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四十三庵

蔀の雑記帳

三島由紀夫「豊饒の海」

大した冊数読んでるわけじゃないんだけど、僕が日本文学最高傑作だと推してるのがこの「豊饒の海」。
三島由紀夫がこれ書いた後に死んだっていうことが、後光効果になってるような気もしないではない。
三島由紀夫の最高傑作がどれかっていうのは、人の好みによって意見わかれるところではあるんだけども、僕はやっぱ「豊饒の海」だと思う。
はじめて読んだのは高校三年生のとき(17歳?)で、そのときに内容あんま理解してなかったけれども、とりあえず「すごい。これは三島の最高傑作や!」と感じたのを覚えている。
で、23歳になった今、バイトの休憩時間に読みなおしてたのだけども、やっぱ最高傑作だなあと思ったので、ブログの方にレビューを書いてみようと思った。

  • あらすじ

豊饒の海」は第一巻から第四巻まであって、それぞれが連続しているけれども、4つの別のストーリーが展開される。
一巻の主人公の魂が転生して二巻の主人公になり…という形で第四巻まで続いていく。*1
一巻が明治末期の華族の悲恋話。
二巻が昭和初期の右翼少年。
三巻が戦前・戦後のタイのお姫様の話。
四巻が昭和後期の本多の養子の話。
Wikipediaに長いあらすじが書いてあったので、これを転用する。
かなり長くなるので、読んだことあれば読み飛ばし可だし、読んだことなくても要点さえつかめれば。

第一巻 春の雪

時代は明治末から1914年(大正3年)早春まで。
勲功華族たる松枝侯爵の令息・松枝清顕は、出生時から貴族であることが約束され何不自由ない生活を送っていたが、流れるままの生活に何か蟠りを抱えていた。清顕は幼い頃に、堂上華族の綾倉家に預けられていた。本物の華族の優雅を身につけさせようという父の意向であった。綾倉家の一人娘・綾倉聡子は清顕より2歳年上で何をやっても優れた優雅な令嬢である。そんな幼馴染の聡子は初恋のようでもあり、姉弟のように育てられた特別な存在であったが、自尊心の強い繊細な18歳の清顕にとって聡子は、うとましくも感じられる複雑な存在であった。聡子もいつからか清顕を恋い慕うようになっていたが、清顕は些細なことで聡子に子供扱いされたと思い、自尊心を傷つけられ、突き放したような態度をとるようになる。聡子は失望して洞院宮治典王殿下と婚約するが、清顕は、父が聡子の縁談話を話題にしても、早く嫁に行った方がよいという冷淡な態度であった。しかし、聡子は、清顕の想像を超えて清顕を深く愛していたのである。
いよいよ、洞院宮治典王殿下との婚姻の勅許が発せられた。清顕の中でにわかに聡子への恋しさが募ってくる。皇族の婚約者となったことで聡子との恋が禁断と化したことから、日常生活からの脱却を夢見る清顕は、聡子付きの女中・蓼科を脅迫し、聡子と逢瀬を重ねることを要求し、聡子もこれを受け入れる。親友・本多繁邦の協力もあり密会は重ねられ、聡子は妊娠してしまう。堕胎を聡子から拒まれた蓼科が自殺未遂したことにより、清顕と聡子の関係が両家に知れ渡った。聡子は大阪の松枝侯爵の知り合いの医師の元で中絶をさせられ、そのまま奈良の門跡寺院「月修寺」で自ら髪を下ろし出家する。洞院宮治典王殿下との婚姻は聡子の精神疾患を理由に取り下げを願い出た。
清顕は聡子に一目会おうと春の雪の降る2月26日に月修寺に行くが門前払いで会えない。なおも清顕は聡子との面会を希望するが、聡子は拒絶する。そして、雪中で待ち続けたことが原因で肺炎をこじらせ、20歳の若さで亡くなる直前に、清顕は親友・本多繁邦に、「又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で」と言い、転生しての再会を約束する。

