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四十三庵

蔀の雑記帳

銀杏BOYZとSyrup16g、両ファンの相容れなさについての考察

音楽

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僕は音楽の趣味で、人間性は九割ぐらい測れると思っている人間で、
あるバンドを好きということは、ほぼほぼその人間性の宣言に等しいと考えている。

僕は銀杏BOYZはそもそもそんな好きじゃなくて、Syrup16gはかなり好きなんだけども、
昔付き合った人が銀杏BOYZが好きだったので、聴いてみようかなと思ってアルバムを三枚くらい聴いた。
曲自体は好きなんだけども、高円寺系が好きじゃないっていうのもあり、心酔するには至らない感じだった。

そんな銀杏BOYZのボーカルの峯田和伸さんが、今度NHK朝ドラの主演クラスで出演ということを昨日知った。
もう完全に文化人ですね。
おめでとうございます。
僕の知り合いの元銀杏信者は峯田さんに絶望していますが、きっと俳優業での成功は確かなものになるでしょう。
メンヘラを踏み台にして、輝く世界へ羽ばたいていってください。

そんな成功著しい峯田和伸様とは対象的に、Syrup16gの五十嵐隆は、バンドを再結成して、再結成後二枚目のアルバムを出そうとしている。

昨日ふと、銀杏好きな人間とシロップ好きな人間は相容れないなと思ったので、そのことについてもう少し詳しく書きたい。

銀杏とシロップの共通点

そもそもこの二つのバンドを比較しているのは見たことがないけれど、意外と共通点はあると思っている。
ファン層が基本的には社会に上手く適応できていない人間が中心であるという点で、二つのバンドは似通っていた。

あいつらが簡単になっちまう30回のセックスよりも
「グミ・チョコレート・パイン」を青春時代に1回読むってことの方が
僕にとっては価値があるのさ
現実なんて見るもんか
現実なんて見るもんか
#銀杏BOYZ「十七歳(・・・Cutie girls don't love me and punk.)」

君は死んだほうがいい
外の世界はどんな風?
後悔や四季や、あと流星のきらめく世界
#Syrup16g「デイパス」

違うところ

しかし両バンドの姿勢と、そのファンには、決定的な相違があるような気がしている。
それが何なのか、未だに正確なところはつかめていない。
とりあえず思い浮かぶままに書いていってみる。

まず違うのが、自己に対するスタンスだ。
銀杏は基本的に自己肯定であり、他者肯定のスタンスだ。
ダメな自分、ダメな他社に対する無尽蔵の肯定感と、その肯定感を否定する人間への攻撃性。
それが「光の中に立っていてね」より前のアルバムの音楽性だった。
(「光の中に立っていてね」以降はそうではない)
クラスの好きな子の縦笛を舐める自分も「ストーカーなんかではない」。

一方シロップはあんまり他者を肯定することも否定することもないが、基本的には自己否定のスタンスは一貫している。

最新ビデオの棚の前で2時間以上も立ち尽くして何も借りれない
何を借りればいい

冷たい人だねって君は背中向けた
僕はむしろ君の太陽になろうとしてた

一人きりでいるのが長すぎて
急に話しかけられると声出ないよね.
基本 地面ばかり見て歩くから
たまに人と視線合うとキョドっちまうよね

三つめは再結成後の曲なので、銀杏に比べるとあんま変わってない気がする。

外の世界に対するスタンスの違いも大きい。
銀杏はあくまで外へ外へ出ていくエネルギーがあった。
わかりやすい、誰にでもわかる言葉で、恥ずかしいような思いを歌詞にした曲がある。
シロップにはそんなものはない。
シロップの世界観があまり外へ向かっていかないのはなぜなのか、それは前述の自己否定につながる。
自己肯定感が低すぎるので、外の世界と積極的に関わっていく世界観にならないのだ。

銀杏について思うこと

峯田和伸自身は、山形から上京してきて、東京に居場所がなかった人間だったのかもしれない。
東京のオシャレで、即物的な文化にも馴染めず、鬱屈としていた人々を高円寺に集めて、銀杏BOYZというバンドは人気を博した。
人気を博したと言っても、それはミュージックステーションに新曲出すたびに出るとかそういう人気ではなくて、
あくまでサブカルチャーの中での人気ということではあるけれども。

