四十三庵

蔀の雑記帳

3333人フォロワーがいたTwitterアカウントを消して生活が一変した

ちょっと前から、Twitterのアカウントをすべて消して、ブログのコメント機能も消した。
ノリでFacebookのアカウントも消してみた。
逆にInstagramをROM専ではじめてみた。
さいきんははてなブックマークとなんJのまとめ系とインスタとYoutubeしか見てない。
あとはテレビ番組とMさんのアスクエフエムは見ている。
ask.fm
ニュースは追いたいネタがあったら日経かBloombergを見る。
それでもなかったら他紙を漁る感じ。
自分の中に入れる情報は極端に絞っている。

3333人フォロワーがいたTwitterアカウントを消して生活が一変した

日にちは忘れたけれど、2018年の4月でTwitterアカウントを衝動的に消した。
最終的なフォロワーは3000ちょい。
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↑なんか3333より多いときのスクショしかなかった。

Twitterアカウントを消す前は、平日は会社に行って、休日は自堕落に過ごすだけの日々だった。
Twitterアカウントを消してからは、平日は会社に行って、休日は自堕落に過ごすようになった。
要するに何も変わらなかった。
何も変わらないだろうなと思っていたら、案の定何も変わらなかった。
別に有意義に時間を使えてるわけでも、本当に大切な人間関係だけ大切にするようになったわけでもない。
Twitter側で大騒ぎになることもなかった。
ゴミみたいな人生を送っているフォロワーが、ゴミみたいなツイートをし続ける、いつものTwitterの光景が広がっていた。
(アカウントを消しても、当人のホームまで飛ぶと、ツイートが見れることをはじめて知った。あと検索機能も使える)

何も変わらないなんて、それは当たり前の話で、
学生時代はみんな暇人で、タイムラインにかぶりついていたから、些細な変化も大騒ぎだったが、
今はもう大半が働き始めていて、僕もフォロワーも含めて、Twitterにかける時間なんて大してないのだろう。

Twitterの思い出

このブログをはじめたのが2009年なんだと思います。
最初はFC2ブログで、次にはてなに移行。
で、Twitterはじめたのが20011年な模様。
blog.stm43.com

ざっくり7年やってたわけか。
ブログの更新頻度が減ったのはTwitterに移行した影響が強いと思う。
将来展望としては、通信技術の発展とともに、テキストから映像に主体が移ってくと思っていて、
(かつての小説からテレビみたいに)
インスタやYoutubeみたいな映像文化がインターネットの中心になると思っているが、
いい写真撮るとか、動画制作とかって、クオリティ高いもの作るの結構大変なので、そこがネックになる気がする。
テキスト文化は、それなりに文章書ける人間は一定数いるので、なんとでもなる気がするが、
映像の編集はもっと技術的なので、そこの壁はある気がする。

Twitterが面白かったのは僕が就職留年していた時期で、年代としては2012年から2013年あたりとなる。
ただその頃の空気感がなんかネット上の記録に残ってないかと思って探したが、ほとんど残ってなかった。
半分くらいのアカウントがツイートを削除したか、アカウントごと削除しているからである。
残った半分も非公開にしているし、当時のやりとりはTogetterにもほとんどない。
まあでもコミュニケーションってそんなもんか、という気もする。
そういう意味だとブログとかはコミュニケーションではない。
ブログのコメント欄のやりとりはコミュニケーションだけども、ブログを書くこと自体は一方的な表現にすぎない。

Twitterでしかつながっていなかった人はアカウントを消したことで連絡がとれなくなったわけだけれど、
よく考えるとTwitterでいつでも連絡がとれる状態でも、大して連絡とってなかったわけだから、
結局つながってる必要なんてなかったのだと思う。

アカウントを消した要因

Twitterなんて無料でそれなりに楽しめるのだから、大炎上してどうしようもなくなるとか、
よほど大変なことがない限り、アカウントを消すこともないだろうと思っていた。

ただ2018年になって、僕の立場も変わってきた。
ただでさえ余暇の時間がなくなってきた中で、Twitterに割く時間というのがくだらなく思えてきた。

もともと、僕がTwitterにもとめていたのは、二つあって、

1.面白いツイート
2.専門性の高いツイート

の二つだった。
2018年になって、面白かったフォロワーは軒並みアカウントを消すか、ツイート数が激減していた。
結果として、しょーもないフォロワーのしょーもない日常ツイートがタイムラインに大量に流れることになった。
専門性の高いツイートも減った。
Twitterは高い速報性があったが、
専門的で正しいツイートは拡散されづらく、間違っていたら叩かれまくって拡散するという、
およそ専門家が情報発信するのに何一つインセンティブがない仕組みになっていたので、発信する内容は軒並み知能指数を低く設定しなければならなかった。
そういうわけで、2018年のTwitterは僕が求めている役割を果たしてくれなくなっていた。
2018年というか、もっと前からそうなっていた。
もっと早く消してよかったと思うし、実際まともなフォロワーはどんどんアカウントを消した。
それでも消せなかったのは、なんだかんだでTwitterで築いた人間関係がそれなりに大事だったからだろう。