第二巻 奔馬

時代は1932年(昭和7年)6月から1933年(昭和8年)年末まで。
聡子と最後に会うことなく清顕が死んでから18年。彼の親友であった38歳の本多繁邦は、大阪控訴院(高等裁判所に相当)判事になっていた。ある日、本多は頼まれて見に行った大神神社の剣道試合で、竹刀の構えに乱れのない一人の若者に目がとまった。彼は飯沼勲という名で、かつて清顕付きの書生だった飯沼茂之の息子で18歳だった。試合後、本多は三輪山の三光の滝で勲に出くわし、彼の脇腹に清顕と同じく3つの黒子があるのを発見する。本多は死際の清顕の言葉を思い出し慄然とする。
本多は勲から、愛読していたという『神風連史話』を渡される。勲はその精神を以て有志達と「純粋な結社」を結成、決死の何事かを成し遂げようとしていた。勲は政界財界華族の腐敗を憤り、仲間と共に剣によってこの国を浄化しようと考えていたのだった。陸軍の堀中尉とも近づき、洞院宮治典王殿下にも謁見した。軍の協力に期待がもて仲間もふえるが、勲は、父の主宰する右翼塾「靖献塾」にいる佐和から、蔵原武介だけはやめろと忠告される。塾が蔵原絡みの金で経営されているのをほのめかされ、勲は自分の純粋の行為の目的が汚されたと感じる。佐和は、蔵原は自分が退塾して刺すか、もし勲がやるならば自分も同志に入れてくれと言う。自分が加われば塾に傷がつかず上手くやれると言うが、勲は何も計画していないと嘘で切り抜ける。
本多は勲の父・飯沼に誘われ山梨県梁川での錬成会にやって来たが、そこで勲の荒魂を鎮めようとする白衣の男たちを見る。勲は、「お前は荒ぶる神だ。それにちがひない」と父に言われる。そして、その光景は清顕の夢日記に描かれていた光景そのものだった。本多は勲が清顕の生まれ変わりであるという確信を深める。
堀中尉が満州へ転属になり、勲の仲間は減るが、財界要人の刺殺計画は佐和を同志に加え秘密裡に練られていた。ところがどこからか計画は漏れ、勲たちは実行前に逮捕されてしまう。本多は急遽、判事を辞して弁護士となり勲を救う決意をする。本多の弁護により、勲たちは1年近い裁判の末、無罪となり釈放されるが、警察への密告を最終的にしたのは父だったと知った勲は茫然とする。酔った勲が、うわ言で「ずつと南だ。……南の国の薔薇の光の中で。……」と言うのを本多は聞く。
12月29日、勲は姿をくらまし、短刀を携えて伊豆山に向かう。そして、財政界の黒幕・蔵原武介の別荘に忍び込み殺害する。追手を逃れ、勲は、夜の海を前にした崖で鮮烈な切腹自決を遂げる。

第三巻 暁の寺

第一部 - 時代は1941年(昭和16年)から終戦の1945年(昭和20年)まで。
47歳の本多は訴訟の仕事で、かつて清顕と親交のあったシャム(タイ)の王子と、そのいとこの故郷であるバンコクに来ていた。そこで彼は、日本人の生まれ変わりであると主張する7歳の王女・月光姫(ジン・ジャン)と出会う。月光姫は本多を見ると懐かしがり、黙って死んだお詫びがしたいと言う。彼女は勲が逮捕された日付も、清顕と松枝邸の庭園で門跡に会った日付も正確に答え、明らかに生まれ変わりを証明していたが、後日の姫とのピクニックでは、脇腹に黒子はなかった。それから本多はインドへ旅行し、そこで深遠な体験をする。そして、インドの土産を月光姫に献上し、本多にすがって泣く姫との別れを惜しみながら日本へ帰国する。帰国2、3日後、日本とアメリカとの戦争が始まる。
インドの体験と親友の生まれ変わりに触発され、仏教の輪廻転生、唯識の世界にも足を踏み入れた本多は、戦争中、様々な研究書を読みあさり研究に没頭する。ある日、仕事の用件のついでに松枝邸跡に足をのばしてみると、そこは焼跡になっていたが、偶然にも老いさらばえた蓼科に会う。本多は聡子に会いたいと思ったが戦局のきびしさでままならなかった。

