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四十三庵

蔀の雑記帳

世界史はたった6つの飲み物で語れる

世界史はたった6つの飲み物で語れる、と言ったら暴論だろうか?
そういう試みで書かれた本をたまたま図書館で見つけたので、
読んでみたら面白かった。

「世界を変えた6つの飲み物」とは、

1.ビール
2.ワイン
3.蒸留酒
4.コーヒー
5.茶
6.コーラ

の6つのことだ。

  • 1.ビール

ビールの起源は、紀元前3400年の古代メソポタミアの記録が最古だ。
今から5000年前には既にビールという飲み物が飲まれていた、ということになる。
文字で記録を残す、という文化が存在しない時代からビールがあった可能性が高いので、
実際に人類がビールを飲み始めたのは、更に前である可能性が高い。
本書では、紀元前4000年前には近東でビールが普及していたと記述されている。

ビールは発明されたのではなく、発見された。

ビールの製造法をシュメール人が最初に発見したのは、おそらくは偶然だったろう。

中東の人々は穀物を主食としていた。
穀物は肉や魚と違って、保存がきく。
そして水に浸して粥にすると、発芽して麦芽となって、糖分を持つようになる特性がある。
古代人が、偶然に粥を何日か放置したのだろう。
そうすると、不思議な現象が起きた。
穀物を浸した水を飲むと、飲むものを心地よくさせたのだ。
人類とアルコールの出会いだ。

古代メソポタミアでは、ビールは重要な栄養源だった。
現代のビールを想像すると、違和感があるかもしれない。
しかし当時のシュメール人が飲んでいたビールは、単に麦芽を発行させただけのビールだ。
今日本人が飲んでる一番搾りスーパードライみたいなビールは、
「ホップ」という苦味を加えるものが必ず入っている。
ホップを加えないと、むしろ甘みすらある、ジュースに近い飲み心地になる。

古代メソポタミア古代エジプトではビールは文明の証となり、
壁画にはビールをストローで分け合う人間の姿が残されているくらいだ。

  • 2.ワイン

ワインの起源もビールと同様に古い。
正確にはわかっていないが、紀元前9000〜4000年の間に、
イラン北部のザグロス山脈というところで作られたらしい。
ビールが日常的に飲まれる飲み物だったのに対して、
ワインは少量しか作られない、高価で珍しい飲み物だった。
そのため、古代メソポタミアの宴会では、
ビールではなくワインを出すことで、自分の富や権力を誇示することが行われていた。

ワインを作ること自体は、今も昔も簡単だ。
ブドウを潰して、陶器に入れて保存しておくだけだ。
すると、ブドウの皮についている天然酵母が、
ブドウの糖分をアルコールに変えて、ワインが出来る。

中東の田舎でつくられたワインという新しい飲み物は、
ビールに変わる文明的な飲み物として、人気を集める。
そして紀元前700〜600年のギリシャに伝わる。
ヨーロッパはブドウの生産に向いていたので、ワインの製造には適していた。
(当時のワインは水で割って飲んだらしい。
そのまま飲めるのは酒神ディオニュソスだけだった)
ワインで泥酔するのは野蛮人の所作で、ワインを飲まないのはディオニュソスの恵みを蔑ろにする好意だと考えられた。
西洋哲学は、ワインを飲んだ哲学者同士の本心からの対話によって生まれた。
プラトンの「饗宴」など)

ギリシャ文化のワイン文化はローマに引き継がれ、更にはキリスト教を通じて、
ヨーロッパ全体に今も残る、息の長い飲み物となった。

ビールが大衆的な酒なのに対して、
ワインがどこかハイソサエティな雰囲気を持つのは、古代から現代まで続いている。

700年代のアラビア人の錬金術士が、ワインを蒸留した。
アルコールの沸点が76度なのに対し、水は100度だ。
この沸点の温度差を利用して、酒を過熱して、
その水蒸気だけを上手く取り出すと、アルコール分だけを取り出した酒ができる。
これが蒸留酒を作る基本的な仕組みだ。
蒸留を用いない、発酵のみによって作った醸造酒だと、最高のアルコール度数はせいぜい15%程度。
世界の醸造酒の中で、日本酒のアルコール度数が最高だが、それでも20%程度だ。

