四十三庵

蔀の雑記帳

一人でいること

中学くらいから、学校で一人でいることが多くなった。
友達がいなかったから、という訳でもない。
小学校の頃からずっと仲が良かった友達がいたし、部活の同学年もいた。
いつからか僕は積極的に他人に興味を持つのをやめてしまった。

高校や大学に進んでも、多かれ少なかれ同じだった。
昼はいつも一人で食べた。
インターネットを見ると、ぼっち飯は恥ずかしい、という意見が多かった。
一人でいることは恥だった。
大学では友達をつくろうと思っていたけれど、無理だった。
当時の僕はあまりにも閉鎖的だった。
何よりもリア充の世界への憧れがあまりにも弱かった。

最近は長い休みがとれると、日本国内の南の島へ行く。
ダイビングのライセンスもとった。
(一度しか潜れていないが…)
最初は大学の友達と二人で行った。
当時彼は会社をやめて、公務員試験を受験中で、ちょうどよかった。
(貯金だけはあった)
一週間ほどの旅程だったが、細かい点でストレスの貯まる旅行になった。
一人で行くと、そのストレスはなくなった。
すべてが自由だった。
雨が降っていたら出かけなくてもいい。一日ホテルにいてもいい。
途中で計画を変えてもいい。

孤独であることと一人でいることは実は違う。
僕の場合、一人でいても、孤独を感じないときが多い。
よく嫁と子供が実家に帰って、家で一人になったサラリーマンがウキウキになっているのを会社で見る。
そういう時間は、一人ではあるけれども、孤独ではないだろう。
なぜなら妻子が何日か後には帰ってくるのが約束されているから。
本当に怖いのは、人といて孤独を感じるときだと思う。
心の通わない人間に囲まれて、まったく興味のわかないことに巻き込まれて、それでも笑わなくてはならないとき。
そういう種類の寂しさを避けたかった。
集団に何かを期待することはなくなったけれど、それを上回るだけの僕自身の成果があげられるわけではなかった。

一人でいるのは、退屈な人間と二人でいるよりも賑やかである。
自分の頭のなかでいろいろな考えを巡らせているから。
少なくとも孤独ではない。
ただ僕が誰かといるとき、相手にそういう孤独を与えてきたのかもしれない、と最近思うようになった。

会社に入ってから、できうる限りコミュニケーションをとってきた。
その結果として、純粋な意味で一人になる時間はほとんどなくなっていることに気づいた。
たぶん普通に生きてきた人々はそれが普通なのだと思う。
学生のときは、親と一緒にいて、だんだん友達にシフトしていって、
ひとりだちしたら会社の人間と関わって、家庭を持って、ご近所と付き合ったりして、
定年したら子供とか昔のつながりとか……
一人にならないように上手く振る舞えば、そうできるはずだ。

ふと考えてみると、一人でいるというのは、人類史上あまりない状態でもある。
人間が生まれた瞬間には、少なくとも母親がいて、生物学上の父親がいる。
馬小屋でひとりでに生まれる子供はいない。
両親がいて、その両親が持っている人間関係があって、良かれ悪しかれ、その関係の中で生きるはずだ。
もっと昔なら、長男は実家の跡をつぎ、次男以下は都会に出て仕事を見つけたはずだ。
現代のように、引きこもることができる場所なんてそもそもないはずだ。
一人旅なんていう行為も、よほどの事情がなければなかったはずだ。
そもそも自分が自分だ、という認識すらあったのだろうか?
◯◯家の長男とか次男とか、そういう意識で生きていた人も大勢いたのではないだろうか?
そこに疑問を挟む余地すらなかったのではないだろうか?

働き続ける限り、一人になる時間はそうそうない。
隣には同僚がいて、会社の周囲には同じ会社の人がうろうろしている。

学生のときのように、孤立することを恐れることは何もない。
そう。恐れることなんて何もなく、何もなく……
(了)