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四十三庵

蔀の雑記帳

思考について

正月休みに「考えるってなんだろう」と考えていた。

  • 思考とは

「思考・論理・分析」という意識の高い本がある。

昔パラパラめくっただけの本だけど、戦略系コンサルタントとかいう職業を目指す人の必読書らしい。
この本の定義では、

思考とは思考者が思考対象に関して何らかの意味合いを得るために頭の中で情報と知識を加工すること

ということらしい。
あまりセクシーではない定義だが、間違ってはいない。

人によって、どの程度思考する習慣があるのかは違うらしい。
僕の場合、小学校・中学校の頃はよくモノを考える子供だった。
それが段々、成長するに従って考える習慣がなくなって、
大学生くらいになると意識的にテーマを決めないと思考が続かなくなった。
働き始めると、労働に思考する余裕を奪われ、
大学の頃以上に何も考えなくなってしまった。

正月でだらだらしていると、モノを考える習慣というのが少しよみがえった。
そこで、思考に必要な条件、というのが自分なりにわかった。

  • 思考に必要な条件

◯睡眠時間
寝ることは、モノを考えるためには必要だ。
特に発想の転換をしたり、物事を広い視野で見たりするためには。
また、睡眠時間が足りないと、頭の中に思考するための余裕がなくなる。

◯静けさ
うるさい環境だと考えることができない。

◯周りに人が居ないこと
周りに人がいると、自分の頭の中に集中できない。

◯知識・経験を捨てる
これは意見がわかれるかもしれない。
僕はモノを考えるためには、知識や経験は邪魔だと思っている。
なぜかというと、人間、知識があるとそちらに引きづられることになるからだ。

たとえば洋楽を知っている人間がB'zの曲を聴けば、
Aerosmithのパクリだのなんだのと騒ぐが、
何も知らなければ「歌上手いし、ギターかっこいいなあ〜」と感じられる。

それと同じように、知識や経験というのは、純粋な思考の邪魔をする。
「直角三角形があって、斜辺ではない2つの辺が3センチ、4センチでした。
さあ斜辺の長さは何センチメートルでしょうか」
という問題を考える際に、すぐに学校で習った三平方の定理を使って、
「5センチ」という風に答えを出して、それで終わらせがちだ。
しかし純粋な思考というのは、もっと発展性があるべきだし、自由で、本質的であるべきだと考えている。
(了)