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四十三庵

蔀の雑記帳

インプットが減るとアウトプットも出せなくなる

働きはじめて、早いものでもう二年が過ぎようとしております。
学生時代に比べて、ブログの更新頻度が露骨に減っていて、
なんでかなあと考えると、アウトプットにかけられる時間というよりかは、
インプットにかけられる時間が減ったからのような気がしていて、その辺を書いてみようと思います。

アウトプットの連続

よく就活で「学生と社会人の違いはなんですか?」とか聞いてたけど、
正直働いてみて、明確に何かが変わったということはない。
大学に入れば何かが変わると思っている高校生とか、
高校に入れば何かが変わると思っている中学生とかと一緒だと思う。
環境は変わるけれど、別に本人の心が急に社会人モードに変わったりはしないので、
大学生以前に築き上げた人間性のまま、毎朝会社に通うことになるのだと思う。
ただ、これは僕の場合の話であって、人や会社によっては、大きく人格が変わる、というか、
変えないと適応できない場合もあるんだろう。
(例:地味な大学生活を送ってきたが、営業になって飲み会・合コンの連続で、性格が明るくなる)
しかし表面的に性格が変わったように見えても、人間のベースとなる部分は、
20歳前後でもう完成しているような気がするので、そこは変わらないという風に思う。

学生時代は今考えると、インプットにかけられる時間がめちゃくちゃ多かった。
大学のテスト一発の講義だと、15コマ×90分の講義を受けて、
90分のテストでアウトプットするという比率だった。
会社だと一時間で勉強して、一時間で資料つくって、三時間喋れみたいな、
インプットの時間よりアウトプットの時間のほうが長いことが普通に起こりうる。

アウトプットの時間を短くする実験の結果

ちょっと話は逸れるが、インプットとアウトプットの関係性について早くから着目していたわたくしは、
一時期「ブログの記事を一時間以内に書くのを目標」としていた時期があった。
目的としては、一時間程度で記事が書けるようにしておけば、
社畜になって忙しくても、平日のスキマ時間にブログが書けるだろう、という意図。
アウトプットが一時間以内で、インプットは二、三時間というイメージで居た。
それまで一つの記事を書くのに、本読んで、書きながらちょいちょいネットで調べて、
なんやかんやで最低でも三時間、モノによっては半日とかかかっていた。

インプット・アウトプットの時間を減らす実験の結果、どうなったかというと、

  • 記事の質が下がる
  • モチベーションが下がる
  • 書かなくなる

という現象が起きた。
質を担保するためには、やはり最低限の量(時間)は必要だという結論に達した。

仕事で書くドキュメント類は、短い時間で書くことになるが、
目的がはっきりしているのと、レビューで他人から指摘をもらうので、短い時間でもそれなりのモノに仕上がる。
ブログなんて、完全に趣味なので、目的なんてあるはずがない。
目的らしいものがあるとすれば、
「自分の人生のこの時期において、こんなことを考えてました」
というのを、明文化するという意味がある。
それがインターネットを通じて、他人に意味があったりなかったりして、
アクセスが稼げたり稼げなかったりする。

僕がこの実験から得たものは、
いいアウトプットを出すには、それなりの量のインプットと、アウトプットの時間がかかる
ということだった。

インプットの時間をとれるか?

意識高い社会人だったら、カフェで勉強とかしちゃうんだろうけど、
僕は根が怠惰なので、仕事終わったら疲れてるのでさっさと酒飲んで寝ちゃうので、インプットの時間が全然とれない。
仕事に必要な知識であれば、仕事中に本読んだりドキュメント読み込んだりすることでカバーできる。
でも仕事に関係ないことは?

…ということで、あまり仕事に関係ないことに時間を割けなくなってきた。
インプットがなくなった結果として、アウトプットもなくなっていくんだと思う。
学生時代に人気があったブロガーも、就職するとブログ放置になってしまうのは、
忙しくなって、モチベーションが下がるためだと思っていたけれど、
僕の場合、書こうと思えば書く時間はあるけれど、
インプットがなくなったため、自然とアウトプットもなくなった、という感じだ。

まとめ

  • インプットがなくなると、アウトプットそのものもなくなる。
  • インプットを減らして、より効率よくアウトプットを出そうとする試みは、

仕事では有効かもしれないが、趣味の世界でやってしまうとアウトプットの質を下げ、
アウトプットそのものをなくしてしまうかもしれない。
(了)