の北原ゼミの[www.rikkyo.ne.jp/grp/kitahara/sotuyamasita5.docx:title=レジュメ]より引用)

この間、FRBは大規模なQE量的緩和)を実行。
相対的に日本の金融緩和政策は小規模になった。


現在、黒田総裁がリフレ政策を導入して、「CPIを2%以上にする」というコミットメントをしたのはご存知の通り。


  • 日銀という組織の欠陥

官僚組織は、権限と責任が非常に重い。
そして「いい結果」に対するリターンが特になく、「悪い結果」には国民やマスコミからの非難という罰が与えられる仕組みになっている。
その結果、官僚組織は保守的かつリスク回避的な組織となる構造になっている。
日銀もその例に漏れない。
多大な権限は持ちながらも、責任はなるべく回避しようとする。
そのために権限そのものを行使しない場合がある。

金融というスピード感が求められる業界において、このリスク回避的な姿勢は致命的な欠陥となる。
日銀が金利政策にこだわるのも、最も「無難」で、かつスピード感はある政策だからだ。
(了)

*1:ポートフォリオリバランス効果がない

*2:縦軸に金利、横軸に国債償却期間をとった曲線