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四十三庵

蔀の雑記帳

成人式でヤンキーが暴れる理由

論考

成人式が開催された。
例年、成人式で暴れる若者がニュースで報道される。
今回の記事はその理由を考えてみた。

90%以上の成人式は普通に終わっている

僕も成人式に参加して、参加するまでは誰か暴れるやつとかいるのかなーと思っていたが、そんなことはなく、山も谷もなく終了した。
ニュースに出てる暴れるヤンキーとか、面白市長とかいうのは特例であって、90%以上の成人式がふつーに行われている。
成人式のトラブルなんていうのは報道されないだけで昔から多かれ少なかれあっただろう。
報道されなかっただけだ。
それが「僕らの若い頃は成人式で暴れる奴なんていなかった」というのは誤解だ。

ヤンキーはなぜ成人式で暴れるのか

ただ実際に成人式で暴れるヤンキーは存在する。
ネットスラングでDQNと呼ばれるような層だ。

成人式というのは、学校の集会と酷似している。

市長や職員≒教師
新成人≒生徒

新成人の言葉を延べる優等生は、中学高校時代の生徒会長のスピーチのようだ。

学校で暴れまわってたヤンキーも、牢屋に入るまでの極悪行為をしようという、筋金入りの極悪人は少ない。
稀に「ホンモノ」がいて、少年院入ったり、ヤクザになったりするけれど、
大半は学校で教師の手を焼かせた後、普通に働いて、結婚することになる。*1

学校で暴れているヤンキーは、なぜ暴れているのだろうか。
なぜ授業妨害をしたり、遅刻してきたり、早退したり、体育をサボったり、教師の車にいたずらしたりするのか。
それは、彼らの承認欲求と密接に関わっている。

ヤンキーの承認欲求

誰しも承認欲求を持っている。
ヤンキーは、勉強やスポーツで親や教師から認められたいとは思わない。
そもそも勉強が出来ないからヤンキーになるのだし、部活に入って真面目に練習もしたくない。
ではどうやって人から認められるのか。
そう。
クラスのヤンキーは、学校で暴れることによって、人から認められようとしている。
自分でそこまで考えてやっているわけではないけれど、自然とそういう行動をとっている。
授業妨害によって、クラスで自分の力を誇示しようとする。
教師と自分が対等だ、というアピールをする。

悪事を繰り返していると、教師も次第にヤンキーをマークするようになる。
そして何度も何度も繰り返し注意をするうちに、その注意するという行為を通じて、ヤンキーと奇妙な友情のようなものを共有する。
教師にとって、ヤンキーは迷惑な存在でもあり、愛すべき存在でもある。
「手を焼かされる存在」だけれども、彼らが居ないとなんだかつまらない。
教師にとって、何の問題も起こさないおとなしい生徒は楽だが、印象に残らない。
他人に対する感情は「好き/嫌い」以外に、「無関心」というのが存在する。
教師にとって問題行為を繰り返すヤンキーは「嫌い」な存在だが、それは「無関心」よりは強い感情として記憶に残る。
強く嫌うことは、好きな感情と似ている。
このブログを読んでいる読者は恐らくはクラスで何の問題も起こさない、真面目で、空気のような存在で、
ヤンキーを憎悪しながら中高六年間過ごされたのではないかと想像するけれども、
教師の記憶の中には、あなたの記憶は限りなく薄いのではないかと思う。
むしろヤンキーの名前の方が「あ〜! あいつには手を焼かされたよ…」と強く思い出すのではないか。

ヤンキーは学校を通して、そういう複雑な人間関係を構築している。
言うなれば教師と慣れ合いのプロレスをやっているのだ。

成人式で暴れる理由

そういう風に学校で教師という「公(public)」との関係を構築した経験があると、成人式で暴れるヤンキーの心情が理解できる。
彼らは成人式で暴れる。
彼らにとって、成人式は肌感覚で社会の抑圧を感じる最後の機会だ。
そこで彼らが学校でしてきたように、成人式で承認欲求を満たそうとする。
その結果、成人式で暴れる若者があらわれる。
(了)

*1:今の日本ではその「普通」が高度経済成長の時よりも難しいのも事実