四十三庵

蔀の雑記帳

賃金を時間単位で払う是非

給料というのは、「時間」に対して支払われるのが現在では常識となっている。
残業代という制度も、そこから生まれている。

しかし、現代の先進国では、職業のサービス化が進んでいる。
農業・工業中心だった社会と比べ、サービス業中心の社会は労働者の疲労が見えにくい。
たとえば農民が八時間田畑を耕し続けたり、工員が十二時間ぶっ続けで働き続けたら、
「おいおい大丈夫なのか」と思うだろう。
しかしながら、居酒屋の店員だとか、IT企業のSEが十二時間働いても、何とかなるような気がする。
実際、体力的にはなんとかなる気がする。
SEなんて椅子に座ってるだけだし、居酒屋の店員も、立ちっぱなしとはいえ、結構休める。
                                     

  • 労働の成果を測る指標としての時間

ブルーカラー中心だった頃、給料を労働時間に対して支払うことは何の問題もなかった。
一時間働いた工員の作るネジの数は、時間と経験に比例した。
経験に比例するといっても、いくら経験を積んでも、突然他の工員の100倍の数のネジを作れるようなことにはならない。
しかし、100倍の時間をかければ、多分100倍の個数のネジを作れた。
工業化社会において、賃金を労働時間に対して支払うことには合理性があった。

  • サービス化した社会と労働時間

昨今、日本人は労働時間が長すぎるという指摘がされている。
もっと成果主義的に給料が支払われるべきだ、というのは正しい。
しかしながら、労働者をどう評価するのが正しいのか、その点については未だ共通認識が出来ていない。
成果主義を導入した企業が、年功序列の企業よりも不当な評価になった事例もある。
(※富士通

というわけで、労働時間を基準にする以上に、公平かつ正確な賃金支払いの基準がないのが現状な気がする。
しかし、長時間労働を生む背景には時間単位で給料を支払う制度があるはずだ。

労働の成果を、労働時間以外で測る方法というのが、何かないのか。