ただ段々フォロワーのツイート自体がつまらないのに、人生の変化だけがコンテンツになっていくのを感じた。
会社辞めたとか転職したとか結婚したとか離婚したとか、人生の転機だけが報告されていった。
別にそれなら現実世界の人間関係でやっていることと同じで、なぜそれをネットでもやらなければいけないのか、よくわからなかった。
芸能人の結婚とか離婚とかをずっと追ってる、ゴシップ好きっているけれど、そのモチベーションもよくわからない。
同じテンションで、ネット上の知り合いのゴシップを追うのも楽しいのかもしれないけども、自分がそうはなりたくなかった。
でも、そのぐらいしかTwitterの楽しみ方が残っていない現状に気づいた。
@0si43というユーザーIDで作っていた蔀アカウントは、もう出がらしみたいになって、
残ったのは惰性で残ったフォロワーだけだということに気づいた。
そのことに気づきながら、惰性でひたすら続けていたけれど、ある日フォロワーのツイートをいくつか見ていて、「あっ、消そう」と思った。
そこからは早かった。
迷いもなかった。
Webからアカウントを消して、ノートパソコンからYorufukurouを消して、スマホ/タブレットからアプリを削除した。

アカウントを消してから

何かを呟けば、3000人から反応を得られたアカウントというのは、僕のような一般人からすると大きかったと思う。
すぐにお気に入りがついて、場合によっては100RTを超えたりした。
消した翌日くらいは、トイレに行ったりすると、なんだかそわそわした。
自分の声がものすごく小さくなったような気がした。
発信力が弱くなった気がした。

けどよくよく考えてみると、Twitterをやっていて、自分の発言がちゃんと聞かれたことなんて一度でもなかった気がする。
僕も、フォロワーの発言をちゃんと理解しようとしたことなんて一度もなかった。
自殺した人間もいたけれど、それすらもネタとして消化してしまう文化があった。
いちいちそんな重たいネガティブな心情を理解していたら、受け手がパンクしてしまうので、
真正面から受け止めないのは生き方としては正しいが、いいコミュニケーションではないな、と今は思う。

浅くて、切ろうと思えばいつでも切れるけれど、結局一緒にいるのが心地よくて、ずっと一緒にいる関係というのに長らく憧れていた。
けどそんな関係は幻想だと気づいた。
家族でもない人間が一緒にいるには、どんなに相性がよくてもどこかしらで不快感が生じる。
切ろうと思えばいつでも切れる浅い関係が続くというのは、結局お互いに対して、お互いがどこかしらで相手に媚び続ける関係になるか、
どちらかが強くて、どちらかが阿る関係かのどちらかなんだと思う。
僕の場合は、お互いが相手に深いところで媚び続けて、ただ媚びていることすら相手が気づかないように、
上手いこと取り繕うという風にフォロワーとの関係を作っていた気がする。
「俺は言いたいことを言っているし、お前も言いたいことを言ってる。そうだよな?」という体を取り繕っていた。
けど実際のところは、どれだけ辛辣なことを言っているように見せていても、本当に感じたことは言っていなかった。
というか、Twitterでフォロワーを得るために、別にムカついてもいないネタを叩いたりしなければならなかった。
僕がTwitter無理だなあと思った最近の風潮が過度な女叩きなんだけど、
あれもなんか普段そんなことを考えていたというか、タイムラインの雰囲気で言わされてんじゃないかな。
フォロワーの反応によって、発言を操られている。
やはりそれはよくない。

Twitterだけでなくて、ブログのコメント欄まで消したのは、
ネット上の反応というのは、書き手の一番の報酬であって、書き手を操ってしまう危険があると気づいたからだ。
Twitterをやっていた頃の僕の状況は、反応を得ることはできたけれど、それが僕のほしい反応であることはほとんどなかった。
しかしそれでもTwitterの人気者みたいになるのが楽しくて、反応を得るためにしょーもないツイートを繰り返していた。
中学校の頃、一言日記みたいなのを担任に出す時期があって、
それになんかふざけたことを書いていて、同級生が毎日読ませてと言って寄ってきていた時期があったんだけど、そういう感覚だった。

Twitterで呟くことで、それなりにつながりを感じられた。
どんな場所にいても、スマートフォンの通信ができれば、人間の反応を得ることができた。
偽物のつながりであっても、それはありがたいことだったんだと思う。

けれどそのアカウントを消したことで、僕はただの平凡な社会人に戻った。
別にTwitterアカウントがあっても平凡な社会人のTwitterアカウントだったわけだけども、
本気でTwitterアカウントを使えば、何かできることはあっただろう。
すごい人に会えたかもしれない。
彼女に出会えたかもしれない。
その可能性も消してしまった。
連絡帳とLINEと家族と会社の人間が今のつながりになった。
人数で言うと、100人いるかいないか。
毎日連絡を取り合う人なんて1人もいない。

まあけれど、それでいいんだと思う。
就職して自分で金を稼ぐようになって、現実の人間関係もそんなに悪くないと思うようになった。
不快なことがあっても断ち切れないけれど、それは向こうからしても同じだろう。

ブログは続けます。
Twitterにちょこちょこ小出しにしてた思いとかを、こんな感じでちゃんと書けたらと思う。
(了)