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四十三庵

蔀の雑記帳

理想が人を殺すとき

知り合いが自殺したりだとか、直の後輩が仕事でメンタルをやられたりだとか、そういう事件が立て続けに僕の身の回りに起きた。
そのときに感じたこと。

出来損ないの自分を殺す

自殺した身近な知り合いは二人いて、片方はTwitterのフォロワーで、もう片方は会社の人だった。
会社の人はマンションから飛び降りたらしい。

内田樹だったか、昔自殺というのは死ぬのではなく、理想に届かなかった自分を殺しているのだと書いている人がいた。
世の中には色んな形の自殺があるはずだから一概にはくくれないが、納得感は高かった。
たしか、就活自殺した学生に対して、中央公論で書いてたコラムだったと思う。
その学生は、大学時代は輝くように充実していたけれど、
第一志望の企業には入れず、ニトリなどの四社から内定をもらっていたのに、自殺というの道を選んだ。
客観的に見てまだやりなおせる状態だとか、そんなのはどうでもよくて、
理想に届かなかった自分を認めることができず、
そんな出来損ないの自分を生かしてはおけない。
だから、消してしまう。

そういう種類の自殺に関して、我々ができることが何かあるかというと疑問だ。
近くにいて慰めることくらいはできるだろうけども、
それも根本的な救済ではない。
本当は一番好きな人と結婚したかったとか、
あの会社に入ってあの仕事をして成果をあげたかったとか、
エヴァみたいなアニメ作りたかったとか、
そういう各々が持っている理想を叶えることが救済だろう。
しかしこの世の中、誰もが叶えられる理想とそうでない理想がある。
そして日本で夢を叶えることは、いろいろな方面で昔よりずっと厳しくなっている気がする。
少なくとも人数という意味では、厳しくなっている。

不登校になる人間とならない人間の違い

僕が学校に馴染めていたかはかなり怪しいが、不登校にはならなかった。
学校が楽しいと思ったことはないが、休もうとも思わなかった。

部署の後輩が会社に来なくなり、不登校になる人間とならない人間の違いを考えた。
そもそもコミュニケーション能力が低くて、上手く友達の輪に入れない人間というのはいる。
けれどそれだけで不登校になるかというとそんなこともない。

では何が原因なのか?

後輩とこの前話していて、一番驚いたのが、
彼がこの会社に入ったことを心底喜んでいて、
部署配属にも仕事内容にも満足していることだった。
てっきり部署や仕事内容が嫌で潰れてしまったのだと思い込んでいたからだ。
彼自身、積極的に会社に行かないことを選んだのではないらしい。
ただある月曜日、朝起きて会社に行く時間になっても体が動かなかったらしい。
彼の中で一番ストレスなのは、思うように仕事ができないことらしい。
部署配属までが理想通りに進んでいたのに、そこからの一年が自分の理想を下回ったのが、ボディブローのように精神を削っていったらしい。

僕はけして高いコミュニケーション能力も崇高な目標もなかったけれど、
学校や会社を休まなかったのは、単に理想がないからだった。
僕は内定が決まってから一日たりとも、自分が理想の会社に入って幸せだなんて思ったことはなかった。
なんなら今でも強く働きたくないと思っている。

もちろんどんな奴でも激しいイジメとかがあれば、不登校になるだろう。
そういう強い外的要因がないケースで学校に行けないのは、やはり理想と現実のギャップだと思う。

今思うと学校で嫌われてたり馬鹿にされてたりする奴は、案外不登校にならなかった。
たとえば見た目が悪いとか、話してるとワケわかんないことを言うとか、そういう明らかにハンデを持ってる人間は、
そもそも自分の人生をそういう風になると覚悟している。納得しているかはともかくとして、そこに変な理想が介在する余地はない。
むしろどちらかといえば普通の人間で、クラスの人気者ポディションになりたかったとか、すごいデカい夢を持ってるとか、
そういう人間の方が不登校を選びやすいのではないか。

どうすればいいのか

明確な結論はたぶんケースバイケースになってしまうので、一般論にすべきではないだろう。
しかし、この理想と現実のギャップを解消するためには、
現実の自分を理想に近づけるか、理想を現実に下方修正するかの二択だと思う。
前者は、できるなら病む前にとっくにやってるはずなので、
これを求めるのは相当当人を追い詰めることになる気がする。
(鬱病患者に頑張れと言ってしまうアレなのかな)
というわけで、理想を下方修正するしかないのだろうが、
それを本人が絶対に許せないときに、自殺という選択肢を選ぶことになってしまうのだろう。

おわり

最近考えてることを書き残してみた。
東京の街で生き残るというのはなかなかに辛く厳しい。
(了)