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四十三庵

蔀の雑記帳

思ってることをそのまま書けなくなる問題

論考

最近、自分がふと思ったことを軽くまとめる場所というのがなくなっているのに気づいた。
Twitterとかブログとかは、本来そういうサービスなんだろうけど、
それなりに見てる人が増えてしまうと、迂闊なことは書けなくなる。
酷いことを書けば、それなりに叩かれるし、最悪炎上することになる。

不思議なもので、「蔀」という匿名アカウントで書いていても、
長いことやっていると、インターネット上の人格みたいなのが出来てしまう。
発言は、公的なものとして扱われてしまう。
「人が読んでくれる」というのがブログ書くモチベーションでもあるんだけど、それが制約にもなっている。
本音を書きたければ誰も見ないノートとかに日記書くべきなんだろう。

中学とか高校とかでは、やたらと作文で自分の考えていることを書かされる機会があった。
どこまで本音を漏らすかというのは思春期特有の気まぐれな羞恥心に委ねられていたけれども、何かしらの自分の思考を書き連ねていた。
大学を卒業すると、自分の感情を文章に乗せる機会というのがそもそもなくなった。
会社から求められるコメントを書いて、ビジネスマナーに則ったメールを書いて、そこに自分の感情が介在する余地はない。

そういう状況にあって、ブログやTwitterも会社と同じように、
誰も傷つけず、誰からも非難を受けないような、正しい内容を書き連ねなければならないのは、
自分の思考をすべて殺しているような感覚になる。

ブログを非公開にして、心通じあった人にだけ見てもらう、みたいな運用にしている人もいる。
僕はあんまそういう選民チックなことしたくないけど、
炎上しまくっても気にしないスタイルで書き続けることもしたくない。

物事を長く続けるというのが、そういうことなのかもしれない。
僕は飽きたらすぐに辞めて新しいことをやってきた人間なので、
自分のやっていることに淀みを感じたら、すぐに辞めてしまった。
けれど、何年も同じことを続けていると、色んなしがらみが出来るものなのかもしれない。
(了)