蒸留酒を作る技術自体は、人類は早いうちから獲得していた。
しかし醸造酒を飲む文化はなかなか広まらなかった。
ビールやワインと比べると作り方が難しく、
作ったとしても度数が高すぎて、日常的に飲むような酒ではなかった。
1300年代の時点では、蒸留酒は薬として使われていた。
スペイン北部の王国、ナバレの王、チャールズ二世が病に伏せっていたときに、
蒸留酒(「アックア・ヴィータ」)を薬として、シーツを浸して、
蒸留酒まみれになったシーツで王の体を包んだ。
体の麻痺がそれによって癒えると考えたからだ。
そしたら、召使が不注意でロウソクを倒してしまい、
チャールズ二世は火だるまになって死んだという。

1400年代になり、グーテンベルク活版印刷技術が普及すると、
蒸留酒の製造方法もヨーロッパ人に伝わった。
1500〜1600年代の大航海時代になると、蒸留酒は船乗りの間で珍重されることになる。
船に載せる酒としては、少量で「酔える」蒸留酒は最適なのだ。
ワインを蒸留したブランデーや、バルバドス*1で発明されたラム酒は、
大航海時代の船乗りたちに珍重された。
蒸留酒大航海時代を後押しするだけではなく、アメリカというフロンティアの歴史も動かした。

1600年代、イギリス人によるアメリカへの入植がはじまった。
彼らは当初、ヨーロッパの文化をそのままアメリカに適用しようと考えていたが、
北アメリカの気候では地中海の作物も砂糖やバナナといった南国の農作物も育たたなかった。
ビールとワインの製造も気候的・技術的な要因から難しかった。
そこで彼らが飲んだのがラム酒だった。
ヨーロッパからはるばる輸入しなければならなかったビールに対して、
カリブ海の島々か、自分の国でも作れたラム酒は圧倒的に安価だった。
アメリカ独立戦争のときの1780年、ヘンリー・ノックス将軍は、
ワシントンに

牛肉と豚肉、パンと小麦粉と並び、ラム酒はきわめて重要であり、欠かすことはできない。なんとしてでも、十分な量のラム酒を供給して欲しい

という手紙を送っている。

独立戦争の最中、ラム酒の原料の糖蜜の供給が滞ったことで、蒸留酒文化に変化が起こる。
スコットランドアイルランド系の移民が、穀物を原料とした、
ウィスキーを新たに製造するようになったのだ。

アメリカの歴史には、「ウィスキー反乱」という内乱がある。
ハミルトンが、独立戦争の公債回収のために、蒸留酒の生産に税金をかけたのだ。
現代の酒税と違って、販売段階ではなく、生産段階で酒税がとられる。
法律が施行されても、農夫は税金を払おうとしない。
徴税官との小競り合いが起きる。
それが拡大して、「ウィスキーボーイズ」という反政府集団が出来上がり、
6000人近くの集団が、合衆国から離脱し、新たな独立国家を築くことを決定した。
もっとも、ワシントンが反乱軍鎮圧のために1万3000人の軍を率いて到着するとすぐに壊滅したが。

ウィスキーは、ワインのような気取った飲み物ではなく、
自由と自給自足を連想させる、気取りのない飲み物ということで、
特に独立直後のアメリカ人の精神と合致していた。

  • 4.コーヒー

コーヒーは1400年代半ばに中東(イエメン)で普及した。
それが1650年代以降、イギリスやオランダで広まっていく。
ヨーロッパでは「コーヒーハウス」が流行した。
コーヒーを一杯買うと、一日中居座れて、
怪しい話から街の噂話まで、様々な情報が入ってくる空間だった。
保険会社のロイズ、ロンドン証券取引所の成立などにもコーヒーハウスは大きな役割を果たす。

