四十三庵

蔀の雑記帳

学校と企業との間における文化の断絶について

僕は就職活動と教職課程をどっちつかずでやっていた時期がある。
今は結局民間企業で働くことになったんだけども、そのことに対して違和感がない訳ではない。
で、最近特に感じる、「学校と企業の文化の違い」について、ひとつ記事を書いておこうと思う。

入る会社にもよると思うが、僕の入った会社は、けっこー日本企業っぽいところに入った。
日本人が集まって働いてる会社なので、当然日本的な文化がはびこっている。
小学校から中学校へ、中学校から高校へ、高校から大学へ受け継がれていた「空気の文化」が、日本の企業文化になっているのを如実に感じる。

学校で、クラスのリーダーになっていた奴らは、就職活動でも楽に内定が決まって、就職した後の人事の覚えもめでたい。
反対に、協調性がなくて、クラスの隅っこで固まってた連中は、仮に頭がそこそこ働いたとしても、
就職活動の面接で人事にハジカれて、就職すら決まらない。
運良く就職できたとしても、持ち前の人当たりの悪さで、会社内で孤立することになる。

学校にせよ企業にせよ、日本人特有の「空気」を操れる人間は得をする。

  • 学校と企業の文化の断絶

ところが、学校と企業で大きく文化が断絶している点がある。
個人的に大きいと思うのが、「発達障害の扱い」である。
学校では、教師は発達障害の生徒がいたら、それとなく注意を払って、他の生徒と上手く調和できるように働きかける。
その辺りは教師の腕の見せ所である。
本の学校というのは、いじめ問題ばかりピックアップされるけれども、発達障害児の扱いなんかは案外上手くやっていたりする。
(いじめで自殺したらニュースになるけれども、上手く行って社会で普通に働いてもニュースにはならない)

高校まで教師のケアで生き延びていた発達障害の持ち主が、大学に入って、「自分は人と違う」とはたと気づく。
別に大学は自由な空間で、単位さえとれれば卒業できるから、テストで及第点さえとれれば、問題はない。
しかしながら、就活の面接を突破するのは、「社会人の常識」とやらが必要なのである。
発達障害の持ち主が理解できず、高校までの教師の注意深いケアによって免除されてきた「空気を読む」という行為が、就活を突破するためには絶対に必要となる。
そこで発達障害の持ち主は「詰む」ことになる。
(了。12:41)