第二部 - 時代は終戦後の1952年(昭和27年)と、15年後の1967年(昭和42年)。
58歳の本多は戦後、土地所有権を巡る裁判の弁護の成功報酬で多額の金を得て、富士の見える御殿場に土地を買い別荘を建てた。隣人には久松慶子という50歳前の有閑婦人がいて、本多の友人となる。別荘の客には他に、かつて勲と恋仲であり、勲の計画を父・飯沼へ密告した歌人・鬼頭槙子や、その弟子・椿原夫人、ドイツ文学者・今西らがいた。しかし、本多が一番待ち望んでいた客は日本に留学して来た18歳のジン・ジャンであった。
5年前の1947年(昭和22年)に本多は、皇族の籍を失った洞院宮治典王が開業した骨董屋で、かつて学習院の寮でシャム(タイ)の王子・ジャオ・ピーが紛失した初代・月光姫の形見の指輪を発見し買いとって持っていた。これを日本に留学している二代目の月光姫(ジン・ジャン)に渡すため、本多は別荘に彼女を招くが、その日、姫は来ず、翌日会えることができた。幼い時、勲の生まれ変わりだと主張していたことを何も憶えていないとジン・ジャンは言う。美しく官能的に成長した姫に本多は魅了され、年齢不相応の恋心を抱く。そして、ジン・ジャンに執心し翻弄され、別荘に招いた彼女の部屋を覗き穴から覗くが、そこに見たものは、慶子と裸で抱き合い同性愛行為のさなかの光景だった。そして、その脇腹には3つの黒子があった。驚いていたのもつかの間、やがて別荘が火事になってしまう。帰国したジン・ジャンもその後、音信がとだえ消息を絶ってしまった。
15年後の1967年(昭和42年)、73歳の本多は米国大使館に招かれ、その晩餐会の席上でジン・ジャンにそっくりの夫人に会う。その夫人はジン・ジャンの双子の姉であり、妹は20歳の時に庭でコブラに腿を噛まれ死んだ、と本多に告げる。

第四巻 天人五衰

時代は1970年(昭和45年)から1975年(昭和50年)夏まで。
76歳となった本多は妻を亡くし、67歳の久松慶子と気ままな旅をしたりして暮していた。天人伝説の伝わる三保の松原に行った折、ふと立ち寄った清水港の帝国信号通信所で本多は、そこで働く聡明な16歳の少年、安永透に出会う。彼の左の脇腹には3つの黒子があった。本多は透を清顕の生まれ変わりでないかと考え、養子にする。そして英才教育や世間一般の実務マナーを施し、清顕や勲のような夭折者にならないように教育する。しかし本多は、透の自意識の構造が自分をそっくりなのを感じ、本物の転生者ではない気もした。透は次第に悪魔的になっていき、婚約者の百子を陥れ婚約破棄にする。東大に入学してからは80歳の養父・本多にも危害を加えはじめるようになった。
透に虐待されるストレスから本多は、20年以上やっていなかった公園でのアベック覗き見を再びしてしまい、警察に取り押さえられ、その醜聞が週刊誌沙汰になる。これを機に透は、本多を準禁治産者にしようと追い込み、自分が本多家の新しい当主として君臨しようと企む。見かねた久松慶子が透を呼び出した。そして、本多が透を養子にした根拠の3つの黒子にまつわる転生の話をし、あなたは真っ赤な贋物だとなじる。慶子は、あなたがなれるのは陰気な相続人だけと透を喝破する。自尊心を激しく傷つけられた透は、本多から清顕の夢日記を借りて読んだ後、12月28日に服毒自殺を図る。そして未遂に終わったものの失明してしまう。21歳の誕生日の数ヶ月前のことだった。
翌年の3月20日の21歳の誕生日を過ぎたが、透は点字を学んで穏やかに暮らしていた。性格は一変し、狂女・絹江と結婚し彼女のなすがまま頭に花を飾り、天人五衰のようになっていた。一方、本多は自分の死期を悟り、60年ぶりに奈良の月修寺へ、尼僧門跡となった聡子を訪ねるのであった。だが、門跡になった聡子は、清顕という方は知らないと言う。夏の日ざかりのしんとした庭を前にし、本多は何もないところへ来てしまったと感じる。

  • 解釈のようなもの

今までこの本を、日本文学で最も読むべきと思いながらも、
人にもあまり薦めなかったし、ブログにも書かなかったのは、自分があまり理解してない内容が多かったからだ。
しかしこの歳になって読み直したら、高校時代とは全然別の次元の感動を覚えた。

高校時代に僕がこの小説を最高傑作と思ったのは、単に物語性と文章だけだった。。
「春の雪」なんかは、それ単体で読んでも悲恋話として完成されている。
ていうか多分ほとんどの人は「春の雪」読むだけでもいいと思う。
高校時代、第一巻を読んで、これは名作だ!と思って第四巻まで読んだけども、どうしても第三巻、第四巻と巻が進んでいくにつれて、
つまらなくなっていって、仏教用語でごまかしてる感が否めなかった。
今読むと、高校時代より視野が広がったせいか、何が書いてあるかわかった。
これこそ、今回僕が「豊饒の海」を読み直して得た感動だった。
第三巻、第四巻の内容が、「豊饒の海」の本来の主題で、むしろ第一巻や第二巻の素晴らしい「小説的物語」は全体の中の一要素でしかない。