  • 5.茶

お茶をきっかけに、アメリカはイギリスから独立することになった。
あながち嘘ではない。
1773年のボストン茶会事件というのをきっかけに、アメリカ独立戦争がはじまるからだ。

イギリス人はお茶が大好きだった。
産業革命にいち早く成功し、
世界に植民地を多数擁するようになったイギリスだったが、茶の供給は中国という、
東洋のよくわからない大国に依存していた。
イギリスは当初中国との貿易を、銀とお茶を交換するような形で行っていた。
しかし銀の値段はどんどん上がっていた。
そこでイギリス(というか東インド会社)は、インドを中継して、
アヘンと茶を交換する形の三角貿易を行った。

清王朝は1838年、アヘン撲滅のために林則徐を広東に派遣する。
広東の役人は、東インド会社から賄賂をもらって、アヘンの密輸を見逃していた。
林は赴任後すぐに中国・イギリス商人にアヘンの在庫を破棄するように命じたが、
商人たちは命令を無視したので、部下に命じてアヘンの在庫を強制的に焼き払った。
その後、イギリス人船員が中国人を殺害する殺人事件が起こり、
イギリス当局が船員の身柄引き渡しを拒んだので、林は全イギリス人を広東から追放した。
これがきっかけで1839年〜42年、阿片戦争が起こり、清王朝はイギリスにボコボコにされる。
茶を求めるイギリス人によって、中国がアヘンで汚染され、戦争まで起きたのだ。

イギリスとしては、大英帝国としてのプライドにかけても、
茶を他国からの輸入に依存している状況は回避したかった。
1838年、遂にインドのプランテーション栽培に成功した茶をロンドンに出荷した。
プランテーションにされた経験から、インドは今日でも世界最大の茶の生産国であるそうだ。

  • 6.コーラ

1886年5月に、薬剤師のペンバートンがコカ・コーラを作った。
薬剤師、というと聞こえはいいが、当時の薬売りは偽薬も多く、
インチキ薬が巧みな宣伝によってバカバカ売れてしまう状況だった。

コカノキの葉には刺激作用がある。
葉に含まれるアルカロイド成分のコカインが1880年代のアメリカではちょっとしたブームだった。
これに目をつけたペンバートンが、コカインとコーラを混ぜて、砂糖と炭酸を加えたのがコカ・コーラだ。
(コーラは西アフリカ原産のコーラノキの趣旨で、カフェインが含まれているのでやはり刺激作用がある)
1886年のキャッチコピーは

コカ・コーラ。美味しい! 爽やか! 楽しくなる! 元気になる! ソーダファウンテンの新ドリンク。素晴らしいコカノキと名高いコーラナッツの成分入り

というものだった。
現代のマーケティングと比べると、健康効果を押し出している点で、真逆かもしれない。
(ちなみにコカイン成分は1900年はじめに取り除かれた)

1895年までに、コカコーラは大人気となる。
しかし95年、あると言い続けてきた医学的効果に力点を置かなくした。
それまでは疲れたサラリーマンが滋養強壮剤として飲んでいたのが、
子供や主婦でも飲むジュースとして売り方を変えた。

第二次世界大戦では米軍の間で軍需品としてコカコーラが認定される。
群の駐屯地に、航空機の整備士と同じように、コカコーラの社員が駐屯して、
コカコーラの製造工場で働いていた。

いまや、世界のどの国に行っても、コカコーラの味は変わらずに飲める。
コカコーラは、単なる大ヒット商品というのにとどまらず、
現代の資本主義・グローバル化を象徴する飲み物でもある。
(了)

*1:北米と南米の間、カリブ海に浮かぶ小さな島国