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四十三庵

蔀の雑記帳

すき家ゼンショーの社長は東大全共闘運動出身だった

論考

本当の地獄をつくるのは悪意ではない。
悪意によって作られた地獄には実利的な目的があり、制裁が入るからだ。
本当の地獄をつくるのは、強烈な思想によるものだ。

すき家を経営する株式会社ゼンショーの社長、小川賢太郎は全共闘の出身だった。

東大中退で、かつベンチプレス135kgあげるスポーツマンである

ゼンショーの一連の調査結果を知らない人はこの辺を読んでね
すき家ゼンショーの「第三者委員会からの調査報告書受領に関するお知らせ」がまるで牛丼売ってる蟹工船

今回の記事は、このへんの騒動は知っている前提で書く。
前々からすき家労働環境のヤバさは有名だったが、第三者機関の調査が入り、
「労働時間500時間」など、本当にヤバイということが発覚してしまった。
ちなみに一ヶ月の一人の人間が使える時間は、
単純計算で24時間×30日なので、720時間。
500/720時間働いているということになる。
(※睡眠時間は考えていない)

●小川賢太郎の経歴
小川賢太郎は、生まれは石川県。
1968年に東大に入学した。*1
当時の日本は、ベトナム戦争反戦運動が激しい時期だった。
東大も全共闘がバリバリ火炎瓶投げてた頃だ。
小川は東大を中退する。
真意は定かではないが、当時の左翼学生にはそんなに珍しい進路ではない。

卒業してからは港湾労働をしていたようだ。
これも詳細はわからない。
港湾労働者たちで労働組合を組織していた、という話もあるが、定かではない。
港湾労働経験自体は、本人がインタビュー等で話している事実である。

「労働者階級を組織しなければならない。ですが、結構、日本の労働者もぬくぬくしちゃってきていた。」
「そういう意味で底辺に近くて、故に革命的である港湾労働者に目を付けました。」
「ただ労働者というのは仕事ができないやつの言うことはきかない。まず仕事で認められなきゃならない。自ら労働者とともに働きました。仕事は非常に厳しかったです。何十トンもあるような機械を船に積み込まなければならない。ワイヤー、ロープの選定から始まって、それをどういうふうに荷物に掛けていくか。一つ間違えれば命を落とすことになります。いつも危険がつきまとっていました。自分自身も大けがをして2回入院するはめになったし、死に損なったことが何回かあった。その情景というのが意外とよく覚えているんですよ。死の間近はスローモーションみたいにゆっくりと良く見えるというけれど、そんな感じだった。現場で認められ、一目置かれるようになるまで3年かかりました。」

その後、港湾労働を辞めて、78年に吉野家に就職した。
起業する前から、牛丼屋で働く経験をしていたのだ。
当時吉野家は経営危機で、ちょうど小川がいる頃に倒産する。
小川は吉野家で、店長、経理、人事を経験し、退職する直前は、経営企画室だった。

そして、1982年にゼンショーを設立。
時に小川33歳である。

善い商いを行う「善商」
日本のスピリットを商いで海外に伝える「禅商」
相撲で言う15戦0敗「全勝」優勝

という三つの意味をかけたそうだ。

起業した理由は

「人類が直立歩行してから400万年経つが、皆がまともに食えたことはない。
現代でも十数億人が飢えている。では、地上から飢餓と貧困をなくすには、どうすればいいか。
食に関わる企業を作り、世界一になればいいと考えた。カネはなかったが、志だけは高かった」

ということだ。

起業して最初は神奈川県の生麦(あの生麦事件の起こったトコだ)で弁当屋を開いた。
弁当屋は順調に成長していったが、「このままでは世界一になれない」と気づいた小川は、
弁当屋から牛丼屋チェーンにシフトする。
これがすき家だ。
その後の成長はすさまじかった。
ゼンショーは弁当屋だけの会社ではなく、すき家なか卯、ココス、はま寿司などを経営。
右肩上がりの成長を達成する。

  • 思想

小川は経歴を見ても分かる通り、ガチガチの左翼だった。
しかし港湾労働→飲食で働く中で、共産主義思想から、資本主義思想へ転向したらしい。

社会主義は結局、クギ一本の値段まで統制委員会が決めているようなひどい官僚主義になった。資本主義にも問題は多いが、どういうビジョンを持って、どういう商品、サービスを提供していくかを決めるのは自由だ。それが一番いいところであり、面白いところだ」

ベトナム戦争の前、北ベトナムは資本主義、南ベトナム共産主義の国だった。
結局、ベトナム戦争共産主義陣営はアメリカや北ベトナムなどの国々に蹂躙されることになった。
その様子を、小川もテレビで見ただろう。

「やはり社会主義革命はダメだ。資本主義は戦ってみるとなかなかだった。少なくともこれから300年ぐらいは資本主義的な生産様式が人類の主流になると考えました。」
「今度は社会主義革命ではなくて、資本主義という船に乗って、世界から飢えと貧困をなくすんだと。」

かつて資本家と労働者の関係を壊して、共産革命を夢見た全共闘の革命戦士は、
すき家という牛丼屋チェーンで社員とバイトを酷使して、僕らにクソ安い牛丼を提供させている。

人生の皮肉を感じる。

  • 外部関連記事

今回の記事の情報元はこの辺。
特に最初と三番目を参考にした。

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全共闘、港湾労働、そして牛丼(「日経ビジネス」)
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(了)

*1:学部等は調べたがわからなかった