四十三庵

蔀の雑記帳

最近の目標は読書量を減らすこと

  • 読書遍歴

僕はその昔結構な読書好きだった。

中学生のときは歴史小説をひたすら読んでいた。
三国志にドハマりしていたので、横山光輝の漫画から入って、連載中の蒼天航路も読んでたし、
吉川英治のやつも読んで、北方謙三のも陳舜臣のも反三国志までも読んで、最終的には正史も読んでいた。(書いてある内容はあんまりわからなかった)
項羽と劉邦も好きだった。古代中国史の英雄が活躍する戦争が好きだった。

高校生の頃は、歴史小説から時代小説にシフトしたりしながら、最終的には徐々に日本文学に興味がシフトしていった。
定番の太宰治から入っていって、最終的には川端康成・谷川潤一郎・三島由紀夫の昭和文豪の小説を乱読するようになった。
中高生の頃に読んだ本の目録(「旧四十三庵」)

僕の中の日本文学は三島由紀夫が死んだ1970年で止まっていた。
村上春樹村上龍ですらまともに読んだのは大学入ってからだった。
高校生の頃は今よりも偏屈だったので、読む価値はないと思っていた。

大学生になると、小説自体あんま読まなくなってしまって、経済学の教科書とか、新書とか、実用書寄りのものしか読まなくなってしまった。
蔀の本棚
大学に入ってから速読ができるようになった。
特に読みやすい新書だと、本気出せば1時間程度で大意をつかめるようになった。

去年(2012年)は一年で100冊読む、というのを達成したような気がする。

  • 読書教に騙されてはいけない

以前会ったあるベンチャー企業の社員の方で、
「私はひと月に50冊は本を読むようにしてます!」
と仰ってた人がいた。
このインターネッツが発達した21世紀に、昔ほどではないけれども、「読書をしろ!」と人に薦めてくる自称教養人は多い。
僕はそれを「読書教」という宗教のようなものだと考えている。

まず読書に限らず、映画好きやラーメン好きも同じなんだけど、「数を自慢してくる奴」というのは高確率でクソだ。
本当に好きな人間が客観的な指標として「僕は一年にラーメン屋を300軒は巡る」と言うのならわかるが、
現実問題としてラーメンがいくら好きでも300軒巡るのは相当な骨で、
「ラーメンが好きだから300軒巡った」というよりは、
「ラーメンが好きなこたあ好きなんだけども、300軒巡ってすげーって言われるために努力して巡った」というケースが多い。

読書教の信徒もその手合なので、ひと月50冊読むのが目的化してしまっている。
もちろん読書の有益性を否定するつもりはない。
50冊読んで何か得られるものもあるだろうけども、本当にそれがベストな時間の使い方なのかには大いに疑問がある。
多読を自慢してくる奴は、確かにすごい頭よさそうに見えるんだけども、本当に賢いとは思えない。

  • 多読のメリット

多読にもメリットはある。

1)他人にドヤれる
これが一番大きい。
読書という本来他人から評価されることが難しい行為を、
「x冊読みました!」という客観的な数字として自慢することができる。
他人にドヤるのが目的の読書であれば、別に多読でいいと思う。

2)色んな本が読める
月に1冊しか読まないのと、50冊読む人間とでは、当然人生で読める本の量は全然違ってくる。
多読の方が、色んな本が読める。
その中に面白い本もあるだろうから、多読の方が面白い本をよりたくさん読めるだろう。

  • 多読のデメリット

他にもメリットはあるかもしれないが、僕はデメリットの方が大きいと思っている。

1)知識依存型の人間になる
孔子が「論語」で

「学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」

と書いたように、読書という行為はそもそも受動的である。
多読の習慣がつくと、読書が「学びて思わざる」行為になってしまう。

2)月に50冊読めるような質の本しか読んでいない
正直僕も月50冊読もうと思えば読める。
新書コーナーにある本で、読みやすそうなやつを50冊買えば、1冊1時間もかからないだろうから、50時間あればいける。
けどある程度中身のある本は、概して読みづらい。
文章の論理展開は整っていても、内容が難しいからだ。
新書が読みやすいのは中身がスカスカだからという側面がある。
「本当にヤバイ!日本は財政破綻する!」みたいな新書と、「財政白書 平成24年度」という政府文書のどっちが読みやすいか考えてみるとよい。
読みやすさで言えば圧倒的に前者だが、本来理解した方がよいのは財政白書の方だろう。

3)脳の容量には限界がある
僕は人間が考えられることには限界があると考えている。
「考えるべきこと」を多くし過ぎると、結局何も考えられなくなる。
確かに「あれも考えたい、これも考えたい」という気持ちは僕にもあるし、
素晴らしいことだが、「月50冊」のような、人に自慢できる量の本を読むと、
結局何も頭に残らなくなってしまうのではないかと思う。

4)貴重な人生の時間を読書という行為に奪われる
時間は限られている。だからこそ貴重だ。
友達と話してもいいし、外でスポーツやってもいいし、街を歩いてもいいし、
旅行してもいいし、一日中寝ててもいいし、美味いもの食べてもいいし、とにかく我々には限られた一日二十四時間・一年三百六十五日という時間制限と、
その限られた時間で選ぶことが出来るたくさんの選択肢がある。
その選択肢の中で、読書が最良の選択肢であるとは、僕には思えない。

  • 自分の読書スタイルを確立させたい

そういう訳で、僕は今読書量を減らしたいという風に考えている。
全く本を読まないという訳ではなく、量を減らして、打率を上げたいと考えている。
打率とは、「面白い本に出会える確率」である。
今考えていることをもっとわがままに言えば、
「面白い本だけ読んでたい」
という風になる。
そのために読書の冊数としてはひと月5冊前後くらいがちょうどいいと思う。

ではどうやって打率を上げるか、というと、面白い本を読んだことがありそうな人にオススメしてもらうのが一番打率が高いと感じている。
人に薦められた本は、相手がよほど尊敬できない人間でない限り、読むことにしている。

僕にとって読書の目的は「情報収集」でしかない。
読書によって他人の考えていることを知って物の見方を広げたり、
知らなかったことを知ったりして、今後の自分に活かすのが一番の目的で、小説であれば何かしらの感動を得たいと思っている。
そういう幅を持った「情報収集」が僕の読書の目的なので、
「ひと月5冊くらいで、面白い本だけ読む」
というのが、理想の読書スタイルだと思う。
(了)