まあ「豊饒の海」読んでて、辛くなった場面はいくつもあって、
第二巻の「神風連史話」が100ページ続くところと、第三巻のインド描写と仏教用語連発してる辺りはかなり挫折する人多いんじゃないだろうか。
高校時代は「ここ読み飛ばしてもいいよなあ…」と思いながら歯を食いしばって読んでたが、今読むと両者とも重要な場面ということがわかった。
インド描写はこの歳で読むと、インドの知識とかがあるので、情景がある程度イメージできて、読んでて情景が浮かぶんだけど、そうでもないと辛い。
神風連史話はやっぱ辛かったw
絶対成功しないだろっていう挙兵を実行して、案の定失敗して、ほぼ全員が切腹する様子を一人ひとり丹念に描写してるだけなんだもん。
そういう「異常な本」に感動して三回も読みなおしたとか言ってる勲の異常性をかんじろってことなんだと思うけど、いくら何でも辛い。

  • 第三巻の(僕の中の)再評価

豊饒の海」は仏教思想に基いて構成されている。
それだけでなく、(特に第二巻で)神道・西欧思想なども包摂されている。
ただメインは仏教思想で、第一巻から第四巻まで徹底している。
仏教思想といっても、輪廻転生くらいだったら僕らにもすこしは馴染みがある。
けれど豊饒の海において重要な仏教思想は、「唯識論」(ゆいしきろん)という、仏教思想の中でもかなりコアなものだ。
唯識論というのは、すべての存在は「識(しき)」によって成り立っているという考え方だ。
その「識」は、具体的には「八識」としてまとめられる。

眼識
耳識
鼻識
舌識
身識
意識
末那識
阿頼耶識

上記5つは所謂「五感」である。
意識というのはそのまんま「意識」のこと。
ここまではわかるだろう。
問題は七番目の末那識と八番目の阿頼耶識だ。
末那識というのは、意識と対立する識で、自分でも無意識のうちに考えていることを指すらしい。
阿頼耶識というのは、無意識すらも超えた、人間存在の根本にある識である。
一瞬で消滅して、一瞬で再生することを繰り返すことで、永遠に存在する。

法相宗では、阿頼耶識は個人の種子であるだけでなく、世界の根源でもある、と説く。
つまり、世界は常に消滅していて、一瞬で再生を繰り返している。

第三巻のインドのベナレス(今のワーラーナシーというところ)での火葬のシーンで、
この仏教思想は単なる思想ではなく、現実のものとして本多は体感することになる。
それは、人間の理性の、巨大な神秘に対する敗北だった。
豊饒の海」の本多は、第一巻第二巻では「理性の象徴」として登場する。
彼は輪廻転生の目撃者であり、エキセントリックな主人公の傍らに居て、物語のバランスをとっている。

天人五衰」の安永透は、単なる輪廻転生の偽物ではなくて、
三島自身の悲観的な未来観と、未来の日本人の若者を描いているのだろう。
「鏡子の部屋」然り、三島の現代小説は評価されていない。
どちらかというと「金閣寺」とか「潮騒」とか、「特別な時代」「特別な人間」を書いた小説が評価されている。
安永透は自分のことを特別と信じこんでいて、IQも高く、ルックスも悪くない。
しかし彼は「選ばれた人間」にはけしてなりえない。
なぜなら「偽物」だからだ。
透は自分のことを「悪」だと考えている。
そしてそのことを周囲から悟られぬように、周到に行動している。
本田透の手記」には彼の知能犯が主観的に描かれる。
けれども、「悪であることを相手に悟られぬように悪事を働く美学」それこそが現代の日本人の若者の限界だった。
彼は特別でもなんでもなかった。
凡庸な、人より少し賢いだけの青年。
それが安永透に下された評価だった。

  • 様々な主題を含みながら

僕がこの小説が三島由紀夫の最高傑作だと思うのは、三島の小説の主題がほとんどこの「豊饒の海」に内包されているからだ。

・美と醜の厳しい対立
・若と老の対比
・自意識の問題
天皇崇拝
・日本人
・歴史と意志
・美しい死について

これら三島の小説で頻繁に扱われるテーマが、この大作のどこかしらに入っている。
そして「浜松中納言物語」という古典の換骨奪胎として、仏教思想の圧倒的な神秘主義に貫かれているのは、
それまで三島が執筆してきた(理性的な)小説をすべて否定してしまうことにすらなる。

まあとにかく、三島由紀夫で一作だけ読むというのであれば、「豊饒の海」を薦める。

(了)

*1:四巻の主人公は偽物っぽいけど