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四十三庵

蔀の雑記帳

誰もが自分を正しいと思って生きている

研修の中でグループワークをやった。
そのときにあらためて思ったのだが、カーネギーの「人を動かす」は正しい内容だった。

「人を動かす」という本を僕が手にとったのは、就活の新規事業を立案するタイプのグループワークで失敗したときだった。
それまではうさんくさい自己啓発本だと毛嫌いしていたが、いざ読んでみると、
グループワークで失敗したというタイミングもあって、本の内容がすっと入ってきた。

今回は別に「人を動かす」のレビューをするつもりはなく、
自分の中で培ってきたグループワークの方法論みたいなものを軽く書ければいいと思っている。

  • 自己肯定感

人生の中で、人は自己肯定感を育てている。

「自分は正しい人間だ」
「自分は正義か悪かで言えば正義だ」
「自分は人並みに賢い」
「自分の容姿は人並みによい」
「自分はスポーツが得意だ」
「自分はいい家庭の出身だ」
「自分はいい大学/会社に所属している」
……

などなど、自己肯定感は人によって様々な形をとるけれども、共通しているのは「自分が正しい」という感覚だ。
この自己肯定感が全くないと、人は生きる上で強い不安と常に戦いながら生きることになる。
本当に自己肯定感が崩れると、メンタルヘルスに問題が生じることになる。
メンタルヘルスでないのであれば、何かしら自己肯定感を持っているのだ、とも言えるのではないか。
どんなに卑屈な人間であっても、よくよく観察してみると、何かしら自信をもっている分野があったりする。
自己肯定感ゼロの人間というのは、ほとんど存在しない。

  • 安定に向かおうとする心

坂道にあったボールは転がり続けて移動するが、やがて平地に来ると勢いを失って、ピタッと止まる。
移動し続けているのは不安定な状態で、止まったのが安定した状態だ。
不安定な状態というのは、長続きしない。
何事も、安定した状態を目指すものである。
どうやら心も同じで、自己肯定感がゼロの不安定な状態を持続させようとはしない。

中学生くらいで、思春期になると、自分の価値を否定する時期はある。
けれどそこから、人間は色々な形で自分の価値を自分自身で見つけ出す。

  • グループワークにおいて批判は状況を改善しない

前置きが長くなったけれども、ここからグループワークでとるべき行動について書く。
基本的にグループワークの鉄則として僕が学んだのは、「絶対に批判をしない」ということだ。
仮に自分が正しかろうと、相手が論理的な人間であろうと、すべきではない。
というのは、前述のとおり、人間は必ず自己肯定感を持っていて、批判はその自己肯定感を傷つけるからだ。

  • 批判は最終的にはグループのアウトプットの質を下げてしまう

グループワークにおいて、主張をする人間というのは、本人の頭の中では、その主張は100%正しいと考えて話している。
もちろん、客観的に見て正しくない箇所をグループで指摘しあって、
より完璧なものをつくるのが、グループワークの目的ではある。
しかし、何かを主張した時に批判されると、本人はどう思うだろうか?

「私は〜〜〜がいいと思います!」
「いや、でもそれは◯◯の観点から見た場合、おかしいのでは?」
「なるほど!確かに!」
(あっ! この人は私の拙い主張の論理的な穴を補ってくださってるんだ。ありがたい。感謝!)

と思ってくれるだろうか?
残念ながら、そんなことは起こらない。
現実はこうだ。

「私は〜〜〜がいいと思います!」
「いや、でもそれは◯◯の観点から見た場合、おかしいのでは?」
「そうですね…」
(なんだこいつは細かいことをネチネチと……な〜にが◯◯の観点だ。ここではそんなことどうでもいいじゃねーか。
そんなこと言うならお前がもっといい案を出せっつーんだ。俺だってそのくらいの問題はわかってて提案したのに……)

こういうコミュニケーションの結果起こるのは、
1)人間関係の悪化
2)議論の停滞
3)参加者が消極的になる
という、最悪の結果だ。

論理的に正しいことが、正しい行動だとは限らない。

  • ではどうするか

そうはいっても、相手がどう考えても間違えてる場合というのはある。
自分が正しいと信じている相手に対して、批判をせずに、間違えを指摘するにはどうしたらいいか。
まず、大して重要でない間違えだったら指摘しないというのも一つの手だ。
「問題を指摘する」のは、グループワークにおいて、かなりリスキーな行為なので、
それだけのリスクをとるに値する場合のみでよい。

基本的には、クッションをおくことだ。

「私は〜〜〜がいいと思います!」
「なるほど! 〜〜〜、確かにいいですね。視点が斬新だ! いい意見だ! さすが◯◯さん!」

どんなクソみたいな意見であれ、まだその場で出ていない意見を出してくれたのだから、チヤホヤすべきだ。
その意見自体は後でハジくとしても、意見を温かく受け止められた経験が、今後そいつが萎縮せずにすむのにつながる。
もしかしたらその後ですごいアイディアを出してくれるかもしれない。

そして、批判せずに相手の意見を正すにはどうするか。
真っ向から批判すると自己肯定感を傷つける。
なんとかして、相手に間違えに気づいてもらうことが大事だ。
そのために相手を誘導するのが、一番いい方法だと考えている。

「私は〜〜〜がいいと思います!」
「なるほど! 〜〜〜、確かにいいですね。視点が斬新だ! いい意見だ! さすが◯◯さん!」
「ありがとう」
「是非このアイディアを実現したいんですが、そうすると◯◯という観点が問題になるなあ。
◯◯については、どうお考えですか?」
(あっ!)「そこはちょっと考えてなかったなあ〜」

実際正面から批判するのも、相手に間違えを気づかせるのも、やってること自体は大して変わらない。
けど批判は相手に「自分は間違っていた」というのを認めさせ、公の場で晒し者にするのに対して、
相手に気づかせるのは「自分が正しい」というのは正面から否定していない。

  • まとめ

何にせよ、集団で何かする時には、どんなに論理的に見える人間が相手であっても、
感情に配慮するのが一番大事ということだ。
こういうことを生まれつきできる人間もいるんだろうけど、
僕みたいなコミュニケーション能力低い人間は失敗を繰り返しながらやらないといけない。

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論理の方向性を左右するものは感情である
(56:00 了)