峯田和伸もきっと色々あったんだろうと思う。
「光のなかに立っていてね」「BEACH」のアルバムを出すまでには、九年間ブランクがあった。
活動休止で九年間あけたわけではなくて、新しいアルバムを作ろうとして九年かかったのだった。
結局ニューアルバム出すのと同時にメンバーは峯田以外全員辞めた。
峯田は独身だが、メンバーは結婚して、子供もいるらしい。
きっと元メンバーは峯田の今の俳優としての成功を大して羨ましくも思ってないんじゃないか、という気もする。

ここからが僕の中の銀杏についての結論みたいなものなんだけど、
銀杏のメンバーも、銀杏に熱狂していたファンも、結局は自分しか見てなかったんだと思う。
銀杏はあらゆる人間を肯定しているというスタンスで音楽をやっていて、それに共感する人間がファンになった。
(僕はあんま共感できなかった)
けれども、今となっては、結局みんな自分しか見てなかったんじゃないかと僕は思う。
そして、それは多分に東京っぽい結論ではある。
自分を肯定するために、他者を肯定することが必要で、
少なくとも銀杏のライブの肯定に浸ることで、あらゆるものが肯定できて、
それが最終的に自分を肯定することにつながったのではないかと思っている。
ファンにとってもそうだったけれども、峯田和伸にとってもそれは同じはずで、
自分のどうしようもなく醜い部分も肯定して、彼はNHKドラマに出演することになった。
見ようによっては社会に馴染めなかった人間が、社会に馴染めない人間を食い物にして、上り詰めていった物語にも見える。
僕はそういう風に解釈している。
こんな書き方したらめちゃくちゃ叩かれるんだろうけれども、敢えて書くと、
高円寺のライブハウスに集まっていたファンは誰ひとりとしてお互いを見ていなくて、
結局は自分を一番愛せる方法を探していて、峯田和伸もその一人だったのだと思う。

シロップについて思うこと

つい最近、僕自身も僕の人生の限界が近くて、それから逃れるように「生還」のDVDを見た。

峯田和伸が初期銀杏の童貞キャラから最近突然サブカル俳優キャラになったのに比べると、五十嵐隆はあまりにも変わっていなかった。
強いて言えば演奏が上手くなったくらいだ。
(昔のシロップのライブ動画を見ると、ギターソロが弾けなくて途中で諦める五十嵐隆の映像がある)

シロップのボーカルは、高校生くらいまではエリートコースだった。
埼玉県生まれで、浦和高校に入る。
埼玉県のトップ公立高校*1で、毎年東大に十人程度は入る。
けど、文化祭で酒飲んだら教師に嫌な対応をされたので、中退。
別に高校中退すること自体はいいけれども、このエピソード自体があまり共感を呼ばないのがよい。
たとえばNirvanaのKurtとか、Eminemとかは学業サボって音楽やってたら、
成績悪くなりすぎて留年しまくったので、やめることになったという流れだけれども、五十嵐の場合はよくわからない。
よくわからないのは、考えてることが難しいというよりも、
そもそもきちんと伝えようとする意思が希薄だからというのに尽きる。
音楽にしてもインタビューにしても、きちんと説明していない。
誰にでもわかるくらい簡単な言葉で、「夢で逢えたら」とか「BABY BABY」とか歌ってた銀杏に比べて、その違いはある。

銀杏はそもそもパンクの精神だったけれど、シロップは音楽的な系譜としてはNirvanaとかグランジの影響が強い。
(世界から見ると、存在してないも同然なんだろうけども)
内向性を、激しい曲に乗せて開放するスタイルは、やっぱりNirvanaとかの強い影響を感じる。
けれど、五十嵐隆がKurtからの影響を強く受けていることをちゃんと言っているのはあんまり見たことない。
Hell-see期のインタビューで、一瞬「内向性の開放っていうか、カートとかスミスとか、そういうバンドの……」みたいなことを言っているのぐらいだった。

結局シロップ五十嵐が救われるためには、Nirvanaみたいに売れて、人気絶頂で自殺するしかなかったんだろうけれども、
幸か不幸かシロップはそこまでヒットしなかった。
(RadioheadはNirvanaと同じくらい売れたけれど、トム・ヨークがそんなに死にたくなかったので、
High and Dryで「Kill yourself for recognition」(評価のために自殺しろ)という皮肉な歌詞を入れたりした)
「破滅の美学なんかを利用していざとなれば死ぬつもりだった」五十嵐が、結局死ねなくて、今も続けているバンドがシロップなのだと思っている。
(了)

*1:埼玉では私立はアレ