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四十三庵

蔀の雑記帳

自分中心に生きることを強いられている社会

論考

今の日本は自分中心に生きることを強いられている社会かもしれない、と感じている。

  • 禁欲主義と利己主義

基本的に、小学校や中学校では、「あなたのやりたいことをやりなさい」「夢を追いかけなさい」と教えられる。
こういう教育は、昔から行われていたわけではない。
戦前の日本は、もっと禁欲的な教育が行われていた。*1

「人に迷惑をかけるな」とも教えられるが、それは「自分を犠牲にしろ」ということではない。
自分を大事にしろ、というふうに教えられる。
「家」や「国家」の秩序を守ることが美徳とされていた戦前から、大きく日本人の価値観は転換した。
(人に迷惑をかけない程度に)自分中心に生きよ、という風に、陰に陽に教えられる。

社会的美徳が、ある種の禁欲主義から、利己主義へ転換したのは、日本だけではなさそうだ
ヨーロッパでも、カトリックの教えは相当に禁欲的であった。
中国や韓国も、儒教の教えに従っていた頃は、君子が理想とされた。

禁欲主義は、別に価値観として間違っているとは思わない。
けれど、致命的なのが、禁欲的であればあるほど、経済発展を阻害するということだ。
資本主義は人間の欲望をガソリンにしている。
ケインズの主張した「倹約のパラドックス」というのがある。
ミクロ的には美徳である倹約が、マクロ経済で見ると「需要の減少」という問題になる、というパラドックスだ。
借金してでも自分の欲望を満たそうとするアメリカ人の生き方が正しいかどうかは別として、
マクロ経済的にはいい消費者ということになる。

  • 効用の中身

経済学の理論というのは、ものすごい単純なモデルを使っている。
複雑な現実を、単純なモデルに落としこんで分析している。
家計部門(個人)は、効用を最大化させるために行動する、というふうに単純化している。
効用の中身はブラックボックスであり、人によって効用関数の形状は違う、とされる。

しかし今経済学から離れて思うのは、
現実的には人間がどういうときに効用を得るのか、その具体的な内容が重要であると感じる。
効用の中身についてもっと考えなければならない。

  • 利己主義の限界

最近は、利己主義には限界があるのではないか、という風に感じている。
自分一人では、自分の効用を高めるのには限界がある。
また、他人が足を引っ張ってくる場合もある。
利己的な行動をとり続けていれば、周りが協力してくれない場面も増えるはずだ。

真に効用最大化を考えるのであれば、利己主義ではダメだ、と考えている。
(了)

*1:もっとも、禁欲的な人物像が理想とされていただけで、当時の人間もそれなりに自分勝手に生きていたはずだ