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四十三庵

蔀の雑記帳

震災と全体主義を愛する人々

論考

2016/4/14に、熊本で震度7の地震があった。
3.11のときの空気を、久しぶりに思い出した。
僕の、震災についての思い出や考えたことについて、書いてみたい。
もしかしたら不謹慎と批判を浴びるかもしれないけれど、一つの個人の考えということで。

就活と震災

ある会社に、14年卒としてインターンシップに行ったとき、そこの学生の自己紹介。

「私はAと言います。学生時代は、Aジャパンという、ボランティア組織を作りました。
被災地に支援するために活動し、◯◯名のボランティアスタッフを被災地に派遣しました!」

ああ、わかるよ。
2011年3月頃の空気感。何かしなければいけない感じ。
特に東北にゆかりがあったわけではないが、そんな僕でも、そういう気持ちに駆られた。
でも気持ちは気持ちのまま、行動に移すことはなかった。
行動に移したAくんはきっと立派だし、世間的に評価されるべきなのだろう。

それはわかっていたけれど、彼の自己紹介を聞いて、僕は拭えない嫌悪感を抱いた。
その正体について、考えてみたい。

戦争と日本人

日本は、太平洋戦争のとき、経済的・軍事的には圧倒的に負けていたアメリカに対して、精神論で勝とうとした。
新聞は戦意高揚のために、敗戦を伝えなかった。
僕の祖父もそうだったが、当時の日本人は、本気で戦争に勝てると思っていた人も多かった。
(祖父は、敗戦が決まってから、一年程虚脱状態になったらしい)

彼らは、本当にそこまで現実が見えていなかったのだろうか?
東京に空襲を受ける事態になっているのに、なぜ勝てると信じたのだろうか?

心地よい全体主義

推測だけれども、当時の日本人は、本音の部分では負けるとどこかでわかっていたのだろう。
それを考えないように、思考停止するような何かが働いていた。
それが全体主義の空気なんだと思う。

皆が何か一つのものを信じているのは、すごく心地が良い。
同じバンドを応援している仲間。
同じスポーツチームを応援している仲間。
同じ会社で頑張っている仲間。
同じ国のために戦っている仲間。
同じ神を信じている仲間。

信じる対象が崇高であればあるほどよい。
対象が貶められることすらも、仲間の絆を深める燃料になる。

大義名分

別に全体主義を好む人間が居る事自体は構わない。
問題は、それが大義名分と結びついた場合で、暴力性を帯びることになる。
東日本大震災のときも、マスコミを通じて「絆」という言葉が押されて、
津波の映像や福島第一原発の水素爆発の映像が繰り返し流されて、
震災復興に少しでもネガティブな発言をすれば「不謹慎」というレッテルを貼られてボコボコにされた。
サザンの大ヒット曲「TSUNAMI」が二度とテレビで歌えなくなったのは、やや滑稽だけども、検閲している人々は大真面目だった。

皆、結局、何やかんや言って、誰にも批判できない大義名分をもって、
気持ちいい全体主義に浸るのが、嫌いではないのだと思う